今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

発信貴山 縁城寺(京都府京丹後市橋木873)

2024年07月15日 | 神社・仏閣
訪問日 令和6年5月19日
発信貴山 縁城寺
真言宗の寺院
丹後地方の真言宗寺院のなかでは屈指の規模と由緒をもち、「橋木の観音さん」と親しまれている



石段下にある石仏



水子地蔵



石段を上ると「本堂」が見えてくる
初めて訪れる寺院なので周辺を散策する



鐘楼(京都府暫定登録文化財)
京都府では、貴重な文化財の早期保護を図るため、平成29年4月から 「暫定登録文化財」.の制度を創設
文化財保護の裾野を広げ、 修復・保存・ 防災等のための補助を行っている
縁城寺の建造物では、本堂、鐘楼、多宝塔、庫裡門、総門の5棟が登録されている



宝篋印塔(重要文化財)
開基・善無畏の供養のために建立された高さ3.4mの石塔



「正平六年」の年記と「佛子行秀」の名が刻まれている
正平6年(1352年)の造立と推定され国の重要文化財に指定されている



本堂周辺の石仏



本堂(京都府暫定登録文化財)
本堂は貞享2年(1685年)や天保14年(1843年)の火災を経ながら嘉永元年(1848年)に完成した



前面1間に虹梁三斗を掛けた外陣に対し、内陣は3方に入側を巡らせ、中央に須弥壇を設け厨子を安置する



蟇股の彫刻



扁額には山号の「発信貴山」
弘仁年間(810~823年)、諸国を巡錫していた空海(弘法大師)が縁城寺に立ち寄る
縁城寺を「発信貴山」と呼んで山号の額を掲げた



仁王像
本堂の左右には、京仏師「鎌田喜内師」作という大きな仁王像がある
1927年(昭和2年)の北丹後地震で大きな被害を受け、勅使門、仁王門、庫裡が全壊
仁王門の仁王像は本堂に移された



このように何の障害もなく仁王像を間近で拝観できる機会は稀である



いつも仁王像の撮影には障害物で苦労している



自由に撮ることができることは嬉しいが、これはこれで難しい



目線が合うとやはり迫力がある



腕が欠損している場所などを観ると構造なのが分かり面白い



足元なども普段は目にしない場所



内陣の様子
本尊:木造千手観音立像(重要文化財)
鎌倉時代、網野庄の地頭であった後藤兵衛実基が源頼朝から下賜され、縁城寺の千寿院に納めたものと伝わる
秘仏とされて33年に1度の開帳



須弥壇上の厨子の扉が開き輝いているので一瞬「これか」と思ったが違った(残念)



本堂周辺を歩く



多宝塔下重(京都府暫定登録文化財)
昭和38年(1963年)の豪雪により多宝塔上層部が倒壊したとある



このお堂が多宝塔とは想像できなく、投稿するにあたりネットで検索して初めて多宝塔だと分かった



小安弘法大師
子供を抱いている空海像を初めて見た



鎮守



願掛不動






丹後半島巡りは二度目で最後になると決めていた
記憶に残る寺院を訪れることができて良かった



撮影 令和6年5月19日

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