帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百二十七と二百二十八)

2012-07-28 00:03:36 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首
(二百二十七と二百二十八)


 みちのくのあさかの沼の花かつみ かつ見る人を恋ひやわたらむ 
                                 
(二百二十七)

(陸奥の安積の沼に咲く花かつみ、相見つめるひとを、恋いつづけるだろうよ……みちの奥の、浅い、いや深い沼に咲く華やかな女、且つ見、なおもまた見る男を、乞いつづけるのだろうか)。


 言の戯れと言の心

 「みちのく…陸奥…土地の名…名は戯れる。未知の奥、満ちの奥、路の奥、女の奥」「路…女」「奥…女」「あさか…安積…土地の名…名は戯れる。浅香、浅いか、浅いかいや浅くない」「か…疑問、反語、詠嘆の意を表す」「ぬま…沼…女…ぬ間…沼ま」「花かつみ…花咲く水草の名…名は戯れる。女花、華やかな女」「かつみる…且つ見る…同時に並行して見る…重ねて見る…なおもまた見る」「草花…水草…女」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「人を…女を…男を…人のおを」「こひ…恋い…乞い…こい求め」「や…疑問、反語、詠嘆の意を表す」。


 古今和歌集 恋歌四。題しらず、よみ人しらず。


 歌の清げな姿は、沼に咲く花のようなひと、見つめると同時に、こちらを見つめるひとを、恋つづけるのだろうかというところ。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、なおも見る人を乞いつづける情の深い女のありさま。



 かつ見れどうとましきかな月影の いたらぬ里はあらじと思へば 
                                 
(二百二十八)

 (かさねて月見するけれど、いやらしい感じだなあ、月人壮士の影の差し入らない、女の里はありはしないだろうと思えば……一方では見はするけれど、いやだなあ、わがつき人おとこ、欠けの果てに至らないさ門は、ありはしないだろうと思えば)。


 言の戯れと言の心

 「かつ見れど…且つ見れど…重ねて見物するけれど…一方では見るけれど」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「うとまし…いやらしい…いやだ…感じが悪い」「月かげ…月影…月光…月かけ…月欠け…尽き欠け」「月…月人壮士…男…おとこ」「いたらぬ里はあらじ…照らさない里はないだろう…差し入らないさとはないだろう…果てに達しないさとはないだろう」「里…家…女…さ門…女」。


 古今和歌集 雑歌上。「月おもしろしとて、凡河内躬恒が詣で来たりけるによめる」紀貫之。


 歌の清げな姿は、月おもしろしに、先ずは悪態をつき、いやらしいと思うわけを述べるところ。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、うとましくも満ちては欠ける、つき人おとこの情の浅いありさま。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。