訪問日 令和元年6月5日
老神(おいがみ)神社
神社の駐車場があるのかも知れないが、カーナビが案内したのは方向転換のできない狭い道路
行き止まりの場所に路上駐車し駆け足の参拝となった
鳥居
車を駐めた場所の近くにあった鳥居。額には「老神神社」
鳥居
正式な参拝経路と思われる鳥居の方に移動する。額には「老神社」、神が抜けている
参道の正面に拝殿が見える
由緒書
鹿児島県の霧島神宮同体とある
参道の真ん中に石灯籠が立っている
八角形の石灯籠
寛延3年(1750年)の銘。神域との結界を表示している
拝殿
以前は、この拝殿と、右の神供所も茅葺き屋根だったという
重文の社殿を有しているが、人の気配はない
本殿(重要文化財)
よく見ると外側に見えるのが覆屋、その中に重文の本殿がある
大同2年(807年)に勧請された神社
現在の社殿は寛永5年(1628年)、相良藩主・相良長毎によって建てられた
社殿は正面3間、側面3間の柿葺き入母屋造り
撮影 令和元年6月5日
老神(おいがみ)神社
神社の駐車場があるのかも知れないが、カーナビが案内したのは方向転換のできない狭い道路
行き止まりの場所に路上駐車し駆け足の参拝となった
鳥居
車を駐めた場所の近くにあった鳥居。額には「老神神社」
鳥居
正式な参拝経路と思われる鳥居の方に移動する。額には「老神社」、神が抜けている
参道の正面に拝殿が見える
由緒書
鹿児島県の霧島神宮同体とある
参道の真ん中に石灯籠が立っている
八角形の石灯籠
寛延3年(1750年)の銘。神域との結界を表示している
拝殿
以前は、この拝殿と、右の神供所も茅葺き屋根だったという
重文の社殿を有しているが、人の気配はない
本殿(重要文化財)
よく見ると外側に見えるのが覆屋、その中に重文の本殿がある
大同2年(807年)に勧請された神社
現在の社殿は寛永5年(1628年)、相良藩主・相良長毎によって建てられた
社殿は正面3間、側面3間の柿葺き入母屋造り
撮影 令和元年6月5日