今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

比叡山 延暦寺<東塔>その4(滋賀県大津市坂本本町)

2013年12月20日 | 神社・仏閣
これまで何度か訪れている東塔(とうどう)だが、すでに20数年経っている。
当時気になっていた(母親を背負っている)看板もすでに取り払われていて時代の流れを感じた。
東塔駐車場に着いたときには午後2時近くになっていたので急がなければならないという気持ちになっていた



横川や西塔と比べると参拝者の数が数倍多い

大講堂(重要文化財) 
寛永11年(1634年)の建築。もとは東麓・坂本の東照宮の讃仏堂であったものを1964年に移築。
重要文化財だった旧大講堂は1956年に火災で焼失している



本尊は大日如来。本尊の両脇には向かって左から日蓮、道元、栄西、円珍、法然、親鸞、良忍、真盛、一遍の像が安置されている。
いずれも若い頃延暦寺で修行した高僧で、これらの肖像は関係各宗派から寄進されたもの



大講堂周辺の紅葉も美しくカメラを構えている人の数も多かった



鐘楼
若い女性を中心に長い列ができていた



根本中堂(国宝)
最澄が建立した一乗止観院の後身。
現在の建物は織田信長焼き討ちの後、寛永19年(1642年)に徳川家光によって再建されたものである



堂内に入ろうとしたが何かの行事が行われており、煌びやかな法衣を身にまとった僧侶(後に写真あり)が集団でお経を唱えていた。
遠くからしばらく見ていたがこれはこれで迫力がある

近くにいた若い僧に聞くとしばらく時間がかかるというのでいったん堂内を離れることにした
この石段は文殊堂につながるのだが、上るのは高校2年の修学旅行以来になる



昔は希望と期待で胸が弾んでいたが、今は息切れで胸が苦しい。
石段の途中で休息し振り返って撮った一枚



入母屋造で幅37.6メートル、奥行23.9メートル、屋根高24.2メートル。
土間の内陣は外陣より床が3メートルも低い、独特の構造になっている。
内部には3基の厨子が置かれ、中央の厨子には最澄自作の伝承がある秘仏・薬師如来立像を安置(開創1200年記念の1988年に開扉された)



本尊厨子前の釣灯篭に灯るのが、最澄の時代から続く「不滅の法灯」である。
この法灯は信長の焼き討ちで一時途絶えたが、山形県の立石寺に分灯されていたものを移して現在に伝わっている

文殊堂
寛文8年(1668年)の火災後の再建。
二階建ての門で、狭くて急な階段を登ると階上に文殊菩薩が安置されていて拝観できる



根本中堂の真東に位置し、他の寺院における山門にあたる
下りるときも、どのようにして下りたらよいか考える必要があるが、文殊菩薩の力で解決してくれる



近くにある石塔。日本人は石を置くのが好きだということがよくわかる



戒壇院(重要文化財)



僧侶が大乗戒(規律)を受ける比叡山中で最も重要なお堂



天長5年(828年)に創建されたが、現在の建物は延宝6年(1678年)の再建



内陣に得戒和尚釈迦牟尼仏と文殊菩薩、弥勒菩薩が祀られ、年に一度授戒会が行われる






阿弥陀堂
昭和12年(1937)に建立、壇信徒の先祖回向の道場。本尊は丈六の阿弥陀如来






お堂前には、水琴窟があり、美しい響きを聞くことができる



法華総持院東塔
多宝塔型の塔であるが、通常の多宝塔と異なり、上層部は平面円形ではなく方形



下層には胎蔵界大日如来、上層には仏舎利と法華経1,000部を安置する



再び根本中堂に戻り堂内に入ろうとすると、僧侶の集団が出てきた



先導するのは、和楽器を奏でる僧侶、傘の下の僧侶がこの集団の最高位だと思われる












最後の最後に素晴らしいものを見ることができ、感激した



この後、根本中堂にて「不滅の法灯」の説明を受け、国宝館内の展示物を拝観する

最後の一枚は




 撮影 平成25年11月13日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする