私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

人生も博打?1

2013-07-07 | 6悩む
年長者の介護に追われている頃は考えていた。
「後何年」とゴールの見える子育てに比べ、介護は「いつまで」と終わりが設定できないから大変だと。

そもそも介護のゴールは、哀しむべき出来事とリンクするものであるからして、望むべきものでもない。

それ故、そこに生じる苦しみは、底なしを呈する。

しかし、今、守るべきものも育まなくてはならないものもない、お気楽な身の上になってみても、やはり人生は先の見えぬものだと思い知る。

あと何年自分の人生があるか、人は通常知ることなく生きなくてはならないのだから。

計画経済なんて概念が崩壊して久しいが、人生計画なんてのも、壊れ、綻ぶことを大前提に語られるべきものなのだ。

それは明日、突然ピリオドが打たれるものかもしれないし、「長生きリスク」なんて怖ろしい言葉を背負って、歩いたことのない道を進み続けなければならないかもしれないのだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きる目的

2012-09-24 | 6悩む
涼やかに風が吹きわたるようになって、夏に別れを告げたことを知るころ、ふと自分には生きる目的が無いと気づく。

追い立てられ、迫られて、なさねばならぬ役目を必死でこなしていた頃には思い及ぶことも無かった現実。

そう、私には生きる目的がないのだ。

解決せねばならないあれやこれやから解放されて、初めてそのことに思い及ぶ。

こころもとなく、頼りない感覚に包まれる。

そもそも「こうありたい」「こうしたい」という欲求を持つことを許されずに育ったのだ。
周りの年長者に都合の好いものであるべく図られていた私の人生。

そんな結論にたどり着いたのも人生を折り返して大分たった最近のこと。

図られた…という思いがつよい。

離れがたい求心力のある人たちではあったけれど、私のよりよき人生の行く末を第一義に考えてくれてはいなかった。

そもそも成り立ちがそんななのだから、恨みや反発を原動力に人生を切り返す訳にもゆかぬ。

目標を掲げられないまま、それでも生きるしかないけれど…なんとも寄る辺なくおぼつかない道である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何も決められない

2012-04-17 | 6悩む
何も決められない。
何も実現できない。

やらなくてはならないことはわかっているのに、もう何年もこねくりかえし続けて、時間ばかりが経っている。

優しさとか、争いを避けるためとか言いようは様々だけれども、どうしようもないところまで行きつかないと動けないっていうのは、問題だよ。
結果的には必ず極端な展開をせざるを得なくなる。
何かしら外的力が働いて、それに抵抗する激しい拒否反応によって、ようやく一歩踏み出すって状況はね。

自分のことを言っているのか、我が国のことを嘆いているのか、書きながらわからなくなっているけど。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嗚呼、投信分配金

2012-02-12 | 6悩む
老後シュミレーションに入っている私は、生活の糧となる各種金融リスク商品をまんべんなくかじっている。

先週だったか、先月だったか、日経新聞に運用利益が出ていないにもかかわらず高分配になっている毎月分配投信の、是正を促す働きかけがあったという記事を目にした。

投資信託のタコ足分配については、かねてより承知していたので、多分これを機会に多少分配を下げてくる運用会社があるだろうと予測はしていた。

しかし「その指導待ってました!」とばかりの某ファンドの某商品の対応にいささか茫然とすることになった。

好配当を売りにしていたその投信の分配金は、半年前にも3分の1が減額となっていた。
今月も若干の分配減額がなされるだろうとは思っていたのだが、何と分配金は4分の1になったのだ。
25%の減額ではなく、75%の減額だ。

給与が20万円の人の手取りが、突然5万円になる状況。

投信はリスク商品だとうたっているのだから、至極当然の対応と言われればそれまでだが、何とも極端な対応である。
急激な変化は、健康にも経済にも甚だよろしくない。

…が、金融の世界は掌を返したような急激な変化が平然とまかり通る。

体質だろうか。
「どうぞ当行から借りて下さい」と頭を下げていた銀行が、あっという間に「貸しはがし」に走るように。
そして、豹変して早くなたを振るった方が傷は浅く立ち直りも早くなるということらしい。

年金財政の不安定化を見越して、国は何年も前からリスク変動を伴う収入確保の推奨をしていたと思う。
金融自由化が進み、証券会社も銀行もこぞって投資信託を売る。
不足する年金収入の補いとして、リスクはあるが自分で株式運用をするよりはプロに任せる投資信託での運用をお勧めするというものだ。

