パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

摩氣神社

2021年02月11日 | 日記
今では少なくなってきた茅葺の社殿のある「摩氣(まき)神社」の参拝に行ってきました。
京都縦貫道、「八木西IC」から国道9号線に、園部市街を経て、山間の「竹井」集落の胎金寺山の山麓にあります。

説明板によると
『摩氣神社は「延喜式」神名帳にその名がみえ、船井郡の名神大社と
記されている。摩氣郷十一ヶ村の総社とされ、本殿は北を向いて建
照られている。永歴三年(1079)白河天皇が当社に行幸された折、
社殿一円修造の上、「船井第一摩氣大社」の勅額を賜ったと伝えられ
る。江戸時代には園部藩主小出氏の累代の祈願所となった。宝暦十一
年(1761)に火災に遭ったが、その六年後には、藩主小出英持に
よって本殿・摂社などが再建された。
 当神社の主な例祭は、六月に行われる「お田植祭り」や十月中旬に
行われる「神幸祭」などがある。』

祭神 大御饌津彦命(おおみつけひこのみこと)
    天児屋根命の御子神・天押雲根命の別称 水や食物を司る神



  
石造明神鳥居と扁額「式内 摩氣神社」 石標

 
神門・拝殿・本殿

神門の扁額「咸寧(かんねい)」

 
神門から拝殿を望む


神門を内側から


神門之記

『文化五年四月(1808年)園部藩主小出英筠公再建するところで昭和四十四年より百六十一年前である
楼門の形式になってはいるが二階でなく木組等は唐様の流れを受ける和様(鎌倉時代)で全国的に見られる
奈良時代から発達した寺院建築様式である
肘木の組み、尾垂木、木鼻等見事で、特に三つの大虹梁(頂門)の唐草、波紋様の彫刻及び八つの蟇股の
彫刻は各々異り華麗で重厚さがある。
棟高九米五〇、外柱間の間口七,三米、奥行三,七米、建坪三十二坪、柱丈四.一〇米で、京都府下郡部
神社では珍しいそして壮大な神門である。』

 
拝殿手前左右の狛犬


拝殿 
梁行三間、桁行二間、入母屋造平入茅葺
(昭和初期に再建)


本殿・西摂社

  
本殿 一間社流造杮葺
 園部藩主小出英持による明和4年の再建時の建物で、一間社の社殿としては丹波地方のみならず京都府下においても最大規模のもの。
虹梁や木鼻(きばな)等の絵様は同時代のものと比べると質素で、それ以前の伝統的な手法を受け継いだものとなっている。
妻飾りは二重虹梁を構え、大瓶束(たいへいづか)に水流形の笈形(おいがた)をあしらって見所をつくっている。
虹梁を持ち出さない形式には両丹地方に共通する様式も認められる。大工は播州加東郡嶋村の者。
切妻造平入茅葺の覆屋が懸かり、覆屋を含めて京都府指定文化財。



本殿覆屋


東摂社
切妻造平入杮葺 梁桁二間 切妻造平入茅の覆屋が懸かる
祭神 山王大社 八幡宮(大坪) 八幡宮(西山)  恵比須神社(下新江) 八幡宮(船阪) 葛城神社(口八田)

 
西摂社 西側面
切妻造平入杮葺 梁桁二間 切妻造平入茅の覆屋が懸かる
祭神  月読  若宮神社・三輪神社(横田) 加茂神社(大村) 熊野神社(黒田) 菅原神社(穴人) 大森神社(半田)


絵馬舎(旧拝殿)
梁行一間、桁行二間、入母屋造妻入茅葺、板敷き吹放し
(移築時に屋根は鉄板に葺き替え)

境内末社





塞神社 琴平神社             山王神社 稲荷神社


御朱印


園部藩主の祈願所として参拝時に渡った園部川に架かる摩氣橋


橋のたもとの燈籠


神社への参道

おまけ

猿が出没して、日向ぼっこしていました。
時には、群れをなして餌をあさりに来るとか。

  
  
鬼互


東摂社、西摂社のご祭神については表札の判読ができていませんので正確ではないかも。
「摩氣郷十一ケ村の総鎮守」として祀られているものと思えます。

(Wikipedia参照)


なお、拝殿のかやぶき屋根が十数年ぶりにふき替えられ、3月上旬に作業が始まる予定とのこと。
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