goo blog サービス終了のお知らせ 

知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『古大陸文明の石造遺跡と、新大陸文明の石造遺跡の比較に、興味津々 2』 『ヨ-ロッパ中心の歴史は、凄い古代文明あった南北アメリカを新大陸と呼ぶ』

2022-06-18 13:18:28 | 歴史・世界・古代

『古大陸文明の石造遺跡と、新大陸文明の石造遺跡の比較に、興味津々 2』

『ヨ-ロッパ中心の歴史は、凄い古代文明あった南北アメリカを新大陸と呼ぶ』

 

インカ文明(後13世紀~16世紀)のオリャンタイタンボの6枚の屏風岩と、エジプト カイロのシタデル・要塞(後12世紀~14世紀)の比較

 

先ずは、6枚の屏風岩、凄いのは、の巨石の接合方法と運搬方法(切り出した場所から、約300ⅿの引き下ろし、渓流を渡渉、さらに約150ⅿの引き上げ)です。 さらに、この6枚岩のつなぎ目固定用に使われた板状の石板が見事です。 

この石工技術は、一般的には『木工技術ありきファースト』ですがその遺跡はありません。 更に運搬方法がに至っては全く想像もできません。

 

鉄製工具がなく、石製・青銅製工具で、ホゾ穴堀の方が難しく、このつなぎ目の石で、ホゾ穴堀加工で失敗したときに、新規に造り直しが出来るようにした。 この石板でなら百数十キロであり、比較的容易に、新規に造り直しができる。  つまり数十トンの巨石での、ホゾ穴堀加工の『オシャカ』対応をしないで済む。

ウエブ情報から引用

6枚中最大は、高さ4m、幅2.5m、厚さ1m、

6枚中最大は、高さ4m、幅2.5m、厚さ1m、重さ約80トン(加工石)。 

日本にもある石舞台(7世紀、時間差は約1,000年)には、77トンと60トンの天井石が載せられていますが、全く加工はされておらず、無垢の自然石です。

写真に見える、表面の突起は『継ぎ接ぎ(ツギハギ)』用ではなく運搬用の支点でしょうか、これを支点に回転させながら運搬したと言われています。

ウエブ情報から引用

 

同時代の、エジプト カイロのシタデル・要塞(イル・アルア)

 

  ウエブ情報から引用

ウエブ情報から引用

 

今後の調査のために、古大陸の目ソアメリカ文明とアンデス文明(チャビン文明、ワリ文明、モチカ文明、ナスカ文明、ティアワナコ文明、チムー文明、インカ文明)を整理しました。 

メソアメリカ文明『定住で農耕(田畑)あり』分類

文明

特徴

オルメカ文明

(前10世紀〜850年頃)

メキシコ湾岸に栄えた中央アメリカ初の都市文明。 絵文字を使った。 ジャガー神の信仰

テオティワカン文明

(前2世紀〜後6世紀)

メキシコのテオティワカンに栄えた文明。 ピラミッドを造営。 宗教・商業都市の発達。

マヤ・ティカル文明

(6〜14世紀)

ユカタン半島の古代文明。マヤ文字や階段ピラミッドを造営。スペイン人に征服された。

トルテカ文明

(6〜10世紀)

テオティワカン文明後に成立。 後に分散した。 人身供儀の風習。

アステカ文明

(12〜16世紀)

テノチティトランを中心に栄える。 ピラミッドや象形文字、太陽暦を使用。 1521年、コルテスによって滅ぼされた。青銅器文明・都市文明・20進法。

 

アンデス文明『定住で農耕(田畑)あり』分類 

・南米のアンデス山脈一帯には、アンデス文明が成立した。 アンデス文明は、チャビン文明、ワリ文明、モチカ文明、ナスカ文明、ティアワナコ文明、チムー文明、インカ文明などに分けられる。

文明

特徴

チャビン文明

(前1000年頃)

ペルーにおこった古代文明。 アンデス文明のさきがけとなった。

ワリ文明

(500年〜900年頃)

チャビン文化消滅後ペルー中部に栄えた古代文明。

モチカ文明

(100〜800年頃)

チャビン文化の後、ペルーで栄えた古代文明。

ナスカ文明

(1〜8世紀)

ペルーのカワチ遺跡周辺に栄え、地上絵を残した。

ティアワナコ文明

(1〜12世紀)

