『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

缶詰は保つ

2009年03月09日 23時29分48秒 | ソウルフード
昨日、賞味期限が2年過ぎた缶詰が食べられるかと試したが、何のことはない、調べたら缶が腐食して空気が入らなければ何十年と保つものらしい。実を言えば、昨日は酷く腹が空いていて、そばを茹でる気力もなく缶詰に手を出したものだから、何だか腹の調子が狂ってしまったのだ。今書いている、近未来シュミレーション小説の世界をリアルにと、空腹を体感するために物を食べずに我慢していた反動だ。とにかく、腹が減っては戦はできぬどころか、気力が失せてしまうということがよくわかりました。とにかく、サバの味噌煮の缶詰、味がまったりして旨かった! 缶詰買い溜めしとこっと。

賞味期限切れ

2009年03月08日 14時07分55秒 | ソウルフード
食品棚の奥から、フタが少々錆びた缶詰が出てきた。防災用に買っておいたサバの味噌煮だった。賞味期限を見ると2007年1月。もう、丸2年過ぎていた。腹が減っていたので、物は試しにとフタを開けてみた。見た目は大丈夫そうだ。匂いを嗅いでみた。おかしくはない。皿に盛り付けてみても変な様子はない。汁をひとしずく舐めて、次にひとかけら食べてみた。意外や旨い。賞味期限もあてにはならないな。腐ってはいないと判断して、ついに食べた。

むかし読んだ、さいとうたかお原作の漫画「サバイバル」を思い出した。近未来に廃墟となった都市で生きる少年の物語だ。食えるものは鳩でもネズミでも何でも食べる。缶詰を発見すれば最高のご馳走だ。そういえば、梅図かずおの「漂流教室」も、どこかわからない世界へ学校ごとワープして、生徒たちが給食を食べ尽くしたあとは、食料探しが日課となっていた記憶がある。

サバの味噌煮を食べて2時間経ったが、今のところ平気だ。缶詰の消費期限はどの位なのだろう。息子が部屋から出てきて、あれ食べたの? 旨かった、サバイバルだよと言うと、呆れた顔をした。作家たるもの、物を書くにはいろいろ試してみねばならないのである。


国会模様2

2009年03月07日 16時00分16秒 | 航海日誌
なんだか、凄い雲行きになって参りましたね。
西松建設の巨額献金事件に絡んだ、民主党小沢代表の公設第一秘書、逮捕。その地検の動きに対して、「国策捜査と言ってもおかしくないと思います」といった発言が、民主党の鳩山さんから、ハッキリ出て、NHKで全国放送された。この国策うんぬんも、表で言っちゃいけない言語だということは皆さんご存じの筈。その禁句が飛び出すほど、今回起こっている事態は凄いことなんですね。小沢代表は、きっぱり「何も問題になるようなことはいたしておりません」。寝不足なのか、目尻に水滴が滲んでいたけど、男の悔し涙のように見えたのは小生だけか。あの涙はゴムのカッパも染み通るぜ。


NYスタイル

2009年03月06日 10時39分01秒 | ソウルフード
今朝のNHKで、ニューヨークの街角風景が映り、男女の一団が路上のゴミ袋をあさっている場面をズームアップ。ニュース解説では、「まだ食べられる食品を拾って食べる体験ツアー」だそうだ。店が破棄する食品類には、まだ賞味期限が切れていないものも数多く含まれ、問題なく食べられるという。昨今のニューヨークでは、この無駄をアピールしようと、ゴミ袋から生きている食べ物を回収して食べる運動が展開されているのだ。その趣旨を理解して、店も警察も黙認しているとか。ツアーで集めた食品を料理して、パーティで締めくくり。乞食もスタイルとなる。さすが、スノッブなNYっ子ですな。東京人にはとても真似できませんね。ま、拾う前に、食べ物は粗末にしてはいけません。米粒を残すと目が潰れるという言い伝えが我々にはありますんで。

国会模様

2009年03月05日 16時58分44秒 | 航海日誌
今日の参院予算委質疑の国会中継で、民主党の森ゆうこ議員が問うた、未曾有の経済危機が及ぼす、生活困窮に対する政府姿勢に対して、「100年に一度といわれる事態を一体どうお考えなんですか」と声を強める場面があった。サブプラ問題の影響は幸い日本には大きな影響を与えていないとの総理発言に対してである。与謝野財務大臣のトーンはグッと低かったが同調答弁で、そう言わざるを得ないのだと、ひと言付け足してほしいものだ。

さらに、基軸通貨であるドルの信任維持のためには、米国債を買い支えなければならないとの総理発言だ。ええ! まだ米国債を買えって? そのために先日クリントンがヒラリ~と飛んできたのである。裏の話では60兆円分といわれる。次いでクリントンが中国を訪問したときに、元建てなら米国債を買ってもいいと発言があったという。なぜ、日本は円建てでなら、といえないのかと森議員が問い詰めたが、答えなどない。その金はどこから出る? 増税。我々国民からだ。サラリーマンは、毎月の給与から自動的に引き落とされるから有無をいわさずだが、その額がガンガン上がったら、もう黙っていられない。消費税も10%どころか、ある時点で30%も想定にあることをご存じですか?

