パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

奈良公園・天神社

2022年06月16日 | 日記
飛火野から荒池辺りを散策していると「天神社」がありました。
興福寺境内、春日大社参道・・・ここに「天神社」があるとは。
小高い丘?山?の上に建立されているので、
観光で訪れる方には目に触れることが少なそうです。


天神社略縁起

 
正面の鳥居 

  
中門 と玉垣  中門には「天満 天神社」と表記

 
中門の左右の狛犬獅子


狛犬ならぬ「狛牛」?

 

  
拝殿と左右の狛犬獅子

 
拝殿から本殿を参拝

 
本殿横側            神楽殿


境内に住吉社・祓戸社・稲荷社・秋葉社・柿本社などの末社
  
浅間社         秋葉社

  
  柿本社             池          住吉社       

 
稲荷社          総霊社

 
裏参道の鳥居        東門

  
          東西の参道坂道       遠方には「頭塔」が

天神社について
 草 創  承保5年(1078年)
 御祭神  少彦名命    別名「手間天神'(てまのあまつがみ)」
  相殿  菅原道真公

瑜伽神社が近くにあります。飛鳥神奈備が平城奠都とともにこの地に移り、
この周辺を「平城の飛鳥」と呼んだという。
瑜伽神社、もとは元興寺禅定院の鬼門除鎮守の社で、
後に興福寺大乗院が山麓に建ち、その守護神として藤原氏等の崇敬を受けたところ。
ところで、この奈良天神社の後日談となりますが、高台にある神社・・・
実は、この辺りの丘陵に「丘城」が築かれていた場所だと知りました。

気に留めていなかったのですが、「呉座勇一著・応仁の乱」に記述されていました。
奈良ホテルが建っている場所に「鬼薗山城(きおんざんじょう)」
今では道路を挟んで「西方院山城(さいほういんざんじょう)」が築かれていたとのこと。
応仁の乱」の産物だったらしい。
「鬼薗山城」は、現在遺跡としては残されていないが、荒池からホテルの建物をみると
お城が想像できそうです。
(荒池は後年灌水用につくられたもので、当時は崖の上の城)
応仁の乱の大和での戦場となり、興福寺大乗院の境内にあり、城の争奪戦の後、廃城。

他方、「西方院山城」は「鬼薗山城」の東、瑜伽神社の裏山に。
別名「瑜伽山城(ゆうがざんじょう)」とも言われ、曲輪、土塁、堀切、空堀が残っている。
城マニア以外の者には知られていないはずで、存城期間は僅か「3日間」。

瑜伽神社には改めて参拝し、「西方院山城」跡にも足を伸ばしたいと思っています。






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