知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『「桜田門外の変」今回のNHK歴史探偵で、自分には随分新しい情報が判明、「彦根藩と水戸藩」に一発触発の危機と、そのあとの「第二の忠臣蔵」が回避できたことは幸い』

2024-04-21 15:39:21 | 歴史。日本・中世
『「桜田門外の変」今回のNHK歴史探偵で、自分には随分新しい情報が判明、「彦根藩と水戸藩」に一発触発の危機と、そのあとの「第二の忠臣蔵」が回避できたことは幸い』

『彦根藩の供回り警護60余人に対して襲撃側脱藩浪人と他は18人』

『拳銃コルト18ネービーが3丁準備され、井伊直弼は被弾も、そのあと、籠外からの突きと、引き出されて、斬殺されたと、記録が』

2024/04/10 NHK歴史探偵「桜田門外の変」を視聴しました。 センセーショナルなキャッチフレーズ『桜田門外の変。 新史料が発見され、従来のイメージが大きく変わろうとしている。 井伊直弼暗殺にかかわったピストルと事件直後に起きた内戦の危機。幕末の大事件を調査する。』でした。

白昼堂々と時の最高権力者を襲うという幕末最大の事件である桜田門外の変、この後の政治の流れを大きく変わりました。

井伊邸と桜田門の位置関係 井伊家の屋敷が、距離にして400m桜田門の直ぐ側
 
ウキペデイア情報から引用
安政7年(1860/03/03)、天気は大雪、籠に乗って江戸城に向かう、彦根藩の行列の供回りはおよそ60人、対して、襲撃者は水戸浪士17名と薩摩藩士1名の18人。 井伊直弼は、新心新流の居合の達人で、すごい腕前でした。 水戸浪士には身を潜める方法がありました。

 
大勢の見物人が集まり、見物人のための出店までありました。(江戸時代は、テレビ放送もないので、野次馬根性が凄く、四十七士の討ち入り後の泉岳寺への義士行列も、夜明け前から早朝に、見物がありました。)

ウキペデイア情報から引用
彦根藩行列が見え、水戸藩士のリーダー関鉄之介が、行列を遮るため仲間に指示を出しました。 直訴状を差し出します。 一発の銃声が鳴り響きます。
それを合図に一斉に斬りかかる浪士たち。 彦根藩の行列に異変が起こります。
次々に逃げ出しました。 井伊直弼の籠は置き去りにされました。 『供侍の多くは「アルバイト』だったので、命を捨てるまでの覚悟はありませんでした。』
 人材の斡旋業者のリストまでありました。 60人の行列のうち、半分が逃走し、26人にまで減りました。 ところが、彦根藩の人たちは次々と倒されていきます。寒さで手がかじかみ、刀が抜けず一人ひとり斬られました。
江戸時代のアルバイト
代表例といえば、『参勤交代』。 いわゆる、大名行列ですが、これは各藩も自分達の藩の威信をみせるために、仰々しく、さらに人数も多くみせて自藩の威光などを通る人々に見せ付けていました(江戸城への登場にも同様にアルバイトを)。

当時の、最新型拳銃3丁が準備・使用、拳銃は『コルト18ネービー』
ウエブ情報から引用
桜田門外の変の後、幕府は孝明天皇への歩み寄りを見せるようになります。 幕府も尊王の意思を示すことで、尊王攘夷派の攻撃のかわすためです。 こうして幕府と朝廷(天皇)の歩み寄りが見えるようになると、幕府と朝廷は両者が協力して政治を行う公武合体の政治を目指すことになります。
しかし、いがみ合っていた朝廷(天皇)と幕府が一丸となるのは簡単なことではありません。 なぜなら、朝廷の幕府の考え方は真っ向から対立するものだったからです。

朝廷と幕府の考え方の違い
  • 朝廷(孝明天皇):「開国なんかしないで外国をぶっ倒す」という攘夷派
  • 江戸幕府:「外国と戦争しても勝てないからとりあえず開国しとけ」という開国派
まさに水と油の関係です。この両者を結びつけるために利用されたが孝明天皇の妹『和宮』でした。 和宮を14代将軍の徳川家茂に嫁がせる政略婚を利用することで、ようやく公武合体を実現することになります。
1862年には、公武合体を目指していた老中の安藤信正が坂下門の前で襲撃を受ける事件も起きています。(坂下門外の変)

さらには、これに合わせるかのように攘夷の運動も盛んとなり、1863年には、長州藩と薩摩藩が外国船に砲撃する事件も起きました。 このように桜田門外の変をきっかけに、これまでの『開国して戦争を避ける』という考えから、攘夷の思想へと日本全体が大きくシフトしていくことになりました

表題の『「桜田門外の変」今回のNHK歴史探偵で、自分には随分新しい情報が判明、「彦根藩と水戸藩」に一発触発の危機と、そのあとの「第二の忠臣蔵」が回避できたことは幸い』をもっと調査を続けていきたいと思いました。
(記事投稿日:2024/04/20、#741)


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