『東日本大震災で被災の千葉県旭市に「おひさまテラス」オープン』
『海岸から2㎞、海抜9mに公共の複合施設が完成、津波への備え』
先日(2022/04/20)NHK 千葉 NEWS WEBで見ました。
津波被害の旭市に交流施設『おひさまテラス「千葉県旭市イ4337番地」、通称イオンタウン旭 2階』が完成。 東日本大震災で大きな被害を受けた千葉県旭市で中心部の再開発が進む中、交流施設が完成しオープンを前に報道機関向けの内覧会が開かれました。
千葉県旭市では東日本大震災で高さ7.6mの津波が,押し寄せるなどして16人が犠牲となり、市は津波避難道路のほか、避難道路につながる3.5ヘクタールの土地に官民が連携して「みらいあさひ」という交流拠点の建設を進めています。
このうち、「おひさまテラス」と名付けられた施設が完成し今月23日のオープンを前に19 日報道機関向けの内覧会が開かれました。 「おひさまテラス」にはおよそ6,000 冊を蔵書する図書スペースや雨の日でも子どもたちを遊ばせることができる屋内公園が設けられています。
また、コロナ禍で増えた在宅勤務に対応するためのコワーキングスペースやシェアオフィスなども設けられ、ビジネスの拠点として利用することもできます。
「おひさまテラス」の責任者の永井大輔さんは「市民の声を元にして作った施設なので、多くの方に利用してもらいたい」と話しています。
「みらいあさひ」には、今後、特別養護老人ホームや住宅の建設も予定されていて、市は、幅広い世代に利用してもらい人口減少の対策や移住者の定住につなげたいとしています。
「おひさまテラス」
ウエブ情報から引用
- カフェレストラン:地元の食材使用
- キッチンスタジオ:フードビジネスの開発拠点
- パーティールーム:各種パーティーに使用
- クラフトルーム:工作を通じてコミュニティ形成
- Art & Craft Public:クラフトルームの拡張スペース
- ダンス スタジオ:子供から高齢者まで使用
- 音楽スタジオ:子供から高齢者まで使用
- ベビーキャンプ:未就学児童の一時預かり
- Playing Public:子供の遊び場
- Business Public:スモールビジネス支援拠点
- パレット ルーム:各種会議やプレン全テーションの場
- Growing Public:子育てサポート
- Learning Public:「学び」をテーマとしたパブリックスペース
- Mirai Public:フリー・オープンスペース
- おひさまライブラリー:施設内の間仕切りを本棚に
- ルーフガーデン:農園兼レストスペースとして活用
歌川広重画『上総 矢さしが浦 通名九十九里』
(「おひさまテラス」は矢指ケ浦海水浴場から2㎞内陸に)
ウキペデイア情報から引用
「おひさまテラス」は九十九里海岸の北東部に位置する旭市の、ほぼ中央になります。 『いざ津波』に大きな備えになります。
余談脱線ですが、この「おひさまテラス」との比較でハコモノ行政を思い出しました。
『国や地方公共団体など行政機関が行った公共事業のなかには、施設や建造物の整備(設置すること)そのものが目的になり、計画や運用で本来明確にすべき「それを何に利用するか」や「どのように活用するか」が十分に検討されないまま事業を進めた結果、整備された施設が有効に活用されないばかりか維持管理の後年度負担が財政に悪影響を及ぼす非効率で無駄な事業となる事例が見られる。 このように資材や機材を投入して建設することが第一義となり事業の便益を考慮しない行政手法を批判的に述べた用語で、そのような経緯で建設された施設を箱物と呼ぶことに由来する。 過度にインフラストラクチャー整備に重点を置く行政姿勢を批判する視点からの言葉である。』
この種の、災害時に役立つ多機能建造物がさらに設置されることを期待して、旭市(飯岡)襲った過去の地震津波を、備忘録にしました。
東日本地震(飯岡津波)
10年前の東日本大震災で飯岡も被災し、旭市(飯岡)では14人が犠牲になった。 「この浜に津波は来ねえ」と漁師までもが言っていたために、津波を見に行って命を落とした夫婦もいた。
『2011年3月11日の東北地方三陸沖地震の飯岡津波の被害が、「入り江もなく遠浅」の飯岡海岸で、大きかったのは、津波の第一波が九十九里の西端の大東岬で反射し、その反射波(というより、むしろ海岸流が正しい、土地の人々が津波は西からも来たといった)と第三波(東から来た)が飯岡港沖でぶつかり合成波になり、波高7.6ⅿにもなった。 一般に、津波の合成波は,岸とは平行になりますが、飯岡の場合は、ほぼ直角でした。 この合成波は、幅が狭く、合成部分が盛り上がり、飯岡津波の被害は下永井地区の狭い範囲に集中した。
地震津波の合成波が飯岡津波のケースのように起こることは「稀有」のことと、いまだに信じています。 飯岡津波の合成波再発がないことを祈っています。』
『神社や寺に伝わる古文書には、元禄年間に大津波があって、70人以上の犠牲者がこの浜から出たことが記されていた。 それが今に伝わっていなかったことに地域のNPO法人「光と風」の人たちは衝撃を受けた。 耳で聞く方言だけなく、目で見る言葉にも親しむ風土にしなければと壮大で必死な夢が語られたのだった。』
今回の飯岡津波は、東からと西から(反射波)の津波の合成波が、波高7.6ⅿでしたが、元禄大津波は西からのもので、波高5-6ⅿであったようです。 この元禄地震について調べてみました。
元禄地震
元禄地震は、元禄16年(1703年)12月31日、関東地方を襲った巨大地震。
震源は相模トラフ沿いの、房総半島南端の千葉県の野島崎付近にあたる。M7.9-8.5と推定,元禄大地震と呼ばれる。 大正12年(1923年)に起きた関東大震災と類似のタイプの海溝型地震である上に、震源分布図も類似することから相模トラフ巨大地震と考えられている。
ただし、地殻変動は大正関東地震よりも大きいものであった。 大規模な地盤変動を伴い、震源地にあたる南房総では海底平面が隆起して段丘を形成した元禄段丘が分布し、野島岬は沖合の小島から地続きの岬に変貌したという。
江戸時代中期の元禄から宝永年間は巨大地震、噴火が続発した時期であり、本地震の4年後の宝永4年(1707年)にM8.4-8.6と推定される宝永地震、および宝永大噴火も発生している。
旧飯岡町(現旭市)の死者は三ヶ所の浜(下永井浜、飯岡浜、平松行内浜)で70余人と記録がある。
『天災は忘れたころにやってくる』を肝に銘じて、相模トラフ巨大地震や首都圏直下型地震に備えたいと思います。
(記事投稿日:2022/04/23、#524)