『世界の奇石・奇岩 3(インド洋上のモーリシャスの岩峰』
「ル・モ―ン・ブラバン山と、全く無縁そうな「苦力・クーリー」の由来!」
インド洋上の岩峰、ル・モ-ン・ブラバン山のあるモーリシャスに『クーリー・苦力』に縁があったようで備忘録にしました。
インドや旧中国の労働者、とくに荷担ぎ夫、鉱夫、車夫などをさす。タミル語で雇うということばを英語で『cooly, coolie』と表記し、それを中国で苦力と表記したといわれる。 中国では表意文字ですが、外国語をこの表意文字で、上手く音と意味を合わせます。 この『苦力』素晴らしい例です。
モーリシャスのアープラヴァシ・ガートという施設は、1834年から1910年まで主にインドからわたってきた労働者の迎え入れに使われた場所で、現存する施設は1849年に作られたものである。現在のモーリシャスでは、このインド系労働者の末裔が全人口の68%を占めている。
モーリシャス島
モーリシャス島は、マダガスカルの東約900kmに位置する島。 マスカリン諸島に属し、モーリシャス共和国の主島です。 面積は2,040㎢(沖縄本島の1.5倍)。 年平均気温は24~29度である。『インド洋の貴婦人』と呼ばれる美しい自然を持ち、多くの観光客が訪れる。
ウエブ情報より引用
この度の『貨物船の座礁、油流出災害』は、地図下部右のマエプール港の南の半島の先端沖が現場です。 憧れの洋上の岩峰『ル・モーン・ブラバン山』と『海の中の滝』は、地図下部左の『逆L字型の半島』とその沖合に位置します。
『海の中の滝』付近のサンゴ礁が大きく凹んでいるのが解ります。
モーリシャス島の『ル・モーン・ブラバン山』と『海の中の滝』
(左上の岩峰)ル・モーン・ブラバン山は、モーリシャスの南西端に位置する半島に位置して、この島の風上に位置している。 この半島には名前の由来になった玄武岩のル・モーン・ブラバン山(標高 556 m)が聳えており、モーリシャスでもとびきりの見晴らしを提供してくれる。
(写真右下の海底)そして、モーリシャス島で最も有名なのが「海の中の滝」です。 モーリシャス南西部にあるそれは、上空から海を見下ろすことで姿を現します。 「海の中の滝」と言われるように、海の中に滝が落ちていくように見えるのです。
ウキペデイアより引用
昔山男で、九十九里海岸育ちの自分には、この岩峰とミニ海溝は、本当にたまらない風景です。
『ル・モーン・ブラバン山(標高 556 m)』の南壁登攀ですが、日陰になっている岸壁は標高差500ⅿ近くありそうです。 これはシンガポール駐在時には、いろんな制限条件があり、とても実現はできなかったと思います。 唯一のイメージ登攀になりますが、日陰の岸壁の左側のリッジを登攀すれば終始左右にインド洋の水平線が丸く見えて、将に『水の惑星』を再認識ができます。
次はこの半島の右側の『海の中の滝』ですが、ここでの水上スキーは、十分可能でしたが、こちらは、シンガポール駐在時の自己管理不十分(ゴルフ・カラオケ・酒浸りで忙しく?)で実現出来ませんでした。 返す返す残念なのは、できていたら、『ニコノス(ニコンの全天候型カメラ)』で『ル・モーン・ブラバン山(標高 556 m)』を背景に、『海の中の滝』の水面を1枚スキー板の水上スキーで滑走する雄姿を写真に撮れたものを思っています。 実は昔、写真を始めたころですが、あるプロの写真家、主には昆虫を撮っている方ですが、こう言っています。 『小さな昆虫をアップに撮るときに、写真にそこが何処であるか判るような背景を入れる。』と。
『苦力・クーリー』の由来について新しいことは前述ですので、ここで余談は、華僑(福建人・広東人が多い)についてです。 現役時代の仕事が海外に縁あり、中国人とお付き合いも長かったので、中国語の『苦力(クーリー)』の漢字を読んで字の如しと、半世紀もずっと理解していました。 中国の方々とは世界中どこに行ってもお会いする機会があります。 華僑は世界中どこにも居ります。 例えば、チリのサンチャゴでも,オランダのアムステルダムでも、広東料理を楽しめます。
華僑には福建、広東両省の出身者が最も多いようですが,彼らは現地で血縁または地縁による集団的社会を結成し,本国への送金ばかりでなく,本国の革命運動や社会運動にも協力している。 華僑の起源は中国人の海外進出の歴史とともに,古くは漢代にまでさかのぼる。 一説には、華僑の由来は、中国南部の穀倉地帯である広東省や福建省が飢饉になったときに南に海路脱出したとも、いわれています。 モーリシャスは一生に一度は行ってみたかった『洋上の岩峰』と『海の中の滝』があるパラダイスです。 (20200918纏め #220)