今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

旧 閑谷学校 その2(岡山県備前市閑谷)

2021年01月25日 | 名所・旧跡
訪問日 令和2年10月2日

特別史跡 旧閑谷(しずたに)学校 その2

公門(重要文化財)
藩主臨学の際に使用した門で御成門ともいう



左から「飲室」「習芸斎」



飲室(重要文化財)
教師と生徒たちが、湯茶を喫した休憩室
中央の炉のふちには「斯爐中炭火之外不許薪火」と彫り込まれており、火の使用に厳重な注意がはらわれていた



習芸斎(重要文化財)
農民たちも学んだ、教室として使われた施設
毎月三と八の付く日は「五経」と「小学」
朔日(ついたち)には農民も聴講することができる「朱文公学規」の講釈が行われた



女子中学生が修学旅行で訪れていた
遠くから様子を見ていたがTPOをわきまえる行動には感心した






石塀(重要文化財)



かまぼこ型の石塀は、石と石との隙間を無くしているため土が入らず雑草がはえない工夫がされている



女子中学生が講義を受けるため講堂に移動している



資料館で流されていたDVDを視て「なるほど」と思った場所を撮ってみた
最初は「備前焼の瓦」



残念ながら…………画像は残っているが内容を忘れてしまった(笑)









講堂(国宝)
「学問の殿堂」旧閑谷学校を代表する国宝



講堂は入母屋造り、しころ葺きの大屋根と火灯窓が壮重な独特の外観を形作っている



創建当時は「茅葺き」だったが、その後改築され現在の堅牢な「備前焼瓦」に葺き替えられた



講義が始まった。講義を聴いてもいいと許可をいただいたのと写真は後ろ姿だけともいわれた
家庭や学校で良く躾られている女の子たちだと感じていたがその通りだった。知的レベルも高そうだ
講義の内容は「論語」の学而の部分であるが、「如」についてどれだけ理解できただろうか



校門(重要文化財)
この日は10月にもかかわらず真夏日で木陰のベンチで休みたかった



廟の正門として建てられたもので閑谷学校の校門でもある
中国最古の詩集である「詩経」の中の詩に因んで「鶴鳴門」ともよばれる



楷の木(かいのき)
四季を通して情緒豊かな「学問の木」
聖廟前に植えられた二本の楷の木は、中国山東省曲阜の孔林から種子を持ち帰り苗に育てられた内の2本






聖廟(重要文化財)
儒学の祖、孔子の徳を称える最も重要な施設



孔子廟、西御堂とも呼ばれ、最も重要な施設として中央の一番高い所に配されている






奥の「大成殿」には孔子像が安置されている
毎年10月には儒学の祖、孔子の徳を称える「釈菜(せきさい)」の儀式が行われる






聖廟から校門を眺める



聖廟を後にする



閑谷神社
閑谷学校の創始者、池田光政を祀っている






「拝殿」



もとは「東御堂」、または光政の謚をとって「芳烈祠」と呼ばれていた



本殿内には御神体として光政の座像が安置されている









池田家の家紋である「蝶」



受付の男性からの近くにあるお薦めの場所を聞いた
居心地が良く長居をしてしまった。名残惜しいが外に出た



特別史跡 椿山



写真では表現できないが違った世界を歩いているようだった



神々しい雰囲気で、椿山には約400本近いヤブツバキが植えられている



歩いた奥には池田光政の髪・爪・歯などを納めた供養塚「御納所」がある



供養塚から講堂を眺める



石塀の外を歩いてみる
校門(重要文化財)
両脇に花頭窓のある付属屋を付けるなど中国の建築様式を模している






貞享3年(1686年)の造営



公門(重要文化財)
本柱の後ろに控柱二本を建てて切妻屋根をのせる薬医門様式の建物



石塀が築かれた元禄14年(1701年)の時点で設置された



飲室門(重要文化財)






石碑



修学旅行生の昼食風景(密を避けている)



泮池(はんち)の鯉
幅7m、長さ80mを超える長方形の池



男性が鯉の名前を呼ぶと一匹の鯉が側により撫でられるところ(吃驚)



最期に「閑谷学校」同窓含め関係者(私が知っている人のみ掲載)

女優 藤真利子の父とは知らなかった


















撮影 令和2年10月2日

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 旧 閑谷学校 その1(岡山県... | トップ | 斑鳩山 斑鳩寺(兵庫県揖保郡... »

コメントを投稿

名所・旧跡」カテゴリの最新記事