甲斐善光寺
甲斐善光寺は永禄元年(1558年)甲斐国国主武田信玄によって創建された
信玄が、川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)御本尊善光寺如来をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷したことに始まる
三門(重要文化財)
寛政八年(1796)に再建された

三門前は車道で注意しながら撮ったが、三門が大きすぎて左右が欠けてしまった
桁行およそ17m、梁間およそ7m、棟高およそ15mとなっている

扁額には山号「定額山(じょうがくざん)」

三門の正面奥に金堂が見える

お咳婆さんの石
百日咳など咳に苦しむ者が、全快したら飴を奉納する約束をして祈願すれば効験が著しいという

市内の中学生のグループが地元の歴史を学ぶために訪れていた

元気に挨拶され、いくつかの質問を受けたが適切に対応することができなかった

手水舎

金堂(重要文化財)
永禄8年(1565年)信濃善光寺のものとほぼ同じくらいの大きさであったが、宝暦4年(1754)2月の火災によって焼失
現在の本堂は寛政8年(1796年)に再建された。寛政8年の再建は明和3年(1766年)から30年を要した

金堂中陣天井(有料)には巨大な龍(日本一の鳴き龍)が2頭描かれている
また、金堂下の「お戒壇廻り」も体験した

金堂の彫刻



扁額「善光寺」

外陣(無料)の仏様



鐘楼
銅鐘(県指定文化財)は信州から引き摺って運んだ「引き摺りの鐘」として知られている


霊牛碑


大仏

宝物館には平安時代の阿弥陀三尊像(重文)や最古の源頼朝像などが拝観できる
個人的には、絶世の美人小野小町の衝撃的な醜い像が重文以上に印象が残った

撮影 平成29年5月17日
甲斐善光寺は永禄元年(1558年)甲斐国国主武田信玄によって創建された
信玄が、川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)御本尊善光寺如来をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷したことに始まる
三門(重要文化財)
寛政八年(1796)に再建された

三門前は車道で注意しながら撮ったが、三門が大きすぎて左右が欠けてしまった
桁行およそ17m、梁間およそ7m、棟高およそ15mとなっている

扁額には山号「定額山(じょうがくざん)」

三門の正面奥に金堂が見える

お咳婆さんの石
百日咳など咳に苦しむ者が、全快したら飴を奉納する約束をして祈願すれば効験が著しいという

市内の中学生のグループが地元の歴史を学ぶために訪れていた

元気に挨拶され、いくつかの質問を受けたが適切に対応することができなかった

手水舎

金堂(重要文化財)
永禄8年(1565年)信濃善光寺のものとほぼ同じくらいの大きさであったが、宝暦4年(1754)2月の火災によって焼失
現在の本堂は寛政8年(1796年)に再建された。寛政8年の再建は明和3年(1766年)から30年を要した

金堂中陣天井(有料)には巨大な龍(日本一の鳴き龍)が2頭描かれている
また、金堂下の「お戒壇廻り」も体験した

金堂の彫刻



扁額「善光寺」

外陣(無料)の仏様



鐘楼
銅鐘(県指定文化財)は信州から引き摺って運んだ「引き摺りの鐘」として知られている


霊牛碑


大仏

宝物館には平安時代の阿弥陀三尊像(重文)や最古の源頼朝像などが拝観できる
個人的には、絶世の美人小野小町の衝撃的な醜い像が重文以上に印象が残った

撮影 平成29年5月17日