未だに、失業率4.7%といった、まるで固定されたような数値での政策に対しても、こんなことで今後が対応できるのかと森議員が問い掛ける。1929年の世界大恐慌時の失業率は30%を超えた。それを想定していてもおかしくないのだと。私が一昨日、一部抜粋の小説を紹介したが、国会模様を眺めていると、全く冗談ではないといった感を強めるのだ。午後の中継では、長谷川憲正民主党議員の質疑で、かんぽの宿投げ売り問題について、「竹中平蔵・郵政民営化担当大臣が全部仕組んだことでしょ」との発言。最近の国会発言では、タブー枠が外れて、真実がどんどん明るみになっている。「なんちゃって小泉・竹中へんちょこ改革のお陰で」という田中康夫議員の発言が良かったね。今、国会はマジで真剣に面白い。


近未来シュミレーション小説(抜粋)

2009年03月03日 15時55分34秒 | 航海日誌
昨日、お伝えした執筆中の近未来シュミレーション小説の一部をご紹介します。本日、米国最大手保険会社AIGの報道があったように、世界は刻々と事態が悪化していいます。下記の抜粋は、小説ですから話半分か、それにも及ばない架空のものですが、根幹に流れているものは、現実であるとご理解いただければと思います。


             7章(抜粋)

 次にわたしが飛んだ時代は、★一年後だった。ベッドの中の石井洋介が目覚めようとしているところに、すっと入り、いっしょに目覚めた。時計を見る五時五〇分だった。季節は、初夏である。窓カーテンを開けるとすでに外は明るい。薄手のスポーツウエアに着替え、アパートの外階段を駆け下りる。戸山公園まで快調な足取りで駆け、胸に吸い込む新鮮な空気が気持ちいい。石井洋介は、わたしが離れていても、ずっと運動は欠かしていなかったのだ。

 一五分も走っただろうか、次の角からスポーツウエア姿の工藤香織が現れた。洋介が軽く手を上げると、彼女が微笑み、隣に並んで走った。
「もう、いっしょに走って半年ね」
「香織も早くなったよ」
「おかげさまで」
「東京マラソンでいい成績出せるかも」
「完走が目標よ。お先に」
「おいおい、そんなに飛ばすなよ」
 洋介が後を追い、追い越し際に彼女の髪を撫でた。

 戸山公園では決めたとおり、腕立てと腹筋をした。彼女はその横でストレッチ体操で身体をほぐしている。以前なら、この公園には早朝に犬を連れて散歩する老人の姿が多く見られたが、今は人影も少なかった。その代わりに、防災用のテント小屋が周囲の木陰の大半を占拠していた。洋介と香織が汗を拭いていると、そのひとつから、わたしより少し年かさのいった髭ずらの男が現れて、洋介に声を掛けてきた。

「よう、兄ちゃん、あんたら今日も運動か、元気なことでうらやましいね」
「シゲさん、お早う」
「なあ、最近の何か情報はないか」
「そうだな、やっと政府が動くみたい」
「動くって、どう?」
「第何次かの緊急支援対策ってさ」
「またかよ。緊急、緊急って連中は言うだけだな。おれらのような住むとこも食う物もないのが、どんどん増えて、ひでえ世の中になっちまってよ」
「ほんとだね。僕の行ってたコンビニも潰れて。彼女の口利きで臨時雇いになれたけど」
 香織が横で眉をひそめて聞いている。
「なあ、ねえちゃん、なんか俺にも仕事ないもんかね」
「ええ、区でも対策準備に入ってます。でも、職員も半分に減らされているから、この先どうなるか」
「ほんとかい? 役人も仕事にあぶれるようじゃ」
「そう。田舎のある人はほとんど帰郷したわ」
「あんたら走ってなんになる。腹が空くだけだろうが」
「東京マラソンに出るつもりよ」
「そりゃ無理だ。もう、マラソンどころじゃないだろ」
「シゲさん」と洋介が口を挟んだ。「東京マラソンは夢だよ。香織を誘って走り始めた頃は、まだ開催が予定されていたんだ。とにかく僕らは走って体力を養っておくんだよ」
「ま、元気が何よりだな」シゲと呼ばれるホームレスが大きく笑い、朝飯だと言って新聞紙にくるんだ何かを食べ始めた。「こんなものでも、まだ食えるから生きてられる」。そう言い、もぐもぐと口を動かした。
「この次には、何か持ってくるよ」と洋介が言った。
「ああ、頼む。となりの順ちゃんはよ、おれよりも若いのに一昨日亡くなったんだぜ。肺炎だったが、そもそも栄養失調が原因さ」

