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今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

鞍馬山 鞍馬寺 その2(京都府京都市左京区鞍馬本町)

2013年12月22日 | 神社・仏閣
仁王門から出発して本殿金堂までに写真を撮りながらではあるが、一度も休憩せず70分ほど要した。
そのすべては上り坂であり体重上昇、体力低下の体に試練を与えてくれる。境内案内図によるとこの900m先に奥の院があるらしい。
多少迷ったがブログの内容を充実させるためにも行くことにした



鐘楼
石段の道が続くが右手に上に鐘楼があり、すでに何人もが順番を待ち次から次へと撞いている



義経公息次ぎの水
牛若丸が毎夜、奥の院僧正が谷へ剣術の修行に通ったとき、この清水を汲んで喉をうるおした



不動堂



伝教大師が天台宗開宗の悲願に燃え、一刀三礼の礼を尽くして刻んだと伝えられる不動明王が奏安されている



義経堂



奥州衣川で若い命を散らした義経の御魂は幼少時代を過ごした鞍馬山に戻ってきたと信じられ、遮那王尊として祀られている



木の根道
硬い地質のため杉の根が地中に入り難く、地表を這っている



奥の院魔王殿
本殿から西の貴船神社へ抜ける山道の途中、奇岩の上にある小堂



650万年前に金星から地球に降り立ったという魔王尊を祀っている



磐座(いわくら)磐境(いわさか)とも称され、神々が降臨された場所として崇拝されてきた



この2キロ先に貴船神社があるが、帰りに撮ろうと思っていた場所もあったので戻ることにした
写真ではわからないが結構苦労してここまできたため、気力も消耗してしていた

参道の風景



義経公背比べ石



遮那王が背くらべ石を山に見て 
  わがこころなほ明日を待つかな 與謝野 寛
 



遮那王と名のって鞍馬山で修行していた牛若丸が、奥州藤原秀衡の許に下りるとき名残を惜しんで背を比べた石といわれる



参道の風景。このような道が続き、多くの人は「山ガール」の服装で歩いている



屏風坂 革堂の地蔵尊






霊宝殿(鞍馬山博物館)
木造観音菩薩立像(重文)は驚くほど美しい



與謝野 寛・晶子の歌碑



何となく君にまたるるここちして
   いでし花野の夕月夜かな 與謝野 晶子

遮那王が背くらべ石を山に見て 
   わがこころなほ明日を待つかな 與謝野 寛


本殿に戻ってきた。これから仁王門への帰り道になる
石段を下りようとすると美人さんが上ってきたので紅葉を撮るふりをして一枚、どちらも美しい



巽の弁財天社
福徳と智慧と財宝の神・弁財天を祀る



皇后陛下行啓御休息所蹟
石椅子の上に腰を下ろし、皇室気分を味わう



中門(勅使門・四脚門) 
上りの時とは違い、下りは何でも美しく感じる



愛と光と力の像~いのち~ 



参道の風景。この4人の中年男性、歴史研究者なのか愛好家なのか各場所で意見交換をしていた



義経公供養塔
800年余り前、牛若丸が7歳の頃から10年間、昼は学問、夜は武芸に励んだ時に住まいした東光坊の旧跡である。義経を偲んで昭和15年に建てられた



川上地蔵堂
遮那王と称した牛若丸の守り本尊である地蔵尊が祀られている。牛若丸は日々修行の時にこの地蔵堂に参拝した



由岐神社前の願掛け杉



拝殿<荷拝殿、割拝殿>(重要文化財) 
鞍馬山では唯一の建築物での重要文化財。屋根も自然と一体化している



鬼一法眼社
鬼一法眼(きいちほうげん)は牛若丸に「六韜三略」の兵法を授けた武芸の達人



魔王の滝





また一人の女性が山に上っていく。
奥の院まで、あるいは貴船神社まで行こうと思うならこの服装がベストである。
私の場合、奥の院までの往復に要した時間は休息なしで約4時間。途中、自販機などなく、それなりの準備が必要だ



最後の一枚は参道から見えた仁王門



 
撮影 平成25年11月14日
コメント
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