知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『日本の城郭 016(仙台城(青葉城は雅称)政宗は江戸幕府に忖度)』 『歴史に「タラレバ」はありませんが、政宗が家康より二十年早く生まれていたら、凄い歴史が展開したかと想いたくもあり!』

2024-05-12 23:10:38 | 寺院・仏閣・神社・お社
『日本の城郭 016(仙台城(青葉城は雅称)政宗は江戸幕府に忖度)』

『歴史に「タラレバ」はありませんが、政宗が家康より二十年早く生まれていたら、凄い歴史が展開したかと想いたくもあり!』

『NHKの「日本最強の城スペシャル」でみた、「奥州の独眼竜」で傾奇者の伊達政宗の「仙台城」の縄張りと総構えは精一杯か?』

隻眼の武将として「独眼竜」の名で知られる仙台藩初代藩主「伊達政宗」。 織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった天下統一の立役者らの子の世代にあたり、生まれてきた時期が遅かったことを嘆いたと伝わっています。

伊達政宗
 生誕1567/09/05
死没1936/06/27(享年71) 

徳川家康
 生誕1543/01/31
死没1616/06/01(享年75)

『NHKの日本最強の城スペシャル・初夏に行きたくなる城を大特集!』
l  フォトジェニックな城として、天守群が映える松山城。
l  名橋とのコラボが美しい岩国城。
l  東海道から眺める掛川城。
l  天然要害の要塞として小諸城・臼杵城(陸繋島の)が登場。
l  アウトドア派にオススメな城は、山城をVRで楽しめる飯盛城。
l  独眼竜政宗の居城・仙台城。
のセンセーショナルな紹介に魅せられて、しっかりと視聴しました。

傘寿プラスのブログの2番バッターは「独眼竜政宗の居城・仙台城」です。
伊達政宗は、関ヶ原の戦いの後、徳川家康の許しを得て千代に居城を移すことにした。 従って天守閣は当然築かれておりません。 1600年(慶長5年)12月、政宗は青葉山に登って縄張りを開始。 地名を千代から仙臺(新字体:仙台)と改めた。(この時はすでに、天下を狙うのはあきらめたか?)

城郭の規模の比較では、
城郭の規模を表すのに、縄張りの総延長があります。 惣構えは城の一番外側と言えるので、その総延長距離は、1位は 江戸城、約17㎞ です。 2位は 小田原城、約9㎞ です。 3位は 大阪城で、約8㎞ です。 これらに迫るスケールの城郭は名古屋城、姫路城、駿府城などで、約6-7㎞ですが、これらに比較すると随分遠慮して築城されたのは仙台城で、約4㎞です。

在りし日の大手門(出展:仙台二中二高百年史、宮城県仙台市川内、青葉城二ノ丸大手門)
 
ウエブ情報から引用
江戸城の大手門との比較は今ではできませんが、流石に立派です。

慶長年間に伊達政宗が築城してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。 二代藩主伊達忠宗の代に完成した仙台城は約2万坪(江戸城31万坪で、大筒に備えた)で、大藩にふさわしい大規模な城ではあったが、天下普請の城には比較もできない。

仙台が新しい本拠地に選ばれた理由として、
  1. 仙台付近は陸路が東海道の延長上にある「海道」とかつての東山道に由来する「山道」が合流し、水路は名取川・広瀬川を経由して閖上などの港から太平洋に通じるなど交通の要所であったこと。
  2. 岩出山城を居城に定めたのは豊臣政権の伊達氏を封じ込める政策によって一方的に決められた城であったこと。
  3. 関ヶ原の戦いの際に徳川家康と約束されたと言われている「百万石の御墨付」が実現されていた場合(置賜郡・伊達郡など7郡が政宗に与えられた場合)、岩出山城は新しい領国の中で北に偏り過ぎていたこと。
が、あったとみられている。

政宗が築いた仙台城は、本丸と西の丸からなる山城であり、天守台はあるが天守は持たなかった。 これらの点で時代の流行に背を向けたが、結果として仙台城は、ビスカイノをして『日本の最も勝れ、又最も堅固なるものの一つ』と言わしめるほど、同時代に比類ない堅城となった。

やはり、伊達政宗は『歴史に「タラレバ」はありませんが、政宗が家康より二十年早く生まれていたら、凄い歴史が展開したかと想いたくもあり!』と、『タラレバ』に思いを馳せます。
(記事投稿日:2024/05/12 #746)
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