『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

超感覚体験

2009年03月13日 09時29分36秒 | 合氣道のすすめ
3日前の記事で、武道は「居着かない」ことを旨とすると書いた。そのことを痛感した筆者の体験談。近所を歩いていたときのこと、交差点で進行方向が青になっていたので、進んだ。ただ、交差点の左角は建物の壁で視界が全く閉ざされていた。左から自転車が飛び出して来た。瞬間、身体をかわした。と同時に、自転車が転倒しないように腕で抑えていた。その自転車に乗っていた少年がキョトンとした目をした。説明すると長いが、その間、ほんの1,2秒か。

何も考えることなく、身体がそう動いていた。自分もふしぎな感覚だったが、なるほどと納得した。避けなければモロにぶつかりケガをしていたし、避けたままだと少年が驚いて転倒していた。その両方を一瞬で解決していた。自慢話に聞こえるかもしれないが、合気道の身体感覚というものをお伝えしたいのだ。居着かない(固まらない)から、動け、いかようにも成るという話である。つまり、居着かないとは、放心ではなく、無心状態ともいえようか。

合気道開祖・植芝盛平翁には、すごい逸話がある。大正末期、大本教の出口王仁三郎に随行して満州に渡った折、張作霖の討伐軍からの攻撃を受けた。夜中の発砲でどこから玉が飛んでくるのかわからない。その時、先頭に立った開祖は、ひょいひょいと玉を除けていたという。蛍の火のようなのがふわふわ飛んで来るから、それを除けたまでと語ったという。ここまでくると、未知の領域である。

この超感覚は、映画のマトリックスで主人公が攻撃を受けた途端、スローモーションになる場面があるが、それと酷似する。時間が間延びしたようにゆっくりとなり、動いている。事故で何メートルも吹っ飛ばされる最中にスローモーション感覚を体験したという話を聞くが、それも同じことだろう。とにかく、時間感覚というものは不思議であるが、合気道を含め、武道を修練していると、どうもそういった身体能力が開花するようである。