今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

旧 閑谷学校 その1(岡山県備前市閑谷)

2021年01月24日 | 名所・旧跡
訪問日 令和2年10月2日

特別史跡 旧閑谷(しずたに)学校 その1
歴史など詳細は分かってはいないが、一度訪れてみたいと思っていた
車から気になる案内板が目に入ってきたので止めて確認した

旧閑谷学校 石門
石門は18世紀初めの建築で、主要施設から約1km離れた所にある



現在は1m余りしか見えていないが、江戸時代には約3.3mの高さであった



主要施設にある駐車場についた



「案内板」は文字数が多くその場ではあまり読む気にならない



「手水舎」



この門から入り右手に受付所がある



門の正面奥に見えているのは「閑谷神社」
受付の方のアドバイスで最初に資料館で知識を身につけた方がいいとのこと



講堂と小斎



石塀と石垣の間を通り資料館へ向かう



閑谷学校資料館(登録有形文化財)



「薇山西先生顕彰碑」



閑谷学校校長を20年あまりつとめて岡山県の文教に貢献した



館内の様子



講堂の模型






閑谷学校は、江戸時代前期に岡山藩によって開かれた庶民のための学校
資料によると「世界最古の庶民のための公立学校」

① 岡山藩主 池田光政は重臣 津田永忠の案内で閑谷を訪れ
  この地に庶民教育のための学校を建てるよう命じる



② 津田永忠は学校の建設に努め、元禄14年(1701年)に完成した



③ 講堂では四書(大学・中庸・論語・孟子)の講義が行われた



④ 習芸斎では五経(易経・詩経・書経・春秋・礼記)の講義が行われた



⑤ 習字所では習字や読書の授業が行われた



⑥ 池田光政は延宝元年(1673年)に初めて閑谷学校を視察
  歴代藩主も度々訪れている



⑦ 聖廟には孔子の像が祀られ、釈菜と呼ばれる祭りが行われた



⑧ 池田光政が亡くなると津田永忠は閑谷神社を建て、椿山墓所を造った



⑨ 寄宿舎での生活



⑩ 黄葉亭(茶室)では全国各地から訪れる客人の応接に用いられた



中学校時代に通った校舎の風景に似ていて懐かしい



資料館では民法で放映された番組が流れていて、これがとても参考になる



石塀(重要文化財)
学校全体を取り囲む765mにも及ぶ石塀。独特の景観を生み出している



かまぼこ型の「石塀」は昔から草が生えない工夫がされているという



文庫(重要文化財)



閑谷学校の教科書・参考書をおさめた書庫



漆喰塗で固めた上を瓦葺きにした置屋根式
前室には三重の土の戸を含む六層の戸が設けられている



飲室門(重要文化財)



日通いの生徒や、朱文公学規講釈に出席する聴講者が出入りする通用門



小斎(重要文化財)
屋根はこけら葺きで簡素な数寄屋風に作られている



藩主が臨学の際に使用する、御成の間



現存する建造物の中では、最も古い姿を残している



講堂内部(国宝)
修学旅行生の講義が始まるとうことで取り急ぎ講堂内を撮影することになった






光り輝いている床は、屋根に使われている備前焼の瓦プラスある工夫のおかげで、週に一回の清掃で維持できているという



「克明徳」の額
三字額の【克】は、力を尽くして事を成し遂げる
    【明】は、物を正しく見る力
    【徳】は、善や正義をわきまえる高潔な品性と解釈されている



次回に続く

撮影 令和2年10月2日
コメント
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