パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

福智院拝観Ⅱ

2016年10月20日 | 日記
福智院拝観では2体の仏像について記しましたが堂内は撮影できませんでした。
境内の写真を撮りましたのでⅡとして雑記帳に記します。

 
福智院外観            山門(正面入口)


「福智院御所跡」石碑

  
大乗院門跡地蔵堂の頃の集められた五輪塔、石仏           白い大理石の称名観音

  
道祖神のような石仏・お地蔵さん               シュウメイギク

 
本堂正面               扁額 

 
    本堂の説明書      (クリック拡大)

 
勝軍地蔵尊
甲冑を身につけ、武器を持った姿で馬に乗った地蔵尊です。
御供は毘沙門天尊と不動尊だとか。これに念ずれば、
   戦いに勝ち、宿業・飢饉(ききん)などを免れるといわれています。
福智院伽藍古絵図によると、福智院敷地境界の四隅に勝軍地蔵の祠が描かれています。

勝軍地蔵とは、元は坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、
鎧を着けた地蔵菩薩を作って戦勝を祈願したのが始まりで、
足利尊氏も信仰していたと言われ、鎌倉時代以降に
武家に信仰されたそうで、鎧地蔵とも呼ばれています。


  
  開祖玄昉僧正顕彰碑 (クリック拡大)

 
地蔵尊立像の手水    路から見た本堂
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福智院拝観

2016年10月20日 | 日記
巡る奈良「祈りの回廊」特別公開で福智院へ参拝してきました。
福智院は聖武天皇の御世に、僧玄昉が建立した清水寺の遺鉢を受けた寺として、受け継がれてきました。
南都清冷山、福智院は奈良公園の南端に位置し、『真言律宗」(総本山 西大寺)に属しています。
もとは興福寺大乗院の地蔵堂で、古来南都における地蔵信仰の霊場でした。


(クリック拡大)
福智院と言えば「地蔵大仏」            

本尊の地蔵菩薩坐像は、桧の寄木造りの上に漆を塗り重ね、
その上に彩色が施されていました。
右手に錫杖を執り、左手に宝珠を捧げ、右足を安座にした丈六(2.73m)の座像で、
宜字座(1.60m)の上に、舟型の光背(5.03m)一ぱいに小形の化仏をつけた、
千仏光背を背負っている。
台座からの総高は6.76mもあり、どっしりとした南都特有の鎌倉彫刻で、
気魄に満ちた御本尊は慈相をたたえて鎮座されております。
像内の墨書などにより、1203年(建仁3年)に福智庄(現奈良市下狭川町付近)
で造られ、1254年(建長6年)に当地に遷されたと考えられます。
千体仏舟型挙身光背で、二重円相部には、頂上に不空成就如来(釈迦と同体)、
左右三躰ずつ、六体の地蔵菩薩像(六地蔵)、
最下部左右に二体の冥官座像があり、諸定、諸地獄を決定する閻魔王と太山王の二王で、
周縁部の光背千体地蔵は、簡略化した造りであるが、びっしりと隙間を埋めるように
並べられた化仏が迫力を倶なって圧倒されそうです。
仏像の光背に多数の化仏を表すことは、その仏の功徳や世界観を表すものとして、
経本には説かれているが、それを造像に表現することは現存例としては少なく、
地蔵尊としては、福智院の本尊が唯一であります。
光背の化仏は560体、六地蔵と本尊を入れると全部で567体であり、
釈迦滅後、56億7千万年の後に下生すると云う弥勒の信仰に付合し、
私達に大きなロマンを与えてくださいます。(福地院のHPより)

地蔵菩薩は立像が多いのですが大仏地蔵は、右足を前に出した「安坐」に
台座は、菩薩に多い「蓮華座(蓮の花が開いた形)」ではなく、
裾が台座に垂れ下がる「裳懸座(もかけざ)」に、
お地蔵さまなのに「光背」を背負っていることなど、
地蔵菩薩ですが如来を思わせる座像です。

台座とは文字どおり 仏様が座っている台のことです。
仏教で仏様のおられる極楽浄土には、蓮の花が咲いているとされていますので、
その上におすわりになっている姿が図像として多く形作られるわけです
岩や木株などに座られているものもありますが、あまり多くありません。
多く用いられている台座は蓮華座です

 *蓮華座
   蓮の花は 池の水面から茎を伸ばして立ち上がるように咲きます。
   (睡蓮は 水上に花が浮いているものです)
   蓮華座はさまざまな形のものがあり、定型というもいのはありません。
   大蔵教という教本に儀軌というものがあり、 
   そこにいろいろな仏様の形が記されています。
   容姿はもとより、居られる場所や持ち物が記されています。
   それをもとに仏像は作られていますが、
   仏像の注文主の好みであるとか、当時の流行であるとかが加味されて、
   様々な形が作られていきました。
   蓮華座には如来像が座られるようです。

 *宣字座
  宣字座とは 蓮の花の形をしておらず四角い箱であったり、八角だったりする台をいいます。
  「宣」という字に似ているので、この名前になりました。
  多くは台座に、御仏の衣が垂れ下がっています。
   そういったものを、別に裳掛座(もかけざ)といいます。
   裳掛座は二種類に分けられます。
① 仏様の衣が長く台座の周りに広がっているもの
② テーブルクロスのように布がしかれているもの
(HP 「美は祈りから 私の古美術覚書き」より一部抜粋編集)
 
拝観案内の表紙には、三重県亀山市の関地蔵院で一休和尚が、
「釈迦はすぎ 弥勒はいまだ 出ぬ間の かかる憂き世に 目あかしめ地蔵」
と詠まれた和歌が記されているように、
釈迦如来は涅槃に入り、56億7千万年後に下生する「弥勒仏」までの無仏(来法)の時代、
迷いと苦悩に満ちたこの世をお地蔵さまがこの世を見守り、救済して下さる。
地蔵大仏はそれを仏像として表現しているそうです。

道祖神信仰と結びつき、町外れや辻に「町の結界の守護神」として建てられ、
町角のあちこちに見かける「お地蔵さん」は、絵本、童謡などで、小さな子供でも知っており
夏の「地蔵盆」は、町内会の一大イベントで子供の楽しみでした。
庶民に最も身近な仏様なのですが、凄い「仏さま」なんだと再認識しました。

「宝冠十一面観音菩薩立像」

秘仏特別公開の「宝冠十一面観音菩薩立像」 特別公開の御朱印 



御朱印に押印された「マカラ宝印」
この宝印は福智院伝来の印で、他に類を見ることが出来ない珍しいものです。
これは 「マカラ」(サンスクリット語で「鰐」の意)と呼ばれ、
鰐、象、龍の複合した神話上の聖獣で巨大な渦を胴としています。
印の真中に「卍」がありこれはお釈迦様の胸などに表される瑞兆の相で、
吉祥のしるしとして用いられます。
聖獣が葺き出す巨大な渦によってあまねく世界に仏法による
吉祥の兆しが行き渡るようにと願って造られたものです。
本堂内陣と山門の幕に寺紋として用いられています。

     
            寺紋            マカラ宝印  (福智院のHPより)



可愛い秋バージョンの御朱印
(中央の宝印に注目)
おさらい
福智院ってどんなお寺?

福智院拝観案内





 
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