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今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

車中泊旅行 東北編 その6(松島、ベイシー、厳美渓)

2013年10月16日 | 車中泊
この旅の記録は今から8年前のものである。

日本三景 松島
大学2年の時、実家に帰省する途中にこの松島にきたことがある。
港内の海水が汚濁していてがっかりして立ち去ったことを今でも覚えている。



当時は「公害日本」と呼ばれ汚染物質に国民が曝露されていた時代で、隣国、中国の今のような状況であった。



遊覧船に乗り周囲の島々を見ても、とてもきれいで学生時代の嫌な思いが消え去りよかった。



震災の影響が点在している島々に与えたのだろうか。





















遊覧船に乗っていた、若いこの二人も今は30代になっているはずだ。
当時はカモメにも注目されていたが、いまはどのような人生を送っているのだろうか。



「あぁあぁ鴎にもわかりはしない(松尾和子「再会」より)」
それから、カモメを間近で撮りたい人はこの観光船を薦める。



東北旅行の3つの目的地。① 恐山、② 土門拳記念館、そして最後になるのがこの喫茶店だ。



日本でも有数のジャズ喫茶である一関の「ベイシー」
その迫力ある音を聴こうと日本はもとより世界中からジャズファンが訪れるという。
店主が気に入った音がでるまで開店しないという店であったが、幸運にも入ることができた。
コーヒーを注文しさっそくその音を聴く。



大音量で、床から体に響いてくる低音は家庭では再生することはできない。
金管や打楽器などは目の前で演奏しているような感じでもあった。
何か評論家みたいな口調になったが、オーディオが好きで機器を購入するためにローン地獄になったほどの歴史がある。
ジャズコンサートもよく聴きにいったし、レコードもかなりある。
事情があってしばらくオーディオを封印していたのだが、解くきっかけになればいいと思って訪れた。



コーヒー2杯、レコード4枚分を聴いて店を出る。
心は満足感、体はリズミカルになっている。

撮影 平成17年7月28日

昨夜は、道の駅「厳美渓」に泊まる。
学生時代にこの地を訪れたときに厳美渓が「きれいな風景」という記憶があったからだ。

天然記念物 厳美渓



店の対岸に吊るされているかごに代金を入れて合図をすると、かごがスルスルと上り、団子が入って戻ってくる。
渓流をかごが行き来する「空飛ぶだんご」は名物だそうだ。



車で移動しながら撮ってみる。



途中で朝のラジオ体操をしていたということは、相当早い時間だ。 




撮影 平成17年7月29日
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車中泊旅行 東北編 その5(圓通院、瑞巌寺、五大堂)

2013年10月15日 | 車中泊
大学時代に加入していた部活動の同期会が北海道で開催された。
全国各地から全体の1/3にあたる約20名が集結した。
酒を酌み交わし、青春時代を共に過ごした想い出を早朝まで語る充実した3日間。
同じ釜の飯を食い、苦楽を共にした仲間との結びつきの強さを改めて感じた。
という理由で、東北旅行記は一時中断した。
繰り返すがこの旅行記は今から8年前のものである。

さて、旅を続ける。
山形県酒田市の土門記念館を出て、当時、何を考え行動したのだろうか。
写真を見ると、翌日には宮城県の松島海岸に来ていた。
日本海の酒田市から太平洋側の宮城県まで陸路横断していたことになる。
どこの道の駅に宿泊したのかも記憶にないが、ある出来事だけは今でも鮮明に残っている。
それは、夜中、車を走らせていると恐山では何も感じなかった「あの、感じがしたのだ」。
数分間だけではあったが、走行中の車の周辺に大粒の物体が薄く光り輝きながら漂っていて、ある瞬間に、その物体が運転している私の体の中にもの凄いスピードで入ってきた。
この体験は初めてで「霊感がもどったのかな」と思った。

