私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

こころのベクトル

2013-09-29 | 6悩む
分かってはいたことだが、こころの方向性が同じ人間にはついぞ出会うことがない。

私はそれと承知しているのだが、古い友人などが、同じ狭い環境にいたころと同じ感覚で、こころのベクトルが全く異なっているにも関わらず、共感や同調を強要してくることに閉口する。

ある友人が私に、自分の選択を肯定してくれないと不満をもらす。
「私はあなたとは全く異なる志向性と価値観で生きている」と知らしめるために、相手が到底理解できないであろう私の現在進行形を披露する。
そうすると友人から出てきた言葉は「ばっかじゃない!」という全否定の感嘆詞。
つまり、自分の領域から遠く隔たってしまっている私に対する、嘆きと牽制である訳だが、なんと表現されようが違うものは違うのだからいたしかたない。

改めて見まわしてみると、私と同じこころのベクトルを持つ人など皆無だ。

長く親しく付き合ってくれている稀有の友人でさえ、その人生を寄り添わせてみれば全く別の方向を向いている訳で、独りで生きることが正解であるとしか思わずにはいられない。

ちっぽけな、ちっぽけな私。

我が国には1億2,000万人の人が生きているというが、自分の小ささをリアルに感じる例えを披露する。

1億2,000万円という大金があるとする。
私はその大金を前にした1円玉一枚の存在でしかない。

飴玉一個買えない。
余りにささやかな存在ではないか。

そして多分、1億2,000万人のベクトルはみな少しずつ異なった方向を向いているのだ。
地球上のささやかな我が国を舞台にしてでさえそうである訳で、世界に目を転じればもう理解と協調の上に成り立つ平和など夢なのかもしれない。
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