帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(十四)また、この同じ男、友だちどもあまたものして

2013-11-05 00:07:17 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた男の詠んだ、古今和歌集には載せられない和歌を中心にして、その生きざまが語られてある。平中は、平貞文のあだ名で、在中将(在原業平)に次ぐ「色好みける人」という意味も孕んでいる。古今集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。


 色好みな歌と物語を紐解いてゆく。
言の戯れを知り、字義とは別に孕んでいる言の心を心得て読むことができれば、歌の「清げな姿」の裏に「心におかしきところ」が見える。物語の帯はおのずから解ける。

 

 
平中物語(十四)また、この同じ男、友だちどもあまたものして


 また、この同じ男(平中)、友だちらと多数つれだって出かけて、日が暮れたので帰って来るときに、道の途中で、或る人が言った、「名もあるものを、ここらきてや、ただに帰らむ。この花のあかぬにかへることよまむ(評判の場所なのに、この辺りに来て、ただで帰るのだろうか、この花が見ていても飽かないのに帰ることを詠もうよ……色男の・ものもあるのに、ここにきて、ただで帰るのだろうか、この花が飽きないので、返ること詠もうよ)」「げにげに、いはれたり(そうだ、そうだ、言われたとおりだ)」と言って、集まって、先ず、平中、

花にあかでなにかへるらむ女郎花 おほかるのべに寝なましものを

(花に見飽きもしないで、どうして帰るのだろう、女郎花の多くある野辺で、男なら・寝て見つくしてしてしまうだろうになあ……おとこ花に、飽き満ち足りていないのに、どうして帰るのだろう、色男なら・をみな圧し、おおかるのべに、さらに・寝て見尽くしてしまうだろうになあ)

 

言の戯れと言の心

「な…名…評判…汝…親しきもの」「かへる…帰る…返る…繰り返す」。

歌「花…おみなえし…草花…女花…女郎花…をみな圧し…木の花ならば、おとこ花」「へし…圧し…おしつけ」「あかで…見飽きないで…飽き満ち足りないのに」「おほかる…多く有る…おほ狩る」「かる…狩る…猟す…めとる…まぐあう」「のべ…野辺…延べ…延長」「寝なまし…寝てしまうだろう…寝て見尽くすだろう(見…媾…まぐあい)」「な…ぬ…完了した意を表す」「まし…もし何々ならば何々だろう」「ものを…のに…のになあ」。

 

と詠んだのだった。いま(すぐつづいて)かたへの(傍らの…片側の・下手な)人も詠んだのだった。


 

この歌は、古今和歌集 巻第四秋歌上に、平貞文作として載る。歌には「清げな姿」があり、色気のある「心におかしきところ」が、言葉の戯れのうちに顕れる。男たちだけではあるが、公の席でも、おかしさの通用する歌である。

 

同じ巻第四秋歌上には、次のような歌もある。

  

小野美材

をみなへしおほかる野辺に宿りせば あやなくあだの名をやたちなむ

 

「をみなへし」などの歌言葉の戯れと言の心は、平中の歌と同じである。「あだ…徒…婀娜…なまめかしい」「名を…花の名を…評判を…噂を…汝お…おとこ」「たちなむ…(噂が)たってしまうだろう…(ものが)立ってしまうだろう」と心得れば、今の人々にも、この歌の「心におかしきところ」が顕れるはずである。文字ずらだけを辿って行っても、その先に大したおかしみはない。


 

平中物語の原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。歌の漢字かな表記は必ずしも同じではない。



 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。

 

古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。
 もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。