帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第二 夏冬 (百四十五と百四十六)

2012-06-11 00:06:50 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第二 夏冬 四十首
(百四十五と百四十六)


 つれもなき夏の草葉におく露を 命とたのむ蝉のはかなさ 
                                   
(百四十五)

(かかわりもない夏の草葉におりる露を、命の糧とたのむ、蝉の哀れさ……つれない撫づのひとの端に、贈りおく白つゆをわが命と頼む、背身のよわよわしさ)。  


 言の戯れと言の心 
 「つれもなき…何の関わりもない…よそよそしい…無感応の」「なつ…夏…なづ…撫づ…愛しむ」「草…女」「葉…端…身の端」「露…白つゆ…はかなく消えるもの…おとこ白つゆ」「命…命の糧…命そのもの…白つゆはおとこの魂」「たのむ…手飲む…頼む」「せみ…蝉…命短い夏虫…背身…男の身…おとこ」「はかなさ…たよりなさ…よわよわしさ…あわれさ」。



 降る雪は枝にもしばしとまらなむ 花も紅葉も絶えてなきまは 
                                   
(百四十六)

(降る雪は、木の枝にしばし消えずに留まってほしい、花も紅葉も絶えてなき間は……ふる白ゆきは、枝にすこしの間、留まってほしいわ、お花も飽き満ちた色も絶えてなき間としては)


 「ゆき…雪…逝き…おとこ白ゆき」「しばし…しばらく…ほんの少しの間」「なむ…してほしい…相手に希望する意を表す」「花…おとこ花」「もみぢ…秋色…飽き色…飽き満ちた色」「ま…間…女」。



 蝉のはかない命への思いや、冬枯れの木の枝に降りつもる雪の風情が詠まれて、二首とも、ふと聞く限り清げである。

 歌は唯それだけではない。何か事情があって、おとこのさがのはかなさについて、男の自嘲や、女の不満のうそぶきと聞こえるところが、添えられてある。


 藤原公任は、『新撰髄脳』で優れた歌の定義を記したあとに、歌について次のように述べている。


 その形といふは、うち聞き清げに、ゆえありて、歌と聞こえ、もしはめづらしく添えなどしたるなり(歌の形というのは、ふと聞いて清げで、何か事情があり、定型があって、珍しくて愛でるべき事柄が、添えてあったりするのである)。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。