この日、最初に訪れた場所は、昨日の土門拳記念館の影響もあり圓通院。(この時は今とは違い寺社には全く興味がなかった)
いつもなら何も考えずに、目の前にあるものを連写するのだが、「土門拳ならどう撮るだろうか」など考えていたように思う。

圓通院
臨済宗妙心寺派の寺院。伊達政宗の嫡孫光宗の霊廟として、正保4年(1647)瑞巌寺第100世洞水和尚により三慧殿が建立され開山された。
三慧殿は別名御霊屋(おたまや)とも呼ばれている。

三慧殿(重要文化財)



技術の粋をつくした伊達家屈指の建築物



宮殿型厨子



古来、松島は「奥州の高野」と呼ばれ、亡き人の供養が営まれた場所。









庭園









瑞巌寺
瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」という。
開創は、天長5年(828年)比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁が淳和天皇の詔勅を奉じ、3000の学生・堂衆とともに松島に来て寺を建立した。
この寺は延暦寺と比肩すべき意を持って「延福寺」と命名され、平泉・藤原氏の外護を受けた。






石碑



青龍山灯塔



御成門(重要文化財)



中門(重要文化財)






本堂(国宝)



庫裏(国宝)



五大堂 
大同2年(807)、坂上田村麻呂が毘沙門堂を建立し、後に、慈覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、「大聖不動明王」を中央に、「東方降三世」、「西方大威徳」、「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになった。







撮影 平成17年7月28日
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車中泊旅行 東北編 その4(入道崎、真山神社、なまはげ館、土門拳記念館)

2013年10月11日 | 車中泊
これは平成17年7月の旅行記である。
昨夜は秋田県の道の駅「みねはま」に宿泊した。
最初の車中泊旅行だけに「車の中でただ寝る」といった感覚で、寝具なども用意していない。
暗くなったら後部座席で寝て、朝陽と共に起きる。そんな感じで3日目を迎えた。 

地図でしか知らない八郎潟周辺を走り、寒風山展望台を目指す。
昨夜からの雨に加えて霧で進行方向がよく見えない。
本来なら360度の大パノラマが見られるらしいが今日は何も見えない。
視界が開いたので風雨のなか傘とカメラを持って車から飛び出すが、予想以上に風が強く自由がきかない。



どんよりした重たい雲が居座り、本来の姿を想像することさえできない。
傘も壊れ、カメラを守るため人間も濡れる。
いい思いは無いが8年後の今でも記憶が残る 寒風山 である。



寒風山の先にあるのが 入道崎 である。

誰だってあるんだろう心の奥に 宝物の地図大切な場所へ……
君だってあるんだろう大切な場所が 思い出すたびに笑顔になれる……

池田綾子の透きとおった声の歌ではじまるNHK「にっぽん縦断 こころ旅」でこの入道崎が2日前に紹介された。
視聴者から寄せられる一通の手紙。
誰かにそっと教えたい「忘れられない風景」が記されていて、俳優・火野正平氏が自転車でその地を訪ねるという番組だ。



北緯40度線上にあることから、それを印した安山岩のモニュメントが配置されている。



平地部分は穏やかに見えるが、立っているのが困難なほどの強風である。



1898年(明治31年)に建造された入道埼灯台があり、白黒対称の縞模様が一際目を引く岬のシンボルとなっている。



秋田といえば頭に浮かぶのは"泣ぐ子はいねが"の「なまはげ」である。
"ナマハゲ"の語源は、"ナモミ(冬に仕事をしないで囲炉裏にあたってばかりいると皮膚にできる火斑・斑紋)をハグ"からきていて、怠け者を戒める鬼または神様であると考えられている。

