帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (278)色かはる秋のきくをばひとゝせに

2017-09-30 19:14:38 | 古典

            

 

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下278

 

是貞親王家歌合の歌         よみ人しらず

色かはる秋のきくをばひとゝせに ふたゝびにほふ花とこそ見れ

(是貞親王家の歌合に提出したと思われる・歌) 詠み人知らず・匿名で詠まれ歌合に提出された女歌として聞く

(色彩かわる秋の菊をば、一年にふたたび咲きほこる女花と見て思う……色情たち替わる飽きのわが奇具をば、女と背の君のために、再び咲き匂うおんな花と思うの・見るわ)

 

「色…色彩…色情)「秋…飽き…飽き満ち足り…厭き」「きく…長寿の女花…きぐ…貴具…貴い具…奇具…奇妙な具」「こそ…強調する…(そういう女花)である」「見る…思う」「見…覯…覯…まぐあい」。これらは、俊成のいう「浮言綺語に似た戯れ」である。

 

色彩変わる秋の菊をば、一年に二度咲く、長寿な女花とよ、見て思う――歌の清げな姿。

女と夫君のために、女花は再び咲き匂う、これこそ長寿の花と思う・二見が心(うら)こそ夫婦の絆、見るわ――心におかしきところ。

 

心におかしきところのエロスは、「艶」とも「あはれ」とも聞こえるだろう。女の「煩悩」ながら表現した時、俊成のいう通「即菩提」なのだろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による


帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (276)秋の菊にほふかぎりはかざしてむ

2017-09-30 08:07:18 | 古典

            

 

                          帯とけの「古今和歌集」

                        ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

歌の表現様式を知り、言の心w心得る人は、歌が恋しくなるであろうと、貫之は言った。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下276

 

世中のはかなきことを思ける折りに、菊の花を見て

よみける                 貫之

秋の菊にほふかぎりはかざしてむ 花より先としらぬわがみを

     (人の世の中のはかなくも無常なことを思った時に、菊の花を見て詠んだと思われる・歌……女と男の仲のはかいことを思った折りに、詠んだらしい・歌)。 つらゆき

 (秋の菊、咲き誇っている限りは、頭髪に挿していよう、花より先に逝くかもしれぬ、はかないわが身よ……厭き心地の貴具の端、咲き匂う限りは、彼、差しておこう、女花より・おとこ花より、先に逝くかも知れぬ、はかないわが身お・よ)

 

 

「世中…人の世…男女の仲…夜の仲」。

「菊…言の心は…草花女花…長寿の花…寿命の長い身の端」「きく…浮言綺語の如く戯れる…きぐ…奇具…奇妙な身の具…貴具…貴い身の具」「花…草花…女花…木の花…おとこ花」「を…感嘆・詠嘆の意を表す…お…おとこ」。

 

世の中や人の命は明日をも知れぬ無常なもの、長寿といわれる菊でも頭飾りにしておこう、花よりはかないかも知れぬわが身よ――歌の清げな姿。

夜の仲のはかないことよ、おとこ花の咲き匂う限りは、あそこ、差しておこう、お花より先に逝くかも知れぬわが身およ――心におかしきところ。

 

(277)と投稿が前後しました、クリックミスで、他意はありません。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)