訪問日 令和6年9月30日
天守君山 願成就院(国史跡)
高野山真言宗の寺院
国宝の仏師運慶の阿弥陀如来坐像など5躯を所有する
山門
数年前に国宝の仏像を拝観するため、一度訪れたことがある

創建は文治5年(1189年)
『吾妻鏡』によると、北条政子の父親で鎌倉幕府初代執権であった北条時政が、娘婿の源頼朝の奥州平泉討伐の戦勝祈願のため建立
北条時政とその子義時、孫の泰時の代にかけて次々に伽藍は拡大した

延徳3年(1491年)に北条早雲 による動乱で願成就院はほぼ全焼し
僅かに再建された堂宇も後年の豊臣秀吉の「小田原征伐」の際に再び全焼

運慶作の7体の仏像は僧侶らの手によって運び出され焼失は免れたが多くの寺宝は灰燼に帰し、願成就院は事実上壊滅した

江戸時代に後北条氏の末裔、北条氏貞が再建
現在の遺構はほぼその当時のものである
現存する茅葺の本堂は、棟札から寛政元年(1789年)の建立

北条時政の供養墓

<石碑に刻まれた内容>
北条時政公は願成就院の創健者で、今日に伝わる国宝指定の運慶作諸仏の檀越である
時政公はこの地、伊豆国北條に居館を有した平家一門の伊豆における有力豪族の一人で、伊豆国府在庁官人であった
1160年14歳で伊豆配流となった源頼朝を伊東祐親と共に監視する立場にあった

激動する歴史の中、娘政子が流人頼朝に嫁し、一転して頼朝の岳父となる
1180年8月17日の頼朝伊豆挙兵では、平家目代山木兼隆攻めの主将となりてこれを成功させる

以後は、平家討伐、鎌倉幕府創設では頼朝の参謀役、智将として大いに活躍してその立役者となる
頼朝亡き後も、鎌倉初代執権に就任して、東国武家政権の確立に努め、北條氏繁栄の礎となり、鎌倉北條氏の祖と呼ばれる幕府草創期の最重要人物の一人である

鐘楼





弘法大師像





本堂
現存する茅葺の本堂は、棟札から寛政元年(1789年)の建立

大御堂
拝観時間まで周囲を散策しながら写真を撮っていた
この堂内に運慶作の国宝の仏像が安置されている

一年ほど前に、梓澤要著の小説「荒仏師 運慶」を読んだ
小説ではあるが、時政と運慶とのやりとりが面白く表現されていた
「運慶に頼む、他の者では駄目だ。運慶一人にやらせろ。」
「政子は頼朝殿を支え、おなごの身でわれら北条一族の未来を背負うのじゃ。おぬしの造る仏の力で守ってやってくれ」

小説の影響もあり、もう一度運慶作の仏像を拝観したいと思い訪れた
拝観料:800円(↑)、受付も説明も外国人と時代の流れを感じた

仏像の胎内から銘札が発見され、施主が北条時政で文治2年(1186年)制作と判明
平成25年(2013年)仏像5躯が国宝に一括指定された


撮影 令和6年9月30日
天守君山 願成就院(国史跡)
高野山真言宗の寺院
国宝の仏師運慶の阿弥陀如来坐像など5躯を所有する
山門
数年前に国宝の仏像を拝観するため、一度訪れたことがある

創建は文治5年(1189年)
『吾妻鏡』によると、北条政子の父親で鎌倉幕府初代執権であった北条時政が、娘婿の源頼朝の奥州平泉討伐の戦勝祈願のため建立
北条時政とその子義時、孫の泰時の代にかけて次々に伽藍は拡大した

延徳3年(1491年)に北条早雲 による動乱で願成就院はほぼ全焼し
僅かに再建された堂宇も後年の豊臣秀吉の「小田原征伐」の際に再び全焼

運慶作の7体の仏像は僧侶らの手によって運び出され焼失は免れたが多くの寺宝は灰燼に帰し、願成就院は事実上壊滅した

江戸時代に後北条氏の末裔、北条氏貞が再建
現在の遺構はほぼその当時のものである
現存する茅葺の本堂は、棟札から寛政元年(1789年)の建立

北条時政の供養墓

<石碑に刻まれた内容>
北条時政公は願成就院の創健者で、今日に伝わる国宝指定の運慶作諸仏の檀越である
時政公はこの地、伊豆国北條に居館を有した平家一門の伊豆における有力豪族の一人で、伊豆国府在庁官人であった
1160年14歳で伊豆配流となった源頼朝を伊東祐親と共に監視する立場にあった

激動する歴史の中、娘政子が流人頼朝に嫁し、一転して頼朝の岳父となる
1180年8月17日の頼朝伊豆挙兵では、平家目代山木兼隆攻めの主将となりてこれを成功させる

以後は、平家討伐、鎌倉幕府創設では頼朝の参謀役、智将として大いに活躍してその立役者となる
頼朝亡き後も、鎌倉初代執権に就任して、東国武家政権の確立に努め、北條氏繁栄の礎となり、鎌倉北條氏の祖と呼ばれる幕府草創期の最重要人物の一人である

鐘楼





弘法大師像





本堂
現存する茅葺の本堂は、棟札から寛政元年(1789年)の建立

大御堂
拝観時間まで周囲を散策しながら写真を撮っていた
この堂内に運慶作の国宝の仏像が安置されている

一年ほど前に、梓澤要著の小説「荒仏師 運慶」を読んだ
小説ではあるが、時政と運慶とのやりとりが面白く表現されていた
「運慶に頼む、他の者では駄目だ。運慶一人にやらせろ。」
「政子は頼朝殿を支え、おなごの身でわれら北条一族の未来を背負うのじゃ。おぬしの造る仏の力で守ってやってくれ」

小説の影響もあり、もう一度運慶作の仏像を拝観したいと思い訪れた
拝観料:800円(↑)、受付も説明も外国人と時代の流れを感じた

仏像の胎内から銘札が発見され、施主が北条時政で文治2年(1186年)制作と判明
平成25年(2013年)仏像5躯が国宝に一括指定された


撮影 令和6年9月30日
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