知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『人間はなぜ戦うのか、戦争は拡大し続けた(やはり戦いは悲惨!)』 『世に狂人がいる限り、いつもそこにある危機・相互確証破壊の心配は続く!』

2022-01-16 21:32:27 | 兵器・戦争

   『人間はなぜ戦うのか、戦争は拡大し続けた(やはり戦いは悲惨!)』

 『世に狂人がいる限り、いつもそこにある危機・相互確証破壊の心配は続く!』

『サイバー兵器・サイバー戦争は相互確証破壊を防げるのか?』

 

世界に冠たる技術を持てば、カネのかかる相互破壊兵器を持たなくても情報技術で相手の兵器を無力化できる上に『無手勝流』が通じ、世界の平和が保てるなどと考えていましたが、『サーバー戦争』などの言葉が生まれるように、人類の戦いには、やはり際限がないようです。 こんな時期だからこそ、『人類の戦いの歴史』をブログに纏めました。 先ず、その前に最新状況の、アップデートです。

 

核保有5大国が分かった相互確証破壊の危機

相互確証破壊(Mutual Assured Destruction, MAD)とは、核戦略に関する概念・理論・戦略である。 核兵器を保有して対立する2か国のどちらか一方が、相手に対し先制的に核兵器を使用した場合、もう一方の国家は破壊を免れた核戦力によって確実に報復することを保証する。 これにより、先に核攻撃を行った国も相手の核兵器によって甚大な被害を受けることになるため、相互確証破壊が成立した2国間で核戦争を含む軍事衝突は『理論上』発生しない

 

そこで、やっと、この共同声明に

米国、英国、フランス、中国、ロシアの核保有5大国は先日(2021/01/03)、核保有国間の戦争回避に取り組むことを確認する共同声明を発表した。 5カ国は声明で『核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない』と強調。 核拡散防止条約(NPT)を順守し、軍事衝突や軍拡競争を防ぐ多国間の外交的アプローチを追求すると表明した。

 

核保有5大国が、戦争回避などを目的に共同声明を発表するのは異例。 中国による軍事的圧力強化で台湾有事の懸念が高まり、ロシア軍の国境付近への集結でウクライナ情勢が緊迫する中、緊張緩和の糸口となるかが注目される。 声明では、核の使用が広範囲にわたる影響をもたらすと指摘。 核兵器が存在する間は、その用途は『自衛目的、侵略防止、戦争回避』に限られるべきだと確認した

 

相互破壊戦争の次には、サイバー戦争で!

サイバー戦争(cyberwarfare)とは、インターネット及びコンピュータ上で行われる戦争行為のことである。 クラッカー等の集団や、国家によって組織されたサイバー軍および情報機関により、敵対する国家、企業、集団、個人等を攻撃する。 攻撃の内容は軍事・行政や民間の経済・インフラストラクチャーにおける情報システムの機能停止や不正操作、情報の窃取など幅広い。 かつてはサイエンス・フィクションにおける架空の事象であったが、技術の進歩により現実のものとなっている。

 

そこで、過去の人間の戦いを整理して、究極の戦争・サイバー戦争は、戦争を抑止して人類を救えるか、考えてみようと思いました。

 

『約46億年前地球誕生、約6億年前生物誕生、約6千年前霊長類誕生、約50万年前人類誕生、約10万年前現代人誕生、その間、起こった5回の大絶滅後の戦いの日々』が始まりました。

 

人間の戦いは、どんどん拡大してきました。 最大規模になったのが第二次世界大戦の終盤のノーマンディ―上陸作戦(大ヒットした映画「史上最大の作戦」)でした。 その第二次世界大戦も核兵器の使用で終結しました。 これ以上大きな戦いはもうできません。 理由は明白で『核戦争=相互確証破壊戦争』は、狂人の狂気さえも引き金なりそうですが、人類の英知で防げると信じたいものです。 人類史上で記憶に残る悲惨な戦いを列挙しました。

 

①ラガシュ・ウンマの戦い(紀元前25世紀頃)

動員兵力不詳

引用ウエブ情報から引用

記録されているもので最古の戦争は、紀元前25世紀頃、現在のイラクの一部に当たる古代メソポタミア地方で起こった「ラガシュ・ウンマの戦い」だとされている。 当時ラガシュ王国の首都ギルスがあったとされるテルロー遺跡から、国王のエアンナトゥムが残した戦勝記念碑が発見されている。 

 

記念碑にはラガシュ王国が勝利した国が数多く記されているが、どれも具体的にどんな戦いだったかは残されていない。 その中でわずかながら内容がわかっているのが、ラガシュ・ウンマの戦いなのだ。 この戦いの詳細は不詳だがこんな昔から二百数十年も戦いをした都市国家

 

⓶メギドの戦い(紀元前15世紀)

