帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(十六)また、この男、もののたよりに聞きわたる人

2013-11-07 00:25:57 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた男の詠んだ古今和歌集には載せられない和歌を中心にして、その生きざまが語られてある。平中は、平貞文のあだ名で、在中将(在原業平)に次ぐ「色好みける人」という意味も孕んでいる。古今集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。


 色好みな歌と物語を紐解いている。
言の戯れを知り、字義とは別に孕んでいる言の心を心得て読むことができれば、歌の「清げな姿」の裏に「心におかしきところ」が見える。物語の帯はおのずから解ける。

 


 平中物語(十六)また、この男、もののたよりに聞きわたる人ありけり


 また、この男(平中)、なんとなく噂に聞いていた人があったのだった。その人と、この男と情を交わす女とは、友だちなので、もの言うのにも何かと言いかねていた。まめやかに(まじめに……冗談ではなく)、男にとって、くるしかるべき(絶え難いに違いない……不都合にちがいない)ことを、女が・言っていると、その人から・聞いて、からうじていひつきにけり(やっとのことで言い寄ったのだった……それをきっかけに辛うじてお近づきになったのだった)。そうして、ほどなく、あひにけり(逢ったのだった……合ったのだった)、さて、つとめて(早朝……その翌朝)、女、

おとにのみ人のわたると聞きし瀬をわれものがれずなりにけるかな

(話にのみ、人々が渡ると聞いていた川の瀬を、わたくしも逃げずに、渡れるように・なったことよ……お、と、での見、人がつづけると、効きし背お、わたくしも逃げずに、成りましたわ)


 言の戯れと言の心

「おと…音…声…うわさ…お・と…おとこ・をんな」「と…門…女」「み…見…まぐあい」「わたる…(川を)渡る…来る…しつづける」「きき…聞き…利き…効き」「せを…瀬を…背を…君のおとこ」「なり…なる…成る…成長する…為し得る…望みがかなう」「けるかな…気付き感動する意を表す」。

 

返し、男、

渡り川いかでか人ののがるべき 音にのみやは聞かむと思ひし

(三途の川、どうして人が逃れられるだろうか、話だけに聞いていたいと思いましたか……つづけるのかは、我によれば・どうして女が逃れられようか、あなたが・声にだすかと、聞こうと思ったことよ)

 

「渡り川…三途の川…死者が渡るという川…わたりかは…つづけるのかい」「わたる…渡る…し続ける」「かは…だろうか…疑問を表す」「音…うわさ…声…いく・しぬという女の声」「のみ…限定の意を表す…強調する意を表す」「やは…か…疑いの意を表す」「し…強意を表す…きの連体形…したことだよ…感動を表す」。

 

とぞいひける(などと言ったのだった)のちはいかがなりにけむ(後はどうなったのだろうか)。

 


 二人の仲と、女二人の友達関係は、その後どうなったかは知る由もない。平中は、あだ(徒…婀娜)で「おほ堅」の男であることには間違いなさそうである。


 

平中物語の原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。歌の漢字かな表記は必ずしも同じではない。



 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。

 

古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 

国文学が歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。