帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(二十二)また、この同じ男、聞きならして

2013-11-13 23:06:27 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、その生きざまが語られてある。古今集編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。


 
言の戯れを知らず言の心を心得ずに、君が読まされ読んでいたのは、歌の「清げな姿」である。「心におかしきところ」を紐解きましょう。物語の帯は自ずから解ける。



 平中物語(二十二)また、このおなじ男、聞きならして


 また、この同じ男、噂に・聞き慣れていて、まだものは言っていない女が居たのだった。なんとか言い寄ろうと思う心があったので、常にこの家の門よりは、(馬を降りて)歩いたのだった。こうしていたけれど、言い寄る手掛かりもなかったが、月の趣きのある夜に、彼の門の前を通ったときに、女たち多く立っていたので、馬より降りて、この男、話しかけたのだった。女たちは・応えたりしたのだった。男うれしいと思って立ちどまったのだった。この女ども、男の供の人に、「誰ぞ」と問うたので、「その人なり(名はお聞きでしょう・その人です)」と答えたので、この女たち、「噂にばかり聞いていたけれど、さあ、招き入れて、話をしましょう」「どういうことか聞きましょう」と、「同じ事なら、この庭の月の趣あるのを見せましょう」と言ったので、この男、「なにのよきこと(いいですとも……何と都合のよいことよ)」とて、もろ共に、(門内に)入ったのだった。女たち集まって簾の内にて、(男は外に居て)「あやしう(不思議に……理解できないまま)、噂に聞いていたけれど、現に、(その方と)話のできることよ」
と、男も女も言い交わして、をかしき物語して(興味ある話をして……可笑しい話しをして)、女も、心つけてものいふありけり(心ひかれ熱心にもの言うのもいたのだった)。集まって話をしている中で、男も、奇妙に嬉しくて、よくぞ言い寄ったことなどと思っている間に、この男の乗って来た馬、ものに驚いて、(綱を)引き放って、走ったので、童ほか供の者皆、馬を追って行ったので、童ひとりだけ留まっていて、みえしらがひて(わざと見えるように)うろうろしていた。それで、この男、かたはらいたがりて(じれったくいたたまれないので)、(童を)招いて「どうしたのだ」と言ったところ、童が「早く隠れて」と言って、(奥へ)追い込めたのだった。それを、この女たち、「何ごとよ」と問うたので、「何ごとでもない。馬がだね、ものに驚いて、放馬したことよ」と、男が答えたので、女「いな(いいえ)、これは、夜が更けるのに来ないので、妻が、つくりごとしたるなむめり(わざと事件を起こさせたのでしょうよ)」「あなむくつけ(あれまあ、おそろしい)、とるにたりない戯れ言さえ言う妻を持った者は、何としょう(まして事件を作らせるとは)」と、気味悪がり、ひそひそ話して、皆、(奥に)隠れてしまった。この女たちに、この男、「あな(あゝ)、わびしいよ、さらさら、そういうことではないのです」と言ったけれど、まったく聞かない。果ては、もの言いかける人も居なかったので、よろずのことを独り言に言ったけれど、さらさら応える人もいなかったので、言いようもなくて、出て来たのだった。そして、翌朝、しぐれていたので、男、このように言い遣る。
 さ夜中にうき名取川わたるとて 濡れにし袖に時雨さへ降る

(さ夜中に憂き評判とって、帰りに・名取川わたるとて、濡れた袖に時雨さへ降る・泣き面に蜂よ……さ夜中に浮き汝とって、おんな川わたるとて濡れた身の端に、果て時のおとこ雨降る)


 言の戯れと言の心

 「うきな…憂き名…嫌な評判…浮き名…浮いたうわさ…浮いた汝…浮気なおとこ」「川…女」「そで…袖…端…身の端」「しぐれ…冷たい雨…その時のおとこ雨…果てのおとこ雨」。

 

とある、返し、

 時雨のみふるやなればぞ濡れにけむ たち隠れむことぞくやしき

(時雨ばかり降る野外だからね、濡れたのでしょう、わたしが・隠れたのが悔しくて・涙に濡れたのかしら……その時のおとこ雨の身降るや、熟ればぞ、濡れたのでしょう、君のわらは・絶ち隠れることぞ、悔しい)


 言の戯れと言の心

「のみ…だけ…限定…の身」「なれ…なり…熟れ…とれよれとなる」「たち…立ち…絶ち」「隠れむ…亡くなるだろう…起たなくなるだろう」。


とあったことよ、喜んで、またものなど言い遣ったけれど、応えもしなかったので、言いかけるのをやめたのだった。


 

放馬したのは、(一)偶然の出来事。(二)宵の約束なのに来ないので、妻が嫉妬して従者にさせた作り事。(三)平中が供の者に予め命じて置いた事、夜中に歩いて帰れないと宿る作戦。さて、どれでしょう。

(一)ならば、平中の主張通りとなる。ただ、一人残った童の態度が説明できない。(二)ならば、女たちの推理通りで、係わりたくない怖い妻の居る男ということになる。(三)ならば、策士、策に溺れる類。言い寄りの失敗は平中の自業自得となる。


 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。

 


 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。

 

古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 

歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。


帯とけの平中物語(二十一)このおなじ男のもとに

2013-11-13 00:08:41 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、その生きざまが語られてある。古今集編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。


 
言の戯れを知らず言の心を心得ずに、君が読まされ読んでいたのは、歌の「清げな姿」である。「心におかしきところ」を紐解きましょう。物語の帯は自ずから解ける。


 

平中物語(二十一)このおなじ男のもとに


 このおなじ男(平中)のもとに、国経の大納言(二条の后の兄である。在原業平とほぼ同年代ながら三十年ほど長寿だった人)の御許より、ちょっとした事を申してこられた時に、返事を申し上げるということで、趣きのある菊につけたのだった。そうすると、如何なることを書いたのだろうか、折り返し、また、申された、
 御代を経て古りたる翁つえつきて 花のありかを見るよしもがな
 
(歴代の帝にお仕えして来て、古びた翁、杖ついて、この花の在処を見る方法があればなあ・見たいものだ……見夜を経て古びて起きな、津江突きて、女花のありかを見る手立てがあればなあ・見たいよ)。


 言の戯れと言の心

「みよ…御代…見夜」「おきな…翁…おきな…起きない」「な…打消し…汝(わがこ)…おとこ」「つゑ…杖…つえ…津江…女」「見…観賞…見物…覯…媾…まぐあい」「もがな…願望の意を表す」。


とありければ返し(とあったので返事)、
 たまほこに君し来よらば浅茅ふに まじれる菊の香はまさりなむ

(玉ほこの里に、君がお寄りになれば、浅茅生える・庭に、まじる菊の香は、きっと増すことでしょう……玉のさとに、君、来寄らば、浅し夫に交わる女花の色香増すでしょう、きっと)。


 言の戯れと言の心

「たまほこ…玉鉾…たまほこの…道・里にかかる枕詞…道・里の言の心は女」「浅茅…背丈の低い茅…すすきと共に言の心は男…浅はか・薄情なおとこ…これは平中の謙遜」「菊…長寿の花…草花…女花」「香…色香…色の美しさ…色情」「なむ…その事態を強く推量する意を表す…(女たちの色香増す)に違いない…これはお世辞」。



 上皇や大納言と打ち解けた会話をしているのは、平中の人柄の所為もあるが、歌の効用である。歌は清げに包まれてあるが、開けば大人の男同志に通じるおかしみと共に、詠み人の心が伝わるからである。

 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。


 

以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。

 

古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 
 
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。