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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首 (二百二十九と二百三十)
わが恋はむなしき空にみちぬらし 思ひやれども行く方もなし
(二百二十九)
(わが恋は、虚空にみちて、むなしく終わったらしい、思いを届けるにも、行く方も方法も無い……わが乞いは、虚しき空間に満ちたらしい、思い晴らすにも、ものは行く方知れず形も無し)。
言の戯れと言の心
「わが恋…わが乞い…わが乞い求め」「むなしき空…虚空…虚しい空間…むなしきをんな」「空…天…女」「間…女」「みちぬ…満ちてしまった…満ちて消えた…空虚にものは満たない」「思ひやる…思いを遣る…思いをはせる…思いを晴らす」「かた…方…お方…方向…方法…形…もののかたち…堅…ものの堅さ」。
古今和歌集 恋歌一。題しらず、よみ人しらず。
歌の清げな姿は、恋いの終わりのむなしさ。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、乞い求めるものの、もの虚しいありさま。
二つなきものと思ひしを水底に 山の端ならで出づる月かな
(二百三十)
(二つは無いものと、思っていたけれど、池の水底に、山の端ではなくて、出る月があることよ……ふた度はないものと、思っていたけれど、逝けのをみなのそこに、山ばの端でなく、出立する、月人おとこよ)。
言の戯れと言の心
「二つ…二個…二回…二度」「を…感嘆、感動を表す…おとこ」「みなそこ…水底…池の月が映っているところ…をみなの底…をみなの其処」「水…女」「山の端…山の稜線…山ばの端…盛り上がっていた事の果て」「いづる…(月などが)出る…(月人壮士が)出立する」「月…月人壮士(万葉集の表記)…つき人をとこ…ささらえをとこ(万葉集以前はこのように呼ばれていたと万葉集に注記がある、月の言の心は、をとこ、と心得るべし)」「かな…だなあ…感動の意を表す」。
古今和歌集 雑歌上に、「池に月の見えけるをよめる」とある。
歌の清げな姿は、池の水に映る月の風情。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、はかない一過性の尽き人おとこ、逝けの底に沈んでいるのを、いで立つのかな、というところ。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。