帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰髄脳 (七)

2014-11-25 00:12:05 | 古典

       



                   帯とけの新撰髄脳



  旋頭歌(三十一字に七字加えた三十八字の歌)について述べられてある。上手の歌を撰んで同字の歌の病や、歌詞についての注意事項である。


 

「新撰髄脳」

 

打渡す遠方人に物申す 我そのそこに白く咲るは何の花ぞも

 (うち渡すをちかた人にもの申す われそのそこに白くさけるは何の花ぞも……ずっと遠方の人にもの申す、ご自分の其の其処に白く咲くのは何の花ぞよ……ま近な人に文句を言うわ、自分の其の其処に、白く咲いているのは、何の花なのよ・咲くべき時か)


 言葉の多様な意味
「白…色気なし…色の果て…おとこのものの色」「花…この花…おとこ花」「ぞも…いったい何なのよ…強い疑問を表す…これこそよ…あれまあ…強く指示する」。


歌の清げな姿は、花咲く野辺での大声での会話。

心におかしきところは、寝床での妻から夫への詰問。

古今集 雑体 旋頭歌、題しらず、よみ人しらずの歌。

 

句の末、ことばの末ごとにあれ共、くせときこえぬなり。

(のゝ字など、上手の歌は耳にたゝず也。又、初句の末の字と本韻の字かはり、句へだたり、さるをきらはず。されど耳にたつ字、ぬ、た、そ、れ、などの字あるべからず)。

句の末、詞の末毎に、同字が・あるとしても、癖・難点とは聞こえないのである。

(「す」「の」字など、上手の歌は耳に留まらないのである。又、初句の末の字と本韻の「す」の字、取り変わる、句を隔てる、取り去るのを嫌わない・下手な歌では避けたほうがよい。だけど、耳に留まる字、「ぬ」「た」「そ」「れ」などの字の場合は有ってはならない)。

 

 古今集には、夫の返歌が有るので聞きましょう。


 春されば野辺にまづ咲く見れど飽かぬ花 まひなしにただ名のるべき花の名か

 (春になれば野辺に先ず咲く見ていても飽きない花よ、袖の下・礼金無しに只で、名を告げるべき花の名か……張る去る時に伸べより先に咲く、見れども見れども飽きないお花よ、謝礼の品なしに只で名告げるべきお花の名か)


 言葉の多様な意味

「されば…そうなれば…去れば」「見…観賞…覯…媾…まぐあい」「花の名…もう大人なら誰でもわかるはず」

 

 

 久堅のあまの河原の渡し守 君わたりなばかぢかくしてよ

 (久方の天の河原の渡し守、彦星の君が渡ったならば、梶を隠しておくれ・帰したくないの……久堅の、吾間の川腹の渡し守、おとこ君渡ってくれば、斯くしてよ・久しく堅くしてね・合うのは一年一回なのよ)

 

言葉の多様な意味

 「久堅(万葉集の表記)…久方…枕詞」「の…所在を表す…比喩を表す」「あま…天…吾間」「間…おんな」「かはら…河原…川腹…おんな」「川…言の心は女」「わたしもり…渡し守…船頭さん」「わたし…渡し…ずっと続ける…し尽くす」「守…まもる人…「かぢ…船の推進具…夫根の推進具…おとこ」「てよ…(つ)の命令形…してしまえ…きっとしてしまってよ」

 

 歌の清げな姿は、七夕の織姫の立場になって詠んだところ。

 心におかしきところは、女の生な心が顕れているところ。

 古今集 秋歌上、題しらず、よみ人しらずの歌。

(「の」の字が三個所にあるが、上手の歌であるから、耳障りではないということだろう)。

 

凡こはく、いやしく、あまりおひらかなることばなどを、よくはからひしりて、すぐれたる事有にあらずはよむべからず。かもじなどのふるきことばなどはつねによままじ。ふるく人のよめることばをふしにしたるわろし。一ふしにてもめづらしきことばを、よみいひてんと思ふべし。

およそ、強く、賤しく、ひどく(人を)脅かすような詞などを、よく考慮して知った上で、優れた歌でなければ、用いて詠んではならない。かもじ(女房言葉)などの古い詞などは、常に詠んではならない。古く人の詠んだような詞を、節(重要な箇所)にしたのは悪い。一節でも、珍しく(独自の詞を)、詠み出そうと思うべきである。

 

例歌の二首とも、強い詞や賤しい詞や脅かすような詞は用いられていないのに、思うことが強く相手の心に伝わる優れた歌なのだろう。

古く人の詠める詞の例は、うぐひすの凍れる涙、ほのぼのと明石の浦、ほととぎす鳴くやさつき、袖ひぢてむすびし水、などで、よみ人と歌がすぐに思い出されて禁句。独自の秀句を普通の言葉で詠むようにせよという教えだろう。「白く咲けるは何の花ぞも」や「あまのかはらのわたしもり」も独自の秀句だろう。

 「浮言綺語にも似た戯れをする歌言葉」を字義の通り受け取っていては、歌も歌論も永遠に理解できないのである。


 

「新撰髄脳」の原文は、続群書類従本による。