平成21年、この年2回目となる山寺参拝の様子を写真で綴る。
この日は山形空港からレンタカーで山寺に向かい、午後3時半に駐車場に到着した。
時間も遅く駆け足になったが、この3ヶ月前に一度来ているので精神的には余裕をもって上ることができた。
山の上に見える建物が立石寺奥の院にあたる場所である。
名勝・史跡 山寺と書かれた石柱の横に「登山口」の看板が。後でその意味がわかる。
早速、最初の石段が見えてきたが、現地調査を行い石段を数えた人によると1070段あるそうだ。
最初の石段を上ると本堂が見えてくる。
根本中堂(重要文化財)
1356年山形城主斯波兼頼が創建。今の建物は17世紀初め最上義光により大修理をうけたものである。
入母屋造りで銅板葺の内陣には鎌倉時代の一本彫秘仏本尊、薬師如来座像が安置されている。
堂内には1200年前に天台宗比叡山延暦寺から移された不滅の法灯が今も灯されている。
この「不滅の法灯」は開山の折り比叡山延暦寺より分灯されたが、 大永元年1521年兵乱により立石寺とともに法灯も消失した。
しかし天文12年1543年再建時に再び延暦寺から分灯され、逆に元亀2年織田信長により焼き討ちされた時には立石寺に法灯が延暦寺に分灯された。
根本中堂の入口に安置されている布袋尊
布袋尊をなでてお参りするのが慣わしとなっているとのことである。
私の体型とよく似ているので布袋様には親近感がある。
山門
鎌倉時代の建立
宝珠山 阿所川院 立石寺<通称:山寺>の歴史(史跡・名勝)
山形県山形市にある天台宗の寺院。山号は宝珠山。本尊は薬師如来。
寺号は詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。
山寺(やまでら)の通称で知られ、古来、悪縁切り寺として信仰を集める。寺名は古くは「りうしゃくじ」と称した。
寺伝では貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされている。
石段を上りながら左右の風景を眺めながら歩く。
厚い岩壁には人間の顔に似た「奇巌」もある。
磨崖仏
平安時代初期、安然和尚像とされる。右の植物と比較してもわかると思うが、小さな磨崖仏である。
せみ塚周辺の風景
元禄2年1689年 奥の細道で訪れた芭蕉は 「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」の名句を残した。
夏に来たときには蝉の声がうるさく聞こえていたが、秋は静かである。
弥陀洞(みだほら)
私には見えたが(見えない人もいる)阿弥陀如来に似ていることから「丈六の阿弥陀如来」と呼ばれている。
岩壁には刻まれた岩塔婆や後生車や卒塔婆がたてられて、「死後の魂は山寺に還る」 というこの地方独特の庶民信仰だそうだ。
阿弥陀如来、私にはよく見えるが……。
見上げると、仁王門が見える。夏に来たときは猛暑日でここで「戻ろうか」と思うほど辛かった。
次回に続く
撮影 平成21年10月23日
この日は山形空港からレンタカーで山寺に向かい、午後3時半に駐車場に到着した。
時間も遅く駆け足になったが、この3ヶ月前に一度来ているので精神的には余裕をもって上ることができた。
山の上に見える建物が立石寺奥の院にあたる場所である。
名勝・史跡 山寺と書かれた石柱の横に「登山口」の看板が。後でその意味がわかる。
早速、最初の石段が見えてきたが、現地調査を行い石段を数えた人によると1070段あるそうだ。
最初の石段を上ると本堂が見えてくる。
根本中堂(重要文化財)
1356年山形城主斯波兼頼が創建。今の建物は17世紀初め最上義光により大修理をうけたものである。
入母屋造りで銅板葺の内陣には鎌倉時代の一本彫秘仏本尊、薬師如来座像が安置されている。
堂内には1200年前に天台宗比叡山延暦寺から移された不滅の法灯が今も灯されている。
この「不滅の法灯」は開山の折り比叡山延暦寺より分灯されたが、 大永元年1521年兵乱により立石寺とともに法灯も消失した。
しかし天文12年1543年再建時に再び延暦寺から分灯され、逆に元亀2年織田信長により焼き討ちされた時には立石寺に法灯が延暦寺に分灯された。
根本中堂の入口に安置されている布袋尊
布袋尊をなでてお参りするのが慣わしとなっているとのことである。
私の体型とよく似ているので布袋様には親近感がある。
山門
鎌倉時代の建立
宝珠山 阿所川院 立石寺<通称:山寺>の歴史(史跡・名勝)
山形県山形市にある天台宗の寺院。山号は宝珠山。本尊は薬師如来。
寺号は詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。
山寺(やまでら)の通称で知られ、古来、悪縁切り寺として信仰を集める。寺名は古くは「りうしゃくじ」と称した。
寺伝では貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされている。
石段を上りながら左右の風景を眺めながら歩く。
厚い岩壁には人間の顔に似た「奇巌」もある。
磨崖仏
平安時代初期、安然和尚像とされる。右の植物と比較してもわかると思うが、小さな磨崖仏である。
せみ塚周辺の風景
元禄2年1689年 奥の細道で訪れた芭蕉は 「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」の名句を残した。
夏に来たときには蝉の声がうるさく聞こえていたが、秋は静かである。
弥陀洞(みだほら)
私には見えたが(見えない人もいる)阿弥陀如来に似ていることから「丈六の阿弥陀如来」と呼ばれている。
岩壁には刻まれた岩塔婆や後生車や卒塔婆がたてられて、「死後の魂は山寺に還る」 というこの地方独特の庶民信仰だそうだ。
阿弥陀如来、私にはよく見えるが……。
見上げると、仁王門が見える。夏に来たときは猛暑日でここで「戻ろうか」と思うほど辛かった。
次回に続く
撮影 平成21年10月23日
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