帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第二 夏冬 (百三十三と百三十四)

2012-06-04 00:11:31 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第二 夏冬 四十首
(百三十三と百三十四)


 思ひ出づるときはの山のほとゝぎす からくれなゐのふりでてぞなく 
                                   
(百三十三)

(思いの出づるとき、常盤の山の郭公、唐紅の声ふりしぼって鳴いている……思火出るときはの山ばの、且つ乞うひと、空しい終わらないが、そぶりにでて、泣いている)。


 言の戯れと言の心

 「思ひ…思い…思火…燃える思い」「ときはの山…常盤の山…山の名、名は戯れる、時はの山ば、変わらぬ山ば、女の山ば」「ほととぎす…時鳥…郭公…かつこうと鳴く鳥の名…名は戯れる、ほと伽す、且つ媾、且つ乞う」「鳥…女」「からくれなゐ…唐紅…真っ赤…懸命の思い色…空、暮れない…空しい、終わらない」「ふりでて…(染料など)振り出て…(声など)振りしぼって…素振りなどに出て」「鳴く…泣く」。

 


 冬さむみ凍らぬ夜半はなけれども 吉野の滝は絶ゆるときなき   
                                   
(百三十四)

 (冬が寒いので、凍らない夜中はないけれども、吉野の滝は絶える時なし……冬、心寒くて、こほらない夜半はないけれども、好しのの多気のひとは、絶えることがない)。


 「ふゆ…冬…秋の果て…飽きの果て」「さむみ…寒いので…心が寒いので」「こほらぬ…凍らぬ…子掘らぬ…こ折らぬ」「こ…おとこ」「ほる…掘る…おる…折る…まぐあう」「吉野…所の名、名は戯れる、好しの、良しの」「滝…水…女…多気…多情」。

 


 歌の清げな姿は、常盤の山の郭公の鳴きっぷりと、絶える時のない吉野の滝の景色。和歌は唯それだけではない。


 歌の心におかしきところは、くれない女の思い火と、絶えることのない女の多気、おんなのさが礼讃か揶揄。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。