今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

角館武家屋敷 その1(秋田県仙北市角館町)

2021年09月13日 | 名所・旧跡
訪問日 令和3年6月9日

角館武家屋敷 その1
象潟の道の駅から100km程走り武家屋敷周辺の桜並木駐車場に着く
受付所で武家屋敷は初めてだと告げると簡単な地図を渡された
公開武家屋敷は有料3軒、無料3軒の6軒

旧松本家住宅主屋(秋田県指定文化財)
松本家は、佐竹家の重臣今宮家の組下で佐竹氏の国替により主家に従って常陸から角館に移った
屋敷は万延元年(1860年)作製による屋敷割絵図に表6間裏15間とある






建物は茅葺の簡素な造りで下屋をおろした入口を入って居間、その右に座敷兼仏間が配されている
裏側は水屋に続いて広縁があり、その奥に寝室が配されている



旧藩時代は、殖産事業の原料となる植物や食用植物が植え込まれていた



松本家を出て周辺を歩いていると方向音痴の本領発揮、迷子ではなく迷爺になってしまった(笑)
近くを歩いていた女性に道を尋ねると、「美人ですね」と思わず発してしまったほどの秋田美人
とても親切丁寧でしかも美人。坩満寺の西施像を思い出した



角館樺細工伝承館
ヤマザクラ類の樹皮を用いて作られる工芸品を樺細工(かばざいく)という



角館の樺細工は、天明年間(1781~1789)にかけて佐竹北家の藤村彦六によって御処野家から伝授されたことから始まった



下級武士の手内職ではあったが、侍らしく妥協を許さない一品入魂の作風で、印籠、眼鏡入、根付、緒締などの製作を手がけた



通りに出る
コロナの影響で観光客の姿がほとんどない



角館歴史村 青柳家(秋田県指定史跡)
400年の歴史を語る武家屋敷
芦名氏の家臣として常陸佐竹氏の国替えにより角館に入った



薬医門
万延元年(年)藩への功績が認められ特別に許された青柳家の薬医門
上級武士にしか許されない重厚で格調高い造りは青柳家の誇りだった






案内図
順路が示されていなければ迷ってしまう3000坪の屋敷



青柳家 母屋(重要文化財)



龍野萬黄(たつのまんおう)画
青柳家に泊まり描いた屏風



この日は非公開だったが、「母屋探訪ツアー」も開催されている



武器蔵
青柳家の貴重な武具や文献が収められている












青柳家が甲府にて武田の武器作りをしていた当時の鎧兜
五輪塔旗印は鎌倉時代のもの
陣羽織や刀も家の誇りとされていた



神明水






解体新書記念館
『解体新書』は日本で初めて翻訳された全5冊の西洋医学書で、安永3年(1774年)江戸で発刊された



翻訳したのは、杉田玄白、前野良沢だが、当時の日本に衝撃を与えたのは、初めて正確な人体解剖図がついていたこと
この人体解剖図を描いた画家が小田野直武という角館の武士だった



若い頃、文庫本で解体新書を購入し解剖図に衝撃を受けたことを思い出した



小田野直武
画家としての才能を見いだしたのは、江戸の才人・奇人といわれた平賀源内だった
蘭学に精通した平賀源内の手ほどきで解体新書の解剖図を描く




その後、日本で最初の西洋技法絵画「秋田蘭画」を創始する












解体新書の画家「小田野直武」












解体新書は5分冊の書籍
この解体新書は小田野直武から、当時の青柳家8代当主 青柳正躬に贈られたもの






小田野直武像



次回に続く

撮影 令和3年6月9日

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