はじめに、なまはげ発祥の地 真山神社 へ。
この神社名はこの地に来てはじめて知ったのだが。

仁王門 



この仁王像の記憶が全くないが、記録として残っている。神社に仁王像というのも記憶にない。



調べてみると、江戸時代後期に秋田藩主佐竹侯の命により寄進改築。
旧光飯寺の山門であったが明治以降神社の神門として今に至るそうだ。



さらに階段を上がるが神社という感じがしない。



神楽殿 
平成3年の台風19号による倒木を主として平成5年に新築。



屋根にはなまはげを形取った赤・青の鬼瓦が取り付けられている。



殿内には秋田藩4代藩主佐竹義格(よしただ)侯寄進の御神輿が置かれていた。



なまはげ発祥の神社らしく入口にも



拝殿






薬師堂

 

神仏習合以来の別当光飯寺の本尊木造薬師如来坐像(南北朝時代の作)が祀られている。



五社殿
古くは五つの社があったが江戸時代後期に焼失し、残った一社に合祀し現在の場所に遷された。
殿内には、文化年間以降の参詣者の落書が所狭しと記されている。



なまはげ館
 


周辺の風景を見ているだけでも十分楽しいが、この展示物は存在感がありおもしろい。



館内は自由に写真が撮れる。









男鹿真山伝承館
ナマハゲ習俗を広く観光客にも知ってもらうために、古い伝統としきたりを厳粛に受け継いでいる真山地区のなまはげ習俗が体感できる学習講座の最中。



最後は写真家「土門拳記念館」 だ。
山形県酒田市にある。今回の旅行の3つある目的地の2つ目になる。



今回初めて訪れることになるが、館内に展示されている写真は本当にすばらしく感動する。
雑誌の写真を見ても十分すごいと思うが、やはり本物は違う。
これまでモデル撮影会で人物ばかり撮影してきたが、この日からお寺や仏像に興味を持つようになった。
 
 


撮影 平成17年7月27日
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車中泊旅行 東北編 その3(三内丸山遺跡、斜陽館)

2013年10月10日 | 車中泊
この旅の記録は平成17年に初めて車中泊をした時のものである。
旅行日程は決めていなかったが、出発に際して3か所行きたいと思う所を設定していた。
その一つは恐山であり、その目的は達成された。
青森県といえば何が有名か。思いつくのは「ねぶた」「棟方志功」「三内丸山遺跡」「太宰治」であった。

道路地図をみると三内丸山遺跡が近い。車を走らせ、駐車場に近づくとその規模の大きさに圧倒される。
下の写真は総合受付前の写真であるが立派な建物で見学料金も無料とは驚く。



特別史跡 三内丸山遺跡
日本最大級の縄文集落跡。発掘調査によって当時の自然環境や生活、ムラの様子などの解明が進められている。
遺跡は通年で公開され、自由に見学することができる。



今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていたようだ。
古い建物は好きだが、ここまでくると……。






北海道で生活しているため冬の厳しさはよくわかるが、この地で寒さに耐え、食糧を確保し、定住していたとは想像がつかない。
 


この時代、住居の近くまで海がきていたそうだ。
この大きな建物ではムラ長を中心に会合などが行われていたのだろう。






この遺跡のシンボル的な大型堀立柱建物だが専門家の見解は分かれている。
建物なのか、建物でないのか。



宗教的施設、見張り台、天文や季節の基準を知るための施設。
大きな謎のひとつになっている。



6本の支柱の足場となる堀穴。

 
 
学生時代、太宰治の「人間失格」を読んだ。きっかけは、若い女性の電車への飛び込み自殺が数回あり、その胸には太宰の人間失格を持っていたからだ。
その後、数冊の小説を読んだ記憶があるが、この旅で太宰のことが頭に浮かんだのは「文庫をもって旅にでよう」という内容のNHKの番組を視たからだと思う。

駐車場を探していると目の前に「津軽三味線会館」があり、道路を挟んで向こうに太宰の生家がある。
人間とは不思議なもので「ジャンジャカ、ジャンジャカ」と音の鳴る方へつい引き込まれてしまう。



