帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (274)花見つゝ人待つ (275)一本と思し花を

2017-09-28 20:19:18 | 古典

            

 

                        帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

歌は、姿清げで、心におかしきところがある。「読み上げもし、詠じもしたるに、艶にも、あはれにも聞こゆるものである」と藤原俊成は『古来風躰抄』に述べた

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下274

 

菊の花のもとにて、人の、人待てる形を読める 友則

花見つゝ人まつ時は白妙の 袖かとのみぞあやまたれける

(菊の花の許にて、人が人を待っている模型を詠んだと思われる・歌……貴具のおとこ花の下にて、女が男を待っている形を詠んだらしい・歌) とものり

(花を眺めながら、人待つ時は、白菊が、ふと、待つ人の白妙の衣の袖かとばかり、見誤まったことよ……すでにおとこ花を見つつ、女の果てを、待つ時は、白絶えの身の端かとばかり、吾や待たれていたことよ・二見乞うとか)

 

「花…菊…貴具の花…おとこ白ゆきの花」「見…覯…媾…まぐあい」「つつ…つづける…筒…中空…おとこの自嘲的表現」」「人待つ…女を待つ…女の果てを待つ」「白妙…白絶…おとこの果て」。

 

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下275

 

大沢の池の形に、菊うへたるをよめる  友則

一本と思いし花をおほさはの 池のそこにも誰か植へけむ

(大沢の池の模型に菊植えてあるのを詠んだと思われる・歌……多いなる多情おんなの逝の形に、我が貴具植えているのを詠んだらしい・歌) とものり

(一本と思った菊の花を、大沢の池の底にも、誰が植えたのだろう・水澄んで映っている……一本と思ったき具の花を、大いなる多情な、あんなの逝けの底にも、誰が植えたのだろう・このき具も見よとか)。

 

「大沢…池の名…名は戯れる、大いなる女・大いなる多のをんな」「さは…沢…湿地帯…言の心はおんな…多…多情」」「いけ…池…逝け…ものの果て」。

 

 歌の「心におかしきところ」は、俊成のいう通り「艶にも、あはれ(何とも言えない思い・哀れ・憐れ)にも聞こえる」。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)