動員兵力

エジプト:10,000 vs カナン連合軍:7~8,000

ウエブ情報から引用

メギドの戦い ( Battle of Megiddo) は、 紀元前15世紀 に トトメス3世 率いるエジプト軍とカデシュ王率いるカナン連合軍との戦いである。 エジプト側が勝利し、カナン連合軍はメギドへ向けて敗走し、エジプトのシリア方面における領土拡大

 

 

③カンナエの戦い - 古代の最大の戦い(紀元前216年)

動員兵力

カルタゴ      ローマ

32,000 重装歩兵
8,000 軽装歩兵
10,000 騎兵
50,000 総計

55,000 重装歩兵
8-9,000 軽装歩兵
6,000 騎兵
70,000 総計

ウエブ情報から引用

カンナエの戦いは、紀元前216年、第二次ポエニ戦争における共和制ローマとカルタゴの戦い。 完全包囲の完成とカルタゴ軍の完全勝利。

1018年にも同じ場所で戦闘が起こっており、これもカンナエの戦いと呼ばれる。これは東ローマとノルマン人の間で行われた戦闘で、東ローマ側が勝利したものである

 

④世界史上最大の会戦‼383年に起きた淝水の戦い

動員兵力

   東晋      前秦

9万5千

90万以上

 ウエブ情報から引用

383年に起こった、規模においては中国史上最大の戦いと言われている戦闘。 五胡十六国のひとつの氏が建国した前秦の符堅は、華北をほぼ完全に統一した後、歩兵60万、騎兵30万の大軍を三軍に分けて南下させ、淮水流域から一挙に東晋の都建康(現在の南京)を突こうとし、淮河支流の淝水で対陣した東晋軍に敗れた戦い。中国の南北分裂が固定化された

 

⑤古代最大の白村江の戦い(663年)

動員兵力

唐軍:13,000
唐船舶:170余以上
新羅軍:不明

日本軍:42,000
日本船舶:800余
百済軍:不明

 

ウエブ情報から引用

白村江の戦いは、天智2年8月(663年10月)に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた、百済復興を目指す日本・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との間の戦争のことである。 確実な史料によるわが国初の対外戦争でした。  敗北したことで、当時進めていた大化の改新をさらに迅速に進めていく必要に迫られます。 外敵からの備えとともに、国内でのいろいろな制度も整えられていきました。 全ての人民を把握するための戸籍が作られ、これをもとに税制も確立されます。 唐に倣って、都が作られ律令制国家へと姿を変えていきます。

 

⑥ブーヴィーヌの戦い(1214年)

動員兵力

神聖ローマ帝国   フランス王国

8,800~9,000

·         騎士:1,300~1,500

·         歩兵:7,500

6,000~7,000

·         歩兵:5,000~6,000

·         騎兵:300(奉公人)

·         騎士:1,200~1,360

ウエブ情報から引用

ブーヴィーヌの戦いは、フランス 王 フィリップ2世が神聖ローマ皇帝 オットー4世、フランドル伯フェラン、イングランドのソールズベリー伯ウィリアム (長剣伯)、ブローニュ伯ルノー らの連合軍を フランドル とフランスの境近くのブーヴィーヌで破った戦い。  参戦、もしくは関わっていた国 (組織・地域)と人物の数は中世ヨーロッパにおいて十字軍 を別にすれば最大の会戦だった。  この勝利によってフィリップ2世はカペー朝の王権を確実なものとした。

 

⑦中世最大の会戦グルンヴァルドの戦い

動員兵力

ポーランド・リトアニア連合    ドイツ騎士団

 16,000-39,000人       11,000–27,000

ウエブ情報から引用

ポーランド・リトアニア連合 VS ドイツ騎士団、日本では「タンネンベルクの戦い」のほうが知られているかも知れません。 従軍兵士は予備役も含めて5万5000人。 中世ヨーロッパ最大規模の戦いです。

1410年に現在のポーランド北部で戦われたこの会戦では、侵攻のポーランド・リトアニア連合が勇猛なドイツ騎士団を打ち破ります。 この戦いの結果、ドイツ騎士団は急速に衰退。 逆にポーランド・リトアニアが大国として東からヨーロッパに睨みを利かせる構図が生まれます。

 

⑧ボズワースの戦い

動員兵力 

    ヨーク家    ランカスター家

              8,000

            5,000

 ウキペデイア情報から引用

ボズワースの戦いは、15世紀イングランド王国の薔薇戦争中の重要な戦闘、この戦いは1485年8月22日に、ヨーク派の国王リチャード3世と、対抗して王位を争ったランカスター派のリッチモンド泊ヘンリー・リッチモンド伯ヘンリー・テューダ―(後のイングランド王ヘンリー7世)の間で行われた。 この戦いは、リチャード3世の戦死による敗北と、ヘンリーによるテューダ―朝樹立という結果で幕を閉じる。

 

⑨第一次大戦のドイツ軍開戦当初のベルギー・フランス侵攻作戦

戦力

ベルギー     ドイツ

144個師団
火砲:13,974門
戦車:3,384両
航空機:2,249機

141個師団
火砲7,378門
戦車:2,445両
航空機:5,446機 (出撃;4,020回)