★――ここで、この時点での日本がどうなっていたのかを、ゼロゼロYとして報告しておきたい。なお、情報源は石井洋介の脳内データからの読み取りを中心としている。

 五〇歳そこそこのシゲと呼ばれるホームレスも、一年前までは歌舞伎町で稼ぎのある男だった。カタギだが何店舗か風俗店を経営し、以前は羽振りもよかった。だが、世情が急変し、客も激減して店が潰れた。田舎のある風俗嬢たちは地方へ帰っていった。アイドル嬢Sちゃんがいたのも、彼の店だった。

 その頃にはすでに多くの企業が倒産し、雇用情勢が悪化して、失業率が一八パーセントに達していた。消費税は一五パーセントだ。余りにも急激にやってきた大恐慌に耐えられる企業も行政もなく、ドミノ倒しのように次々と破綻していったのだ。翌年には、さらに経済状況が悪化し、失業率が三〇パーセントを超えた。残った企業は、食料や生活必需品の製造メーカーなどを除き、操業が半減以下となっていた。経済は混乱をきたし、インフレが加速し、物価が高騰した。米価がみるみる吊り上がり、キロ五千円を超え、卵一個が三百円にもなり、また、金を出しても品物がない。だから闇市が横行するようにもなった。一気に昭和期の戦後状態となったが、その時代を知る者は七〇代より上の人間だ。多くの者にとってはまさに、青天の霹靂と感じる事態に陥ったのである。
 
 デパートは閉店し、街中のコンビニも商店も商売ができないため、店を閉めざるを得なかった。政府は闇市を禁じ、臨時に特定したコンビニ・スーパーでの食料品と日用品の販売を行った。ハイパーインフレーションと呼んでもおかしくないところまで達していたが、政府はどう対処すればいいのか呆然と立ち尽くす状態だった。増税の一途を辿った後、預金封鎖か、赤字国債を帳消しにするデフォルトで国家破綻とするか、いずれの選択にしても、国家非常事態を宣言するのも時間の問題に迫っていたのだ。

 しかし、経済対策よりも何よりも、基本的人権にあるように、国民の生存権を守らねばならない。公営住宅・公共施設の開放と、食料支援だ。緊急対策法案を出したが後手後手となり、対処ができないでいた。昭和期の戦中・戦後という激変の何倍ものスピードで襲った社会崩壊であり、日本国政府が経験したことのない人災である。各地で暴動も起こっていた。自衛隊が出動して何とか抑えていたが、打ち壊しは日常化し、人々は命を繋ぐのに必死な暴徒と化していた。

 東京の公園という公園は、失業者の住処として利用された。当初は毎日、食料配給がなされたが、増え続けるホームレスの数に対応できなくなり、今では一日おきにタイ米雑炊か芋、脱脂粉乳ほどのものが配られている。この戸山公園にも数百人のホームレスが住んでいるが、大半が栄養失調状態におかれていた。東京都がこうした状態になって、二三区からの退去勧告令が出され、郷里のある者や親戚縁者がある者は東京を離れたが、また、地方でも食料難の状況は同じだった。

 昭和から続いた政権は倒れ、新自由独立党が樹立されていたが、看板が変わっただけのことでしかなかった。国会や都議会、県議会でも、昭和以前のように、農林業を第一にすべきだと本気で議論された。江戸時代の幕藩体制に戻すといった極論まで飛び出したが、所詮が机上の空論である。逆戻りすることは不可能だった。もっとも逆戻りできたとしても、生活の成り立ちが全く違うのだ。九割が農民に戻り、一部は家内工業をおこない、薪や炭で暮らすことなど無理である。それを望んでも社会基盤がない。

