今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

朝倉山 真禅院(岐阜県不破郡垂井町宮代2006)

2024年07月04日 | 神社・仏閣
訪問日 令和6年5月16日
朝倉山 真禅院
真禅院は、近隣にある南宮大社(旧称南宮神社)と関係の深い寺院
南宮神社では近世末まで神仏習合の信仰が行われ、神社内に仏堂、仏塔、僧坊などが建てられていた
明治初年の神仏分離に伴い、三重塔、本地堂などが神社西方の現在地に移され「朝倉山真禅院」と称するようになった

山門
階段を上がった所に山門が見えてくる



案内板



十王堂(垂井町登録文化財)



雨が強く降る前に重要な場所から先に回ることにした

鐘楼(岐阜県指定文化財)
寛永19年(1642年)9月の債権



梵鐘(重要文化財)
奈良時代後期に奈良の地でつくられた梵鐘16口の一つ
東海地区最古の鐘



無銘だが撞座の位置、龍頭の取り付き方などに古代鐘特有の様式を示す



三重塔(重要文化財)
南宮大社を最初に訪れた時、偶然この三重塔の存在を知った
国宝・重要文化財の塔巡りが旅の目的の一つであったこともあり、その時の感動は今でも思い出す



草創:天平13年(741年)、寛永19年(1642年)の再建
明治初年に南宮神社境内から移築された
小雨が降っていたが、この塔はどのような気象条件でも写真写りがいい感じがする



南宮神社造営文書によると、京都の石材商 久保権兵衛が日本初の請負工事で落成させたという
高さ 25.38m



観音堂(垂井町指定文化財)
神護2年(766年)の草創
江戸時代には「宝珠院」と称し、南宮大社奥之院とも称し美濃中山(現南宮山)の山上近くに建立されていた



本尊:十一面観世音菩薩



撫で仏「賓頭盧尊者像」






本地堂(重要文化財)
伝承によれば、真禅院の前身は天平11年(739年)行基により創建された「象背山 宮処寺」であるとされる
延暦年間(790年頃)、勅令があり、最澄によって南宮神社(現南宮大社)と両部習合(神仏習合)され、神宮寺と改称



文亀元年(1501年)、火災で焼失し、永正8年(1511年)、美濃国守護土岐政房により再建
慶長5年(1600年)には関ヶ原の戦いで南宮神社とともに焼失
南宮神社の再建は江戸幕府3代将軍徳川家光により実施され、寛永19年(1642年)に落成
これが現存する南宮大社の社殿群である
現存する真禅院の三重塔、本地堂もこれら社殿と一連の造営になるもので、元来は南宮神社境内の南方に建っていた
寛永19年(1642年)9月11日の再建



本尊:無量寿如来(阿弥陀如来)
  <無量寿如来は南宮大社本地仏>



釈迦堂(垂井町登録文化財)



薬師堂(垂井町登録文化財)



雨も止み、再び重要な建造物を回る















撮影 令和6年5月16日
コメント
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