津軽三味線の演奏を聞くのは初めてであったが、演奏者の伎倆、話術そして演出も最高で堪能した。



太宰の怒った顔が。そうだ、斜陽館をすっかり忘れていた。



太宰治記念館「斜陽館」(重要文化財)
太宰が生まれる2年前の明治40年(1907)、父・津島源右衛門によって建てられた豪邸。
国の重要文化財建造物に指定され、明治期の木造建築物としても貴重な建物。



太宰はここで、家の商売や自らの立場を感じ、兄弟の間にも存在する身分の差を実感。
親代わりの叔母きゑ、子守のタケとの出逢いと別れを経験し、成長していった。



津軽三味線演奏者の巧みな話術の中に、青森に来たなら「十三湖のしじみ汁」がお薦めだといわれた。
小雨が大降りに、しかも強風も加わり天候が急変してきた。十三湖にたどり着いた時には店も閉まり、開けているところも団体が入ったということで完売。
波立つ湖を見ながら寂しく元の道を引き返すことに。

海岸沿いを走っていると観光地らしき場所があった。午後7時周囲は暗い。

千畳敷海岸
1792年(寛政4年)の地震で隆起したと伝えられる海岸段丘面。
物珍しがった津軽藩の殿様が、そこに千畳畳を敷かせ大宴会を開いたとされることからこの名がある。



藩政時代には殿様専用の避暑地で庶民は近づけなかったという。

 


撮影 平成17年7月26日
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車中泊旅行 東北編 その2(恐山・ねぶたの里・棟方志功記念館)

2013年10月09日 | 車中泊
高校時代から霊感が強かったのか、本来なら見えないものが見えるし、話しかけてもくる。
就職して間もない頃、大学の先輩と旅先である小樽市の焼鳥屋に入った時の話しだが、若くて美人の女将がいた。
ところが、目と目が合うと妙な感じになり全身に鳥肌がたつ。
しばらくして、また視線が合うと同じ感じになる。不思議に感じていたが、先輩が席を外したときにその女将から「霊感が強いですね」と言われた。
店に入ったときから向こうも感じていたらしく、話しをしたいと思っていたそうだ。
その女将は夕張出身で幼い頃から炭鉱事故で亡くなった人がよく出てきて一緒に遊んでもらったという経験をたくさん持つという。
話しは長くなるので、途中を省略するがその女将から言われたのは「恐山に行きなさい。あなたの人生が変わるかもしれない」と。
この言葉は常に頭から離れず、その時から30年後にやっと実現することになった。

釜臥山 菩提寺(別称:恐山菩提寺) 
青森県むつ市の恐山にある曹洞宗の寺院。
寺伝によれば862年(貞観4年)天台宗の僧円仁がこの地を訪れ創建したと伝えられる。 




なぜ、この地を訪ねたのか。人生を変えたかったのか。



いや、違う。
30代後半の頃「今、山にいるから助けて」と叫ぶ声に目が覚め、翌日の行方の絶っていた航空機が山から発見されたニュースが流れた。

 

その間の詳細は話すことはできないが、その日から長年苦しんでいた不思議な力から解放された感じがしたのだ。



それを確かめるためにこの地に立った。



各場所に静かに立ち呼吸を整え、周囲の霊気を感じ取る。



周囲は独特の不気味さはあるが、何も感じない。



ここは血の池地獄だが、ここでも何も感じない。



それを確かめることができただけでもこの地を訪れて本当によかった。



日本三大霊山・霊場・霊地のすべてに入っている恐山。
その雰囲気は十分にある。観光客も多いがここでは笑顔の人はいない。



極楽浜から見る、宇曽利山湖。その美しさがかえって不気味さを感じさせる。

 

