『運河のこと 1(大運河・京杭大運河 vs スエズ運河 vs パナマ運河)』
ー南船北馬の中国ですが、この大型の閘門式運河はパナマ運河より大先輩ー
英語の運河(カナル)も、日本語・中国語の運河の意味も、ほぼ同じで、『船舶の航行、灌漑、給排水などのために陸地を、切り開いてつくった人工の水路』、英語のカナルには『管』の意味もある。
世界的に有名な運河には、水平式スエズ運河と、閘門式(ロック式)パナマ運河がある。 規模と歴史から見ても中国の大運河・京杭大運河はスケールが違う。
スエズ運河は、地中海と紅海の海面水位に『差(潮汐による)』ほとんどないので水平にできた。
パナマ運河は大西洋側(海底が急峻)と太平洋側(海底が遠浅)で、海面水位に『差(潮汐による)』が大きく、さらに、パナマ地峡の分水嶺、海抜95ⅿの壁があり、水平式はできなかった。
スエズ運河の中間には、グレートビター湖など4ヶ所の湖があり、パナマ運河の中間には、ガトゥン湖があり、どちらも途中は湖上航行ができる。 ガトゥン湖水を閘門(ロック)に揚水ポンプ不要で流し込む省エネタイプ。 閘門(ロック)には、湖水又は、河川水を使う以外に手はなさそうです。
余談です。
パナマ第二運河の建設プランには、ダイナマイトの代わりに『核爆弾使用案』もあった。 理由はパナマ地峡の分水嶺、海抜95mのカットの大工事であった。
現運河建設当時には、超大型土木機械もなく、この地峡の分水嶺の掘削には、当初は、アフリカ系労働者で進めたが、かなり難航したので中国系労働者の採用で、やっと乗り切れたという背景があった。
ここで、今回の『大運河』と『京杭運河』のウエブ情報です。
『大運河 1,794㎞ 横Y字形』
604年に即位した第2代煬帝は605年、黄河と淮河を結ぶ通済渠(つうさいきょ)を築き、これによって長江から長安に至る運河が貫通した。さらに、長江の南岸から杭州に至る江南河を完成させ、長江デルタ地帯と結びつけた。また608年には黄河と現在の北京付近を結ぶ永済渠を開いた。これは高句麗遠征に利するためのものであった。
大運河の建設には、多数の人民が徴発され、その負担が隋の支配への反発となり、早い滅亡の一因となったとされるが、これらの洛陽を中心点とした「横Y字形」の運河網が、長安・杭州・北京地方を結ぶ動脈となって中国の経済的統一に大きな役割を果たした。また後の元や明・清も運河の整備に力を入れ、現在においてもこれらの大運河網は活用されている。→ 元の大運河
『京杭大運河 2,500㎞』
京杭大運河(けいこうだいうんが)は、中国の北京から杭州までを結ぶ、総延長2500キロメートルに及ぶ大運河である。 途中で、黄河と揚子江を横断(河床勾配が小さいため閘門が不要?要調査)している。 戦国時代より部分的には開削されてきたが、隋の文帝と煬帝がこれを整備した。 これを、さらに元のクビライ・ハーンによって軍事上の要地である琢郡だった大都(後の北京)が結合して、中国統一の基盤が整備された。この元の運河は、その後の歴代王朝でもおおいに活用され、現在も中国の大動脈として利用されている。
中国の国土の広さと、歴史の長さと、『大運河』と『京杭大運河』それぞれのスケールには驚くばかりです。 この超大型運河は、当然ですが水平式と閘門式(ロック式)の複合タイプでした。 正確には、閘門式(ロック式)がはいっているので閘門式(ロック式)です。
南船北馬といわれる中国ですが、この度の大型の閘門式(ロック式)運河については、パナマより中国が大先輩でした。
(20190212纏め #072)
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