今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

真清田神社(愛知県一宮市真清田1-2-1)

2024年06月28日 | 神社・仏閣
訪問日 令和6年5月14日
真清田神社(ますみだじんじゃ)
尾張国一宮ということで訪れた
地名「一宮」はこの真清田神社の社格に由来する

社号標



鳥居を過ぎると太鼓橋、楼門が視界に入ってくる



太鼓橋



楼門



扁額には「真清田大神」
伝聖武天皇ご宸筆の旧額を模して、人間国宝「平櫛田中」氏が彫刻を施した
かつて「真清田大名神」「真清田大明神」「一宮真清田大神」「一宮大明神」と称された社名も、明治に現在の「真清田神社」に統一された



境内にある「大絵馬」



一宮市の中心部に鎮座している
鳥居の向こうには商店街のアーケードが見える



楼門の門扉にある「社紋」の『竹ノ輪に九枚笹』



手水舎
吐水龍は、寛永8年(1631)初代尾張藩主徳川義直奉納によるもの(現在はレプリカ)



神水舎
大型バスによる参拝者で賑わっていた場所



明治11年10月25日、明治天皇が一宮を巡幸されご昼餐の際、この井戸水を御膳水として陛下に奉られたという
後ろに並んでいる人がいたため、写真だけは撮ってみたが
「御鏡に心を写し 姿を正しましょう」との記載があることも鏡の存在も当時は知らなかった



「水面に顔が映るまでのぞき込んで下さい」との記載があったが体が硬く腰痛もあり見ることができなかった
御霊水と井戸信仰による「無病息災」というご利益には縁が無かった






拝殿
大型バスによる参拝者が戻りかけたので拝殿に向かう



社殿は第二次世界大戦中の一宮空襲で焼失したため、現在見られるものは戦後の再建である



拝殿内部



本殿内陣中陣の扉や柱桁などは、伊勢の神宮から下賜された古材を使用している



本殿(国登録有形文化財)
祭神:天火明命(あめのほあかりのみこと)
創建に関して初代神武天皇の時とする説、第10代崇神天皇の時とする説の2説がある



摂社 服織神社(はとりじんじゃ)
一宮七夕まつりにミス七夕・ミス織物が参列し御衣奉献祭が斎行される



拝殿



「紅い糸むすび」



果たして「恋の願い」が叶ったのか



初めて訪れる神社で、何があるのか周辺を歩いてみる
厳島社と八龍神社の石柱がある



「開運橋」の先に社が見えてくる



末社 厳島社



末社 八龍神社






桃丘亭
表千家13世家元即中斎好みの茶室



神馬



真清田神社は、尾張の国で最初に参拝する「一の宮」
一宮市の名前もそのことから付けられ、真清田神社を中心として発達してきた



祀られている神様は、伊勢神宮に祀られている神様の孫にあたる



次から次へと参拝者がやってくる
地域に根ざしている神社だということがよく分かる



撮影 令和6年5月14日

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