 二〇世紀半ばからの半世紀で膨れ上がった現代社会は、ズバリ言えば石油と電気の文明だ。一家に一台のクルマ社会と溢れる家電製品。その石油供給がストップしてしまった日本は、自給出来ない国が露呈してしまった。しかし、そうなる以前はほとんど誰も気づいていなかったのだが、石油が途絶えて最も困る事態が起こった。食料自給が出来なくなったのだ。二〇〇九年頃まで、食料自給率は三九パーセントと発表されていた。その数値は生産食料のカロリーを換算したものだった。主食の米の自給率は七〇パーセント以上と言われ、魚介に関しては約六〇パーセントはあるとされた。だが、その数字はまやかしだった。生産に対して必要とされるエネルギー量が加算されていないのだ。機械化されている現代農業は、なにで動いているのか。ガソリンである。また、漁船もガソリンがなければ動かない。石油輸入がストップして、食料生産は一気に何十分の一に転落してしまったのである。

 政府の緊急対策は、備蓄米の放出だったが、総量七〇万トンしかなく、それは国民の一ヶ月分の量でしかなかった。焼け石に水である。しかも全てが放出されたのではなく、二〇万トンは闇に消えていた。政府関係者や一部の富裕層にまわされたのだ。代わりに親交国のタイからタイ米が、国民消費量のほぼ一年分に当たる八〇〇万トン輸入された。それは古米か古々米であり、国産米に慣れ親しんだ舌にはマズイのひと言だったが、すぐにその味にも慣れていった。とにかく腹が満たされれば誰も文句などなかった。


近未来シュミレーション小説

2009年03月02日 20時40分28秒 | 航海日誌
安月給のモテない独身中年サラリーマンが、とあるきっかけから時空を超え、202×年の新宿へ。その世界は、思いも寄らぬブラックな社会となっていた・・・何とか社会構造を変更できないかと、あっちとこっちの時代を行ったり来たり孤軍奮闘する物語・・・

といった小説を執筆中で、只今、半分ほど書き進めています。サブプラ問題から露呈した世界同時不況で、日本もモロに煽りを受け、100年に一度の未曾有の経済危機と叫ばれていますが、このままいくと、いったい世の中どうなるのか・・・といったところからの近未来小説です。ブラックといっても、ペーソス&ユーモア小説風で、笑いながら読んでもらえると思います。でも、やっぱり今の現実が現実だけに、内容はハードなものがありますが。

この秋までには出版に漕ぎ着けたいと思いつつ、しかし版元が決まっているわけではないので未定の話ですが、とにかく筆者も孤軍奮闘であります。この今すぐそこの危機を、回避するシュミレーション小説という新ジャンルかも(笑)


宮古島へ

2009年03月01日 14時27分48秒 | 航海日誌
            水深30mのディープ・ブルー


二十数年来の友人で、私が兄貴と勝手に呼ばせてもらっている方の息子さんK君が、今日から宮古島へ潜りに行っている。島には、これまた私が弟と呼ばせてもらうA君が住んでいて、ダイビングサービスが生業だ。K君は今頃、A君の舟で宮古島の沖にある、幻の大陸とも呼ばれる「八重干瀬(やびじ)」へ行って、潜っているはずだ。そこは延々と続く珊瑚礁の棚で、無数の海洋生物の天国のような場所。K君は、初めて訪れる八重干瀬に感動するだろう。

私も、去年の夏に八重干瀬へ初めて行き、素潜りをして、海中の天然絵巻に夢中になった。子どもの頃からの釣り好きだが、素潜りも好きで、夏は瀬戸内海や日本海で一日中潜って遊んだものだ。だから今でも素潜り派で、写真(八重干瀬/撮影A君)のように海獣よろしく潜っている。バリ島でダイバーの所へ潜って行ったら、驚かれた。本当に海獣と思ったようだ。合気道をやるようになって呼吸法をマスターしたため、深く潜れるようになった。これも思わぬ合気道効果のひとつだ。だから、K君にも合気道を進めている。好きな物をすすめるのが私のクセである。

昨日の記事で、釣りバカの話をした。釣りを合気道に替えても、やはりバカがつく。今日も朝から稽古してきた。心身がすっきりして気持ちいいのです。読者の方から、「好奇心に忠実なんでしょう」とお褒めの?コメントを頂いた。誰にも、好奇心はあるはずだ。その好奇心を発揮するには、まず、体験して感動するといいと思う。すると、また感動したくなって、感動の連鎖反応を繰り返しているうちに・・・知らぬ間に、バカ貝※が背中にくっついている。K君の宮古島体験のみやげ話が楽しみなのです。ホラ、バカ貝が背中についてるぜ!

※バカ貝:ヤリ貝科ヤリガイの亜種で、分布は日本全地域。その名は、ヤリガイと知らず、とことんヤリ通す習性から付けられたもの。バカ!と呼ばれて喜ぶ特徴がある。