パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

「鬼くすべ」?

2017年04月19日 | 日記
毎年4月18日に謹修される、山崎・天王山の中腹にある「寶積寺(ほうしょうじ)・通称 寶寺」の法要で、
「大厄除追儺式」のことです。

先ず、「寶積寺」について
宗 派 真言宗智山派 総本山「智積院」
山 号 銭原山
寺 号 寶積寺
本 尊 十一面観世音菩薩
沿 革 参拝の栞より
    




ご朱印

  
「十一面観世音菩薩」        「龍神傳来」        「閻魔大王」

鬼くすべは、大厄除追儺式です。
奈良時代に疫病が流行り、煙により疫病を鎮めたと言われています。
また、昔の災いの象徴として鬼をおそれ、退散を願う為に煙で燻りだした事から、
「鬼くすべ」と言われるようです。
鴨居に75個の鏡餅を懸け、檜葉(ひば)を燻べ、
桃の弓、蓬の矢で悪い鬼を追い出します。
開祖行基より1260余年間続いている儀式と言われています。
今の鬼くすべは、厄除け・無病息災・家内安全を祈って行われています。
閉め切られた堂内の煙で、鬼だけでなく、参詣者も厄を取り除くとともに、
心の内に潜む邪心、良くない心も燻べられ追い出す意味もあるのでしょうね。


参道から山門(仁王門)を潜り本堂へ

参道案内には大黒天神の小槌    天王山登口で昇り坂


参道途中に「大念寺」への急な階段  山門まで最後の石畳階段(振り返る)


山 門            「仁王門」の扁額


左「吽形」、右「阿形」の仁王像


五重塔           秀吉が一夜で築いたとのこと

 


参 道                    本 堂


本堂に掲げられた次第

        大厄除追儺式 法要式次第
         先 上堂
         次 吹螺
         次 着座
         次 酒盛
         次 謡曲
         次 導師登礼盤
         次 尊供
         次 祭文
         次 三礼
         次 如来唄
         次 九条錫杖
         次 吹螺
         次 観音経
         次 吹螺
         次 心経
         次 諸真言
         次 鬼加持
         次 導師下礼盤
         次 導師 鬼 福男 七福神
                 本堂御寶前***     
         次 追儺
         次 出道場

        これより本堂正面
         次 追儺
         次 鬼出山門
         次 閉門 再び 開門
         次 導師 信徒加持
         次 福餠撒き
         次 観音経偈文 吹螺 慈枝咒
         次 退堂
         次 集会の閉に至る
         次 散会

         平成二十九年丁酉
         大厄除追儺式勤修畢

 
本堂内陣の護摩壇と礼盤         本尊「十一面観世音菩薩」

 
本堂内陣左               本堂内陣右

 
法要の法具               「祭文」


酒盛に準備された勅使席の杯        内陣に懸けられた75個の鏡餅

赤、青2、黄2の鬼の面を付けた5名が、いったん宝積寺の門を出て整列して待機します。
一旦、門を閉めた後に、鬼くすべが始まり、外から、門をたたくと門が開かれ、
法螺貝を鳴らした山伏の後を鬼達の列が本堂に向かいます。


鬼の入堂                               導師礼盤着座


尊供             祭文            護摩供             読経


読経と護摩       大団扇で堂内に煙拡散          鬼加持


鬼加持                               松明着火


鬼は松明を持って本堂から出ていき、山門の外に退散


住職のご挨拶  本堂回廊の左手に年男、右手に七福神が餅撒きに勢ぞろい

 
「健康・智慧・財産」の福種  赤、白、緑(蓬)のお餅が、住職、七福神、福男、福女の皆様から撒かれます

 
三福種餅と枡


参拝の皆さんは福を頂いて散会


  
鬼の持っていた松明    鴨居に懸かっていた鏡餅    牛王宝印の護符

鴨居に懸かっていた鏡餅とは、
悪鬼は竹に挟んで鴨居に掛けてある75個の餅に写る自身の姿に驚き、
悔い改め、退散するという特異な儀式です。(鏡餅の起源?)

 
小槌宮                         扁額「小槌宮」
一般に財宝を打ち出す小槌(打出の小槌)と云われますが、当寺は、打出と小槌がそれぞれあり、
つまり、打出は弁財天神、小槌は大黒天神の如意御神器であります。
「小槌宮」には「大黒天神」が祀られています(参拝案内より)


 
親子の狛犬                      玉を持つ狛犬

  
屋根の上にも狛犬が一対

 
打出の弁財天神の社殿は池の中央     桜守・佐野藤右衛門氏苗床より移植の枝垂れ桜

 
亀の注水口をもつ手水舎                秀吉が座ったと伝わる「出世石」

 
良縁成就「待宵の鐘」(室町時代の1519年、大山崎・松田宗誠寄進)


鎌倉時代の石造五重塔(積み重なって?九重塔が実像)



《おまけ》 
追儺式の行われる内陣に「勅使」の席が設けられており…何故なのかなと。
やはり、山崎という土地から「四角四堺(境)祭」との関わりとみてもいいのかもしれない。

(詳しいブログより)
大内裏の四隅で「四角祭」、都に通じる山崎・逢坂・和迩(龍花)・大江(大枝)では、
陰陽師によって外部から侵入する悪霊・疫病を祓う四堺(境)祭が行われ、
祭祀には陰陽寮の役人と勅使には滝口があてられたとあります。

陰陽道により東北が鬼門とされてからも、古くから我国では
西北に黄泉の国があるとされ、不吉な方角と恐れられ、
丹波・山城国境の大江が四堺(境)祭の最も重要な祭場でした。
祭は日没から夜にかけて行われ、祭壇に供えられた酒、米、魚、貝、鮑、塩等が、
疫神にふるまわれ陰陽師が災厄を除く儀式を行い、
途中放した鶏の鳴き声で疫神を退散させ、都に入るのを防ぎました。

「鬼くすべ」は祭文の中に疫神祓がうたわれ、
毘沙門天の代わりに大黒天が出るなど多少形は変わってきていますが、
四堺祭を今日まで受けついだ祭礼のようです。