訪問日 令和元年6月4日
宝華山(別名岩殿山)雲巌禅寺
熊本県に入る。歴史上の人物の中でも大好きな宮本武蔵が晩年こもった場所にやって来た
駐車場の前には巨大な像が置かれている。三船敏郎の武蔵のイメージとは違う
寺号標
雲巌禅寺まで500m程緑のトンネル(最後に写真あり)歩くことになる
仁王像
最初に迎えてくれたのが仁王像
多くの木々に囲まれて寺の建物が視界に入って来ない
この美しい境内は、「熊本県指定史跡及び名勝」になっている
石段があるので上がってみる。境内には多くの石仏が置かれている
本堂
日本の南北朝時代、寧波より渡来した元の禅僧・東陵永璵(とうりょうえいよ)により建立されたと伝えられる
本堂正面
額には、寺号の「雲巌寺」
堂内の様子
境内にある「慈眼」と書かれた小さな祠
慈悲の心をもって衆生を見る仏が安置されている
眼病平癒に効くという観音様。私の目も少し曇ってきているので手を合わせた
ここから有料区域(200円)になる
五百羅漢
奥の院「霊巌洞」に向かう途中にある
安永8年(1779年から24年がかり)で、商人 淵田屋儀平が奉納した
武蔵の時代には、この「五百羅漢」は無かった
自分にそっくりな像があるというが……
焔魔洞
洞内は薄暗いが、閻魔様が睨みをきかせている
さらに石段が続く
この場所には歴史の流れを感じさせる、大きな石仏が安置されている
両脇侍の頭部が欠落している
すでに、自然界の一部になっている
緑が深くてよくは見えないが、目的地に近づいている感じがする
兵法「二天一流の由来」碑
石造十三重塔
霊巌洞
目的地に到着した。その前に足下にある仏様にご挨拶
予想していたより、はるかに大きい洞窟だ
晩年の5年間を熊本で過ごした宮本武蔵が、この洞窟にこもって兵法書「五輪書」を著した
洞窟内に入り、眼に入るものを撮っていく
墓石に自分の戒名を刻み朱を入れたりするのは何度も見かけてきたが、岩に刻むのは初めて見た
逆修(ぎゃくしゅ)の意味も初めて知った
本尊・石体四面の馬頭観音像
雲巌禅寺はご本尊にちなみ、「岩戸観音」と呼ばれている
寛永20年(1643年)から死の直前の正保2年(1645年)にかけて、金峰山にある霊巌洞で執筆されたという「五輪の書」
武蔵は巻頭にこう記している
「……九州肥後地岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前にむかひ、……天道と観世音を鏡として、十月十日の夜、寅の一てんに筆をとって書初るもの也」
岩窟上部に、元の禅僧・東陵永璵が彫った文字がわかるだろうか。右から「霊 巌 洞」とある
船頭石
楫を過った船頭が、観音菩薩の前に、その過ちを悔い、遂には石になったという
武蔵は、正保2年(1645年)に没した。1年以上洞にこもっていたことになる
帰り道、来るときには気づかなかった石仏がいくつかある。
すれ違った参拝者は6名。全員が外国人観光客だったことに驚く
延命地蔵尊
本堂付近に戻る。ガラスケースに入っている展示物を撮る
「五輪の書」は学生時代に読んだことがある
石灯籠
ここから水が流れ落ちている。口を漱ぎ、手を清め本尊にお詣りするということを最後に知った
本堂から駐車場に戻る。素晴らしい景色だ
撮影 令和元年6月4日
宝華山(別名岩殿山)雲巌禅寺
熊本県に入る。歴史上の人物の中でも大好きな宮本武蔵が晩年こもった場所にやって来た
駐車場の前には巨大な像が置かれている。三船敏郎の武蔵のイメージとは違う
寺号標
雲巌禅寺まで500m程緑のトンネル(最後に写真あり)歩くことになる
仁王像
最初に迎えてくれたのが仁王像
多くの木々に囲まれて寺の建物が視界に入って来ない
この美しい境内は、「熊本県指定史跡及び名勝」になっている
石段があるので上がってみる。境内には多くの石仏が置かれている
本堂
日本の南北朝時代、寧波より渡来した元の禅僧・東陵永璵(とうりょうえいよ)により建立されたと伝えられる
本堂正面
額には、寺号の「雲巌寺」
堂内の様子
境内にある「慈眼」と書かれた小さな祠
慈悲の心をもって衆生を見る仏が安置されている
眼病平癒に効くという観音様。私の目も少し曇ってきているので手を合わせた
ここから有料区域(200円)になる
五百羅漢
奥の院「霊巌洞」に向かう途中にある
安永8年(1779年から24年がかり)で、商人 淵田屋儀平が奉納した
武蔵の時代には、この「五百羅漢」は無かった
自分にそっくりな像があるというが……
焔魔洞
洞内は薄暗いが、閻魔様が睨みをきかせている
さらに石段が続く
この場所には歴史の流れを感じさせる、大きな石仏が安置されている
両脇侍の頭部が欠落している
すでに、自然界の一部になっている
緑が深くてよくは見えないが、目的地に近づいている感じがする
兵法「二天一流の由来」碑
石造十三重塔
霊巌洞
目的地に到着した。その前に足下にある仏様にご挨拶
予想していたより、はるかに大きい洞窟だ
晩年の5年間を熊本で過ごした宮本武蔵が、この洞窟にこもって兵法書「五輪書」を著した
洞窟内に入り、眼に入るものを撮っていく
墓石に自分の戒名を刻み朱を入れたりするのは何度も見かけてきたが、岩に刻むのは初めて見た
逆修(ぎゃくしゅ)の意味も初めて知った
本尊・石体四面の馬頭観音像
雲巌禅寺はご本尊にちなみ、「岩戸観音」と呼ばれている
寛永20年(1643年)から死の直前の正保2年(1645年)にかけて、金峰山にある霊巌洞で執筆されたという「五輪の書」
武蔵は巻頭にこう記している
「……九州肥後地岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前にむかひ、……天道と観世音を鏡として、十月十日の夜、寅の一てんに筆をとって書初るもの也」
岩窟上部に、元の禅僧・東陵永璵が彫った文字がわかるだろうか。右から「霊 巌 洞」とある
船頭石
楫を過った船頭が、観音菩薩の前に、その過ちを悔い、遂には石になったという
武蔵は、正保2年(1645年)に没した。1年以上洞にこもっていたことになる
帰り道、来るときには気づかなかった石仏がいくつかある。
すれ違った参拝者は6名。全員が外国人観光客だったことに驚く
延命地蔵尊
本堂付近に戻る。ガラスケースに入っている展示物を撮る
「五輪の書」は学生時代に読んだことがある
石灯籠
ここから水が流れ落ちている。口を漱ぎ、手を清め本尊にお詣りするということを最後に知った
本堂から駐車場に戻る。素晴らしい景色だ
撮影 令和元年6月4日