帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (270)露ながらおりてかざゝむ菊の花

2017-09-24 19:10:39 | 古典

            

 

                        帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

藤原公任は、藤原道長もその兄たちも認める学問・詩・歌の達人である。貫之のいう「うたのさま」を歌の表現様式と捉えて、優れた歌の定義を、次のように述べた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりというべし(新撰髄脳)」。一つの歌言葉で、三つの意味を表した歌が優れていると言うべきであろうというのであるが、全ての歌に清げな姿と心におかしきところがあることは、数百首解き直してわかったが、深き心の解明には、なかなか至らない。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下270

 

是貞親王家歌合の歌           紀友則

露ながらおりてかざゝむ菊の花 老いせぬ秋のひさしかるべく

 (是貞親王家歌合の歌)              紀友則

(露のついたまま折って、頭飾りに挿そう、菊の花・長寿の花よ、老いせぬ秋の久しく在るように……白つゆと共に逝って、彼、挿していよう、貴具のお花、感極まらぬ飽きが久しくあるように)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

 「露…菊の露(若返りの妙薬とか、紫式部も綿に付けた菊の露で身を拭ったようである・紫式部日記)…つゆ…汁…白つゆ…おとこ白つゆ」「おりて…折って…枝折って…身の枝おって」「折…逝」「かざさむ…挿頭としょう…わがものの頭の飾りとしよう…彼、挿していよう」「菊…長寿の草花(女花)…花の名…名は戯れる。奇具・貴具・おんな・おとこ」「老い…年齢の極み…おひ…追い…ものごとの極み…感の極み」。

 

露のついたまま折って、頭飾りに挿そう、菊の花、老いせぬ秋の久しく在るように・菊の露は若返りの妙薬。――歌の清げな姿

おとこ白つゆと共に逝って、あれ、挿したままでいよう、貴具のおとこ花、感極まらぬ飽きが久しくあるように。――心におかしきところ。

友則は、病弱だったようで、古今集の完成を待たず、亡くなったようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)