しかし、投資家を引き付ける金集めの顔と、実運用の結果を告げる顔は全く異質なものだ。

投信も株式投資と同様、基準価格が下がれば難ピン(安くなったところを更に買い取得単価を下げる方法)して、次の変化まで持ちこたえる余裕が必要となる。
しかし、老後資金を投信に託して生活を構築しようとしている御老人達にとって、そうした積極的変化は可能だろうか。
ある時突然、年金生活を支える収入が4分の1になったとしたら。

それがリスク商品であるとは100も承知であるけれども、余りにハイリスクであるような気がしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緊縮

2011-12-09 | 6悩む
国の財政健全化はやはりなかなか進まないが、我が家のあるマンションでは、今年後半から確実に世帯ごとの緊縮財政が実行にうつされている。

ここヘ来て自家用車を手放す方が増えたのだろう、駐車場空き情報が借り手のつかないまま増え続けているのだ。

地方都市であるとはいえ、市街地の駐車場料金は郊外の住宅地より一般的に少々高めだ。
マンション敷地内の駐車場は、地域の相場よりかなり抑えられているが、年間通してだとそれでも20万円ほどかかる勘定だ。

車税にメンテ料、任意保険の費用も勘案すれば、車一台を所有するだけで、車関係の経費はローンがないにしても年間30万円超が軽く必要となる。

緊縮を考えた時、真っ先に削減の対象となり、その成果がすぐに反映される対象が自家用車ということだ。

市民が生活費用を着々と削減し始めた時、世の景気はまた一段と冷え込むことになる。
そのひとつひとつの所有物、それに関わって発生する費用が、日本市場の売上と国力につながっていたのだから。

堅実な生活設計を賢い選択だと考えながら、厳しくなる一方の世情を予測する。
こうした世情にあっても、バブリーな生活を維持し続ける我が国の一部富裕層は、国外生活志向が強くなっていると聞く。
どうやら一番冷え込んで行っているのは、平凡な市井の人である我が胸の内かもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愚痴ってやつは

2011-11-16 | 6悩む
愚痴を聞かされることが多い。

そして、聞かされる愚痴に対する許容量が少なくなっている自分を感じる。

愚痴を披露する人々は、状況を改善したい思いがあって愚痴っている訳ではない。
大抵の場合、その状況に甘んじており、好ましからざる環境に身をおいている自分を、哀れで可哀そうな存在であると認めて欲しいのだ。

愚痴を聞かせる相手に求めているのは、慈悲であり、自分に対する慈しみと関心である。

それ故、愚痴を聞かされた相手の胸に残るのは、なんとも気持の悪いもやもやとした嫌な感覚。
本人に状況を改善する意思はないのだから、グロテスクで救いのない映画を見た後のような嫌悪感だけが残る。

今現在の私は愚痴らない。
(昔は、カタルシスで愚痴ることがあったな…でも、相手は選んだ。)
改善したい状況があるのであれば、対策を講じ、事態の打開につながる行動をとる。

自分が甘んじている余り好ましからざる環境があっても、そこに居続けるのは私の意思であるので、好ましからざる環境に起因する不都合や愉快でない状況については語らない。

閉口するのは、私が納得づくで生きているのに、自分についての愚痴を一通り聞かせたあとで、私の生活環境のなかから、不都合に違いない事象をほじくり出し、それについての私の愚痴を引き出そうとする輩の存在。

彼女らは、一方的に愚痴を投げかけた後で、自分たちの優位性を保つべく私のあらさがしをする訳だ。

いいから放っておいて。

自分の精神的均衡を保つ為、他人のあらさがしをしなくてはならないぐらいなら、私に愚痴らないでと切実に思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

収縮どこまで?

2011-09-23 | 6悩む
日本がゼロ金利状況に陥って久しい。

10年預金しておけば、元利合計は少なくとも1.5倍。
金利の良い時代など2倍になっていたのだから、昨今の金利計算をしているとクラクラしてくる。

家制度も崩れ、公的社会保障もあてにならないとなれば、個人資産の運用に精いっぱい走るしかない。

膨大な財政赤字を抱える我が国が心配でならず、分散投資の名のもと、リスク回避の各国通貨建投資信託などになけなしの私財を投入するも、ここへきての歴史的円高だ。

値崩れ現象が雪崩をうっている。

世界経済の収縮にあわせて、我が家の財布も収縮し続ける。
どこまで収縮するだろう。
しわしわになって、もうこれ以上小さくなれない石つぶてのようになってしまうまで縮んでゆくのかもしれない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発電設備の分散投資

