帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第二 夏冬 (百五十三と百五十四)

2012-06-15 00:06:45 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
 

 紀貫之 新撰和歌集巻第二 夏冬 四十首 (百五十三と百五十四)


 蝉の声きけばかなしな夏衣 うすくや人のならむと思へば 
                                      
(百五十三)

 (蝉の声、聞けば、せつなく愛しいな、夏衣、薄くよ、ひとがなるだろうと思えば……背身の小枝、効けばのち愛おしく哀しいなあ、撫づこころも薄くよ、人がなるだろうと思えば)。


 言の戯れと言の心

 「せみ…蝉…背身…背見」「背…男」「こゑ…声…小枝…おとこ」「きけば…聞けば…効けば…効果あれば…利けば…役立てばその後は」「かなし…愛し…哀し…悲し」「なつ…夏…撫づ…愛しむ」「衣…心身を包むもの…心身の喚喩」「うすく…薄く…薄情に」「人…人々…男…女」。



 けぬがうへにまたも降りしけ春霞 たちなばみ雪まれにこそ見め 
                                      
(百五十四)

 (消えぬ上にまたも降り敷け、春霞が立てば、深雪、稀に見ることになるでしょう……消えない上に復も降り敷け、春が済み、絶ちなば、御ゆき、稀に小そ見るのでしょう)。


 言の戯れと言の心

 「うへに…上に…追加の意を表す…女に」「上…うえ…かみ…女」「しけ…頻け、敷け(命令形)」「春霞…春が済み…春が澄み」「春…春情…張る」「たちなば…立ったならば…絶ちなば…絶えたならば」「みゆき…深雪…見ゆき…身逝き…御おとこ白ゆき」「まれにこそみめ…稀にこそ見め…稀に小ぞ見るでしょう…稀にしか見ないでしょう」「こそ…強調を表す…小ぞ…すこしぞ」「見…覯…媾…まぐあい」。



 歌の清げなところは、薄い夏衣を着る女を艶めかしく愛しいという男心や、頻りに降り敷く雪の風情を愛でる心。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、夏歌はおとこのさがのはかさの自嘲。冬歌は女歌と聞いて、激励か命令か、繰り返し白ゆき降らせという女心。


 同じ言葉が戯れて、意味が異なって聞こえることを実感すれば、あらためて清少納言の言語観の正当なことが確認できる。枕草子第三章で次のように述べた。「おなじことなれども、聞耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。


 同じ言葉でも聞く耳により意味が異なるもの、それが我々(法師、男、女)の言葉である。この言語圏外の人々(外衆)の言葉には、逆に必ず文字の孕む諸々の意味が用いられず余っている。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


 新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。