帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百七十八)(二百七十九)

2015-07-02 00:50:25 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。

 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

(題不知)                       (読人不知)

二百七十八 わびぬればつねはゆゆしきたなばたも うらやまれぬる物にぞありける

(題しらず)                      (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(つらい境遇になったので、常々は、ひどい話だなあと思っていた七夕伝説も、羨ましい物語だと気付いたことよ……侘びしい日々になってしまえば、常々は、忌々しく思っていた七夕伝説も、一年に一度でも妻と合えるなんて・羨ましい物と気付いたよ・吾身の物に比べれば)

 

言の心と言の戯れ

「わびぬれば…侘びしい境遇になったならば…心細くつらいときは…やりきれないときは」「ゆゆしき…はなはだしい…(何があったか知らないが逢うのが一年に一度とは)ひどすぎる…忌々しい」「たなばた…七夕伝説…七夕祭り…七夕の両星」「うらやまれぬる…羨ましくなってしまう…(一年に一度でも合えるものは)羨やんでしまう」「物…物事…伝説…物語…言い難き物…おとこ」「ける…けり…気付き・詠嘆する意を表す」

 

歌の清げな姿は、たなばた両星よりも侘びしい境遇になってしまった男の心境。

心におかしきところは、わびしくまずしいものに、なってしまった吾が物への思い。

 

遠征の旅、数年要する遠国への羇旅、太宰府に左遷、遠島に流罪、ものの病で湯冶に行くなど。男が如何なる境遇で詠んだか知る事は出来ない。知れない事はそのままで、男の心は、類似の経験ある男子には否応なく伝わるだろう。

 

 

二百七十九 おもひきやわがまつ人をよそながら たなばたつめのあふをみんとは

(題しらず)                      (よみ人しらず・女の歌として聞く))

(あゝ思わなかった、わたしが待つあの人を遠く他所のままにして、七夕姫が逢うという夜空を見ようとは……あゝ思いもしなかった、わたしが待つあの人を遠い所にして、七夕姫が逢い合うのを見ようとは)

 

言の心と言の戯れ

「おもひきや…思わないの強調表現」「や…反語の意を表す…(思った)か否(思は)なかった…詠嘆の意を表す」「よそ…他所…余所…言い難きところ…遠い所」「ながら…そのまま…つつ」「あふ…逢う…合う…合体・和合」


 

七夕の歌は万葉集に多くある。その一首を聞く。万葉集巻第十 秋雑歌「七夕」、

秋風之 清夕 天漢 舟滂渡 月人壮子

(秋風のさわやかな夕べ、天の川、舟こぎ渡る、月人壮子・つきよみ男……飽き足りた、さわやかな心風の夕べ、あまの川、夫根、お雨降りつづく、ささらえおとこ)


 言の心と言の戯れ

「秋…飽き足り」「風…心に吹く風」「天…あま…女」「川…言の心は女」「舟…夫根…おとこ」「滂…雨が降る…男雨降る…この字に漕ぐと言う意味はない…強いて言えば(こく…放つ…体外に出す)である」「渡…(川など)わたる…(時間が)つづく」「月人…男」「壮子…つよいおとこ」

 

平安時代の歌々と「歌の言葉」が違っているが、歌の「表現方法」は全く同じである。「清げな姿」があり、歌言葉の「浮言綺語のような戯れ」に「心におかしきところ」が顕れる。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。