帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(三十)また、この男、仏に花たてまつらむとて

2013-11-28 00:13:15 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。


 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



  平中物語(三十)また、この男、仏に花たてまつらむとて


 また、この男、仏に花を奉ろうとして、山寺に詣でたのだった。住む家の隣に、をかしき(情趣のある……可笑しい)戯れ言を、言い交わす人(女)がいて、その人もこの男も、門より出て、ばったり遭って、男の許へ、女「いづちぞ(どちらへ?……何処の女の許へ?)と言って寄こしたので、「もみぢこき山へなむ(紅葉の色濃い山へですね・見物に……飽き色の濃い山ばへですね・こきに)」と言って、
 散るをまたこきや散らさむ袖ひろげ ひろひやとめむ山のもみぢを

散るのを、また扱き散らそうか、衣の袖ひろげ、拾い求めて来ましょうか、山の紅葉を・手土産に……飽き満ちて散るのを、またしごき散らしましょうか、身の端広げ拾い求めましようか、山ばの飽きの色濃いものを)。

   
言の戯れと言の心

「もみぢ…紅葉・黄葉…秋色…飽きの色…飽きのおとこのものの色…おとこの煩悩のしるし」「こき…扱き…しごき…放き…放出」「そで…袖…端…身の端」「山…山ば」「とめむ…止めむ…求めむ」「む…推量を表す…意志を表す」。


 「いかがせむ。のたまはむにしたがはむ(如何しましょうか、おっしゃるようにします)」と言えば、女、
 わが袖とつくべきものとひとつてに 山のもみぢよあまりこそすれ

(わたしの袖と君の袖とつなぐべきと思う、一つ手に、山の紅葉はよ、手に余るものね・つなぎたいの? ……わたくしの身の端と一緒に尽きるべきものと思う、女のてに、山ばの飽き色は余りもの・いりません)。


 言の戯れと言の心

「袖…端…身の端」「と…と一緒に…共同の意を表す」「つぐ…つなぐ…つく…尽く…尽きる」「と…と思って…として」「ひとつて…一つ手…人つ手…女のて」「つ…の」「もみぢ、上の歌に同じ」。


 となむ(だなんて)。返しまさりなりける(返し勝りであった……返し優っていたことよ)。


 

この両人の歌の「もみぢ」と、貫之の歌の「もみぢ」とは、言の心が同じである。古今和歌集 秋歌下
 
秋の果つる心を、竜田河に思ひやりてよめる  貫 之
 (……飽き果てる心を、絶つた女を思いやって詠んだ)。
 年毎にもみぢ葉ながす竜田河 みなとや秋の泊まりなるらむ

 (……おとこども・疾し毎にもみぢ端流す、絶ったかは、をみなの門は飽きの泊り宿だろうか)。


 「年…疾し…早過ぎ…おとこのさが」「竜…絶つ」「河…川…女」「秋…飽き…厭き」「みなと…湊…停泊地…水門…おんな」。


 

 原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。


 

以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。