ボリビアで栄えた古代文明。

チムー文明

(12〜15世紀)

モチカ文明を継承。 インカ帝国に滅ぼされた。

インカ文明

(1200年頃〜1533年)

ケチュア族首都クスコを中心に建国した大帝国。 高度な石造技術と青銅器、キープを使用した。 著名な遺跡がマチュピチュである。1533年、ピサロに滅ぼされた。

古大陸と新大陸の文明の比較はこれからも興味津々です。

(記事投稿日:2022/06/18、#541)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『古大陸文明の石造遺跡と、新大陸文明の石造遺跡の比較に、興味津々 1』 『ヨ-ロッパ中心の歴史は、古代文明のあった南北アメリカを新大陸と呼ぶ』

2022-06-18 10:52:46 | 歴史・世界・古代

『古大陸文明の石造遺跡と、新大陸文明の石造遺跡の比較に、興味津々 1』

ヨ-ロッパ中心の歴史は、古代文明のあった南北アメリカを新大陸と呼ぶ』

古大陸文明と新大陸文明の『差とか、違い』は、そこに、大河川が存在したかが大きい。 大きな水位差のある、定期的に氾濫する大河川の近くでは、必要から『数学・治水』が発達したことの『差とか、違い』があるのではないでしょうか、しかし、天文学は古大陸文明と新大陸文明のどちらでも発達していたようです

古大陸の最古の文明は、前3500年頃、西のユーフラテス川と東のティグリス川という2つの大河川の近くで誕生・発展したメソポタミア文明です。 この影響を受けながら、ナイル川流域に農耕文明が発展したエジプト文明はおよそ前3000年前、欧州各地の巨石文明は、前2500~前2000年頃に始まりました。 やはり、欧州各地の巨石文明は別ですが、文明発祥・発展は、大河川の近くでの『定住・農耕』が最低条件ですが、特例・特別は、日本の縄文文明、『「定住」で採集・狩猟・漁労で、農耕(田畑なし)』との説もあります。 

古さの順に並べてみます。

メソポタミア文明 『定住で農耕(田畑あり)』

エジプト文明   『定住で農耕(田畑あり)』

欧州各地の巨石文明移動で採集・狩猟・漁労で農耕(田畑なし)

縄文文明     定住で採集・狩猟・漁労で農耕(田畑なし)

縄文時代は欧州各地の巨石文明と同時代。 

欧州と日本の違いも不思議ですが、やはり、文明発祥・発展には、 

  • 年間に河川の水位が数メートルから十数メートルと大きく変化するが、
  • 河床勾配は、小さい『大河の近く』で、

『治水と農業』のために、『数学・天文学ベースの文明』が発祥・発展したと考えています。

さて、表題に戻ります。 天候や地殻変動で農耕ができなくなると、人類は定住ができなくなり、歴史の盛衰を繰り返してきました。 それを顕著に証明しているのは、スペインが入植するまでの南北アメリカの文明です。

 

 ウエブ情報から引用

メソアメリカ文明『定住で農耕(田畑あり)

  • ヨーロッパ人が征服活動を行うまでは、南北アメリカには高度な文明が存在した。 アメリカ大陸原産のトウモロコシを主食としたインディオと言われる人々が、南北アメリカ各地に広がり、文明を築いた。

  • メキシコ高原から中央アメリカにかけて、メソアメリカ文明が成立した。 メソアメリカ文明は、オルメカ文明、テオティワカン文明、マヤ文明、トルテカ文明、アステカ文明などに分けられる。 

ギザの大ピラミッドコンプレックスよりは、年代では、ずっと後になりますが、南北アメリカの遺跡のスケールと緻密な設計にも驚きます。 

(1)メキシコ・テオティワカン(前2世紀〜後6世紀)の縄張りと、そのデザインセンスと、エジプトの大ピラミッドコンプレックス(前25世紀前)の比較(時間差は大きく、単純な比較は難しい)。 

テオティワカンの平面図(約2200年前建造)

ウエブ情報から引用 

テオティワカン俯瞰(約2200年前建造)

ウエブ情報から引用 

大ピラミッドコンプレックスの平面図(約4500年前建造)

ウエブ情報から引用 

大ピラミッドコンプレックス俯瞰(約4500年前建造)

ウエブ情報から引用

古大陸と新大陸の文明の比較はこれからも興味津々です。

(記事投稿日:2022/06/18、#540)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする