帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第三 賀哀 (百七十七と百七十八)

2012-06-29 00:02:03 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻 第三 賀哀 二十首
(百七十七と百七十八)


 君がため思ふ心の色にいで 松のみどりををりてけるかな

            (百七十七・この歌は群書類従本は欠けている。他本より補う)

 (君の長寿の為と思う心が、色となって、松の常緑を折り活けたことよ……君の所為で、思う心が白色となって、待つ女の初めごろをよ、折ってしまうのねえ)。

 
 言の戯れと言の心
 「ため…為…所為…せい」「色…色彩…かたちあるもの…色情の色」「松…常緑の木…待つ…女」「みどり…緑…若い…はじめ」「を…対象を表す…感嘆詠嘆を表す」「をり…折り…逝き」「て…つ…しまった…て…そうして」「ける…けり…だったったことよ…詠嘆の意を表す」「かな…だなあ…だねえ…感嘆の意を表す」。

 

 歌の清げな姿は、夫君の年齢祝いの為に常緑の松を飾った妻。歌は唯それだけではない 。

 歌の心におかしきところは、夫君への夜ごとの不満をうそぶく妻の心情。


 露をなどはかなきものと思ひけむ 我が身も草におかぬばかりを 
                                   
(百七十八)

 (露をどうしてはかないものと思っていたのだろうか、我が身もまた同じ、草におりないだけだなあ……白露をどうしてはかないものと思っていたのだろうか、我が身も同じ、ひとに贈り置けないほどのお、となったなあ)。


 言の戯れと言の心
 「露…草におりるもの…ほんの少しのもの…すぐ消えるもの…つゆ…おとこ白つゆ」「はかなき…頼りない…よわよわしく心細い」「も…もまた」「草…女」「おかぬ…(露などが)おりない…(白つゆなど贈り)置かない、置けない」「ばかり…だけ…限定する意を表す…ほど…動作・作用の程度を表す」「を…詠嘆を表す…男…おとこ」。


 古今和歌集に「身まかりなんとてよめる」とある、男の辞世の歌。

 
 歌の清げな姿は、露のはかなさにこと寄せた、この世を辞す心。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、我が身のおのはかなさにこと寄せた、夜のことを辞す心情。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。