2011-04-25 | 6悩む
金融商品の分野では常識の分散投資。

エネルギーの分野でも常識にすることはできないのだろうか。

原子力エネルギーはリスクが大きい。
一度事故が起こって、制御体制に小さな綻びが生じれば、損失は計り知れない。
それを、国全体で身をもって受けている。

金融商品でたとえるならば、原発は、温暖化対策に対応したハイイールド商品と言ったところだろうか。

我が国は四季に恵まれた、厳しいと同時に豊かな自然の上にある国だ。
地域によって、水力も、地熱も、風力も、潮力も、利用できる自然エネルギーは多彩に存在する。

火力と太陽光にのみ代替エネルギーを求めなくても、もっと多様にエネル源を求めて良いはずなのだ。

「発電に関わる設備投資を、多様な分散型に切り替える」と宣言する電力会社が出て来てもよさそうなものだが、エリート集団の幹部層にそうした柔軟な発想を求めるのは無理だろうか。

そうした体制を作ることができた電力会社は、地域振興を大きく推進する力となるに違いないのだが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

潮目が変わりつつあるか?

2010-11-05 | 6悩む
日増しに寒くなり、窓際の温度計が16度を示している。
これから一桁になるのはあっという間だ。

今年は、年初から「あと一歩だったのにねぇ…」と嘆くことの繰り返しで、タイミングを逃してばかりだった。

取り返しのつかない遅れも含めて、波に乗れない一年だったような気がする。

それでも、なんとなく潮目を読む私の感覚は冴えていたような気がする。
一歩遅れそうな予感が、いつも必ずしていたから。

世の中のゼロ金利と、家計収支の甚だしい悪化を切実に感じ、唯一の可能性としての「投資信託」という金融商品をこつこつ調べ始めたのは初夏のころだったろうか。
調べても調べても、星の数ほどある商品から、これという商品を選ぶことの難しいこと。

まだ、株式の方が随分わかり易い。

何となく購入して、十年近く抱えている「投資信託」もあるのだが、少しずつその商品バランスをとりながら購入しようとしていたところだった。が、今日、軒並み基準価格が大幅に上昇している。株式市況も上げ上げだったが、投資信託の基準価額の急上昇は、今これから購入しようと考えている自分にとって「またしても遅れをとってしまったか…」という感を否めない。

行き場のないマネーが、大きな流れとなってうねり始めたような気がする。
…あくまでも、裏付けのない個人的な感覚でしかないけれど。

デフレは過去のものになりつつあるかもしれない。

お正月の形だけは保ちたい…という気持ちと手抜き感覚とで、去年から求めているホテルや料亭の「おせち料理」。
ラインナップを眺めていると、予約料金の金額は軒並み5%余り上昇している。

野菜が高騰した為か。
輸入商品に限れば円高の効果でディスカウントにつながっているはずなのだが、国産品を使おうとすればそうもゆかぬ。
海産物はグローバルな需要増加で円高効果も薄い。

象徴的な季節商品の価額上昇に目を見張った。

来年の今頃は、想像しえないほどの転換が起きているかもしれない。
少しでも緩やかな変化と、ニッポンにとっての良好な環境が保たれることを祈るばかり。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

憧れ田舎の隠遁生活

2010-10-09 | 6悩む
田舎の隠遁生活に対する憧れが、日増しに強くなっている。

特に、馴染み深い田舎のない私にとって、選択肢は限りなく広いのだが、生活自体は既に隠遁生活の体をなしているので「田舎に暮らすからと言ってそれが安全で穏やかな生活になるとは限らない…」と冷めた意見が多い。

田舎に暮らすとしても、ガチガチにセキュリティーシステムで固めたコンクリートの箱で暮らすとすれば、地域の中で浮いてしまうのは必定だ。

お付き合いの仁義を欠かすことが出来ないのも事実であろうし、具体的にプランを立ててゆくとなるとちょっとねぇ…ってことが次々に出てくる。

豊かな島国であるニッポンの、ニッポン的な田舎を構成する一員として、素朴な日本人としての余生を送ることの意義を、強く強く感じているだけなのかも知れない。

それはそれで、厳しい現実が必ずまとわりついてくるでしょうけれど。
憧れっていうのは、現実と距離があるからこその憧れなのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする