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帯とけの新撰髄脳
一般に云われる歌文字の使用上の難点を指摘し、優れた歌を例示して、その難点を取り去るべきか、取り去るべきではないかを教える。
「新撰髄脳」
事をあまたあぐる中(歌の病を多くいふ中なりし)に、むねと去べきことは、二所におなじことのある也。ただし、ことばおなじけれども、心ことなるは、去べからず。
事を多く挙げる中で(歌の病を多くいう中で)は、主としてとり去らなければならない事は、二か所に同じ言がある事である。ただし、同じ言であっても、言の心が異なれば、とり去る必要はない。
み山には松の雪だに消えなくに みやこは野辺の若な摘けり
(深山では松の雪さえ消えていないのに、都では野辺の若菜摘みしていることよ……深い山ばでは女の白ゆきさえ消えていないのに、宮こ・山ばの頂上では、延べのわが汝をつんでいることよ・感の極みで)
言葉の多様な意味
「深山…みやま…深い山ば…高い山ば」「松…言の心は女(土佐日記などそのつもりになって読めば心得ることが出来る)」「雪…ゆき…白ゆき…男の情念…白つゆ」「都…宮こ…京…山ばの頂上…絶頂…感の極み」「のべ…野辺…延べ…延長…なおもづづく」「わかな…若菜…若女…吾汝…若妻」「な…菜…女…汝…(親しみ込めて)妻・もの」「摘…採…引…めとり…まぐあい」
みやまみやこ詞おなじき、心ことなり難ならず。ことばことなれども、心おなじきを猶去べし
「みやま」と「みやこ」は、詞に同じところはあるが、言の心が、微妙に・異なり、難点ではない(取り去らなくてもよい)。言葉が異なっても、言の心の同じなのを、やはり取り去るべきなのである。
(上の歌、清げな姿は早春の風景。心におかしきところは、人の願望する快感の極致の延長の表現。古今集春歌上、題しらず、よみ人しらず)
みさぶらひみかさと申せ宮城のゝ 木の下露は雨に益れり
(お侍、ご主人に・御笠をと申し上げよ、宮城野の木の下の露は、雨にも増している……身にお付きのもの、女主人に・三重をと申し上げよ、宮来のの男の下つゆは、雨にも勝っている・吾めにも増して多情であるぞ)
言葉の多様な意味
「みさふらひ…お侍…身さぶらひ…身にお付きの物」「みかさ…御笠…三重…三つ重ね、男の性(さが)からすれば、これでも誇張である」「宮城…所の名…名は戯れる…宮こ…ものの極致」「木…言の心は男と心得る。ただし松は例外で女。待つ、長寿などと戯れるからか、言の心の原因理由など知る由もない」「したつゆ…下露…木の下の露…おとこのつゆ」「雨…男雨…おとこ雨」
(上の歌、清げな姿は、宮城野の自然の景色。心におかしきところは、はかない男の願望を「あめ(雨…吾女)に勝れり」などというところ。古今集東歌、陸奥歌)
すぐれたる事のある時は惣して去べからず。
(みさぶらひ・みかさ・みやぎに同じ文字が有るが)優れたことのある時は総じて取り去るべきではない。
「新撰髄脳」の原文は、続群書類従本による。