この日は道の駅「浅虫温泉」の温泉に浸かり、前日の睡眠不足に疲労も重なりシートの凸凹も気にならず熟睡。


撮影 平成17年7月25日

快適な朝を迎える。朝、駐車場で横に駐まっていた老人の男性に声を掛けられた。
これから1ヶ月かけて北海道観光をするそうだ。
雑談の中で車内がとてもきれいで素敵ですねと話していたら、私の顔の前に後方から急に手が伸びてきてりんごが。
恐山の祟りかと驚いたが「褒めてくれてありがとう」と奥さんからの贈り物だった。
さらに雑談に花が咲き車内まで見せてくれた。
最後に、75歳になり「最後の旅になる」と寂しそうに語っていたが、奥さんは「毎年言ってるのよ」笑っていた。 

ねぶたの里
青森と言ったら「ねぶた」のことが頭に浮かぶ。



その当時の職場の同僚に青森県出身者がいたが祭りの時期にはいつも実家に帰省する。 



この祭りに参加することが楽しみだと話していた。



この壮大な山車を見ているだけで雰囲気はわかるような気がする。



坂上田村麻呂が陸奥国の蝦夷征討の戦場において敵を油断させておびき寄せるために大燈籠・笛・太鼓ではやし立てたことを由来としていた。



しかし坂上田村麻呂が現在の青森県の地で征討活動をしたとは考えられず、ねぶたの起源とされたものも田村麻呂伝説の1つと見られる。



ねぶた会館では、青森ねぶたや弘前のねぷたなど、十数台のねぶた ねぷた を展示している。






棟方志功記念館 



青森が生んだ世界に誇る板画家棟方志功の文化勲章受章を讃え、その芸業を末永く後世に伝えるため、1975年(昭和50年)に開館した。



校倉造りを模した建物は、池泉回遊式の日本庭園と調和し、季節の移ろいとともに四季折々の風情を感じさせる。



展示室は作品をゆっくり鑑賞できるようにとの工夫がされている。
本物の凄さは作品から何かを感じ取ることができるし、何かを感じ取ろうという気持ちにさせる。




撮影 平成17年7月26日
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車中泊旅行 東北編 その1(鍵掛け岩・仏ヶ浦)

2013年10月08日 | 車中泊
2・3日前のあるテレビで片付けられない人の部屋をきれいにするという内容の番組を途中からだが、しっかりと視てしまった。
片付ける側の主役の女性も、生活が荒れていた少女時代は、部屋の床が見えないくらい汚かったと写真を公開しながら話していた。
就職試験も失敗続き、当然仕事もなく時間があったので部屋をかたづけだしたそうだ。
そうすると、自分にも変化が起こり就活もうまくいくようになり、現在の仕事に就いたといっていた。

その荒れていた少女時代の部屋より私の今の部屋の方がずっと汚い。
荒れた生活をしている訳ではなく、現職の時よりもさらに充実した生活を送っているのに。
ということは、ただ単に片付けられない男ということか。努力はしようと頭では考えているが行動できない。
しかし、テレビを視た直後だけに何かを実践しなければならない。
そこで、最初に思いついたことが、外付けハードディスクの整理をするということだ。
「見た目より中身」を優先したのかもしれない。


初の車中泊旅行(東北編)
驚いたことに初めてフェリーに車を乗せ東北地方を旅行した時の写真がそのハードディスクの中に入っていた。
平成17年7月25日から30日の記録だ。最近、ブログのネタも少なくなってきていただけに嬉しい。
今日から数日はこの旅の紹介となる。

若い頃から車が好きで日産車のチェリー、シルビヤ・スカイライン・フェアレディZと乗り継ぎマツダのワンボックスカー(ボンゴシリーズ3台)から、初めてトヨタ車のアルファードに。
納車は旅行の1週間前。自宅から函館港まで約300Kmだが慣らし運転も兼ねてちょうどいい練習になった。
函館港で一夜を車内で過ごしたが、フラットシートではないため仮眠程度で熟睡はできなかった。
フェリー乗船の際も初めての経験なので緊張したことを思い出す。



写真の母と娘は、私とは無関係だが、函館山を見ている姿がよかったのでついシャッターを押してしまった。
8年前の出来事だが記憶にははっきりと残っている。
この