帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第二 夏冬 (百五十七と百五十八)

2012-06-18 00:08:27 | 古典

  



           帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第二 夏冬 四十首
(百五十七と百五十八)


 常夏の花をし見ればうちはへて すぐす月日のときもしられず 
                                   
(百五十七)

 (常夏の花をよ、見れば、みつづけて、暮らす月日の時の過ぎるのもしらない……床撫づの華、愛し見れば、うちつづけてすごす、尽き引の時もしらない)。


 言の戯れと言の心

 「とこなつ…常夏…撫子の異名…名は戯れる、常撫づ、床撫づ、床にていつくむ」「花…草花…女花…女の華」「をし…強調する意を表す…惜し…執着する…愛し…いとしい」「見…覯…媾…まぐあい」「うちはえて…うち延て…長くつづいて」「すぐす…過ぐす…過ごす…す具す」「す…巣…洲…女」「具す…連れ添う…伴う」「つきひ…月日…突き引…尽き引」「時も知られず…時の過ぎるのも知らない…引き時も知らない」。



 昨日といひ今日とくらしてあすか川 流れてはやき月日なりけり
                                   
(百五十八)

(昨日と言い今日と暮らして明日香川、流れて早い月日だなあ……来の夫と言い、京よと果てて、飛ぶ鳥の川、なかれて早き尽き引だったなあ)。


 言の戯れと言の心

 「きのふ…昨日…来の夫」「けふ…今日…京…山ばの頂上…宮こ…極まったところ…感の極み」「くらす…暮らす…過ごす…果てを迎える」「あすか…明日香…飛鳥…川の名」「鳥…女」「川…女」「ながれて…流れて…泣かれて…汝かれて…おとこ涸れて」「つきひ…月日…突き引…尽き引」。



 歌の清げな姿は、ただ花などを愛でて昨日今日明日と暮らしていると、光陰(月日)矢の如く過ぎてゆくさま。和歌は唯それだけではない。

 
 歌の心におかしきところは、とこ撫づの女の華を見れば尽き引しらない京と、早くも汝涸れて逝くはかない京のありさま。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。