 ウキペデイア情報から引用

ナチス・ドイツのフランス侵攻における戦いのひとつ。

1940/05/10ドイツはルクセンブルグ、オランダ、ベルギーを抜けてフランスへ進撃することを目的とした作戦。連合軍はそれが主力であると考え、最良の師団をベルギーに向かわせたが、ドイツ軍が作戦の第二段階を発動、アルデンヌの森を突破して進撃を重ね、5日後には海岸へ到達、連合軍は包囲されることとなった。 ドイツ軍は徐々に海岸方面へ進撃、包囲網を縮め始めた。 ベルギーは1940/05/28降伏した。 ベルギーの戦いにおいては第二次世界大戦初の大規模戦車戦が行われている。 このアニューの戦いは北アフリカの戦いと東部戦線が行われるまでは世界最大の戦車戦であった。 さらに、降下部隊を用いた最初の戦略的降下作戦も行われた。 ドイツの公式な発表では18日間の激しい戦いにおいて、ベルギー軍は手強い敵であり、その兵士たちの「驚異的勇敢さ」について語り草になっているとしている。

 

⑩現代の大きな戦い(詳細と結果は省略)

-1  第二次大戦のドイツ軍のソ連侵攻バルバロッサ作戦

参加戦力

ドイツ軍(400万人)

 

赤軍(268万人)

  • 北部戦線
    • 第7軍、第14軍、第23軍
  • 北西戦線
    • 第8軍、第11軍、第27軍
  • 西部戦線
    • 第3軍、第4軍、第10軍、第13軍(6月24日に編成)
  • 南西戦線
    • 第5軍、第6軍、第12軍、第26軍
  • 第9特別軍
  • 総司令部スタフカ予備
    • 第16軍、第20軍、第21軍、第22軍、第24軍

 

❿-2 独ソ戦のクルスク戦

参加戦力

   ドイツ     ソビエト連邦

歩兵(擲弾兵)780,900

戦車 2,928
航空機 2,110

迫撃砲大砲等9,966

赤軍の反撃時912,460人
戦車3,253
迫撃砲、大砲9,467 航空機2,110

歩兵(狙撃兵) 1,910,361
戦車 5,128
航空機2792~3549

迫撃砲大砲等25,013
赤軍反撃時 2,500,000人

戦車7.360

迫撃砲、大砲47,416

航空機2,792~3,549

 

 

 

❿-3 連合軍のノルマンディー上陸オーバーロード作戦

1944/6、米英主力の連合軍が上陸に成功、ドイツ軍を後退させ、第二次世界大戦を終結に導いた。 第二次世界大戦の末期、1944/06/06連合国のアメリカ、カナダ、イギリス軍は、フランスのノルマンディー海岸に大規模な上陸作戦を敢行した。 その兵力は1日だけでも約10万人、それを5000隻の艦艇と、1万2000機の航空機が支援した。 

 

これは「オーバーロード(大君主)作戦」と呼ばれ、アメリカのアイゼンハウアー元帥が指揮を執り、1週間で50万の兵員を上陸させた。 ドイツ軍はロンメル元帥が指揮し、30万の兵力と1000台の戦車で迎え撃ったが、艦砲射撃と空爆によって有効な反撃ができず、連合軍の上陸を許した。 ドイツ軍はやむなく撤退したが、敵に損害を与えながらの撤退戦術で、アメリカ軍に大きな損害を与え、アメリカ軍の当初半年でドイツは降伏すると予測していたが、実際には1年かかることとなった。

1944/12、ドイツ軍は、西部戦線のアルデンヌに残存戦力を結集し、最後に作戦を敢行、一気に挽回して補給の要地であるベルギーのアントウェルペンまで押し戻そうという「バルジ作戦」(バルジとは「突出」の意味)を敢行したが、10:1の空軍力の差で進撃は食い止められ、45年1月に両軍約50万の死者を出し、西部戦線最後の会戦は終わった。

 

ノルマンディー上陸作戦が史上最大の作戦といっても問題ないと思います。10000機以上の航空機、1000隻の軍艦を動因してその兵員は200万人 戦艦までをも堤防として沈めるという大胆ぶりです。

 

参加戦力の比較は、捉え方の範囲が難しくやはり戦争規模の双璧は、

-1 第二次大戦のドイツ軍のソ連侵攻バルバロッサ作戦

❿-3 連合軍のノルマンディー上陸オーバーロード作戦

ではないでしょうか。

 

その戦死者数は、両陣営合計(非戦闘員含め)で、

バルバロッサ作戦    99万人以上 

オーバーロード作戦: 79万人以上  

数値の発表されていない国や地域もあり、損傷者数とその後の経過も把握されえおりませんので実態は不明ですが、戦争の悲惨さは再認識させられました。

ヒトは、人間は、『業』持ちですが、『叡智』も持っています

(記事投稿日:2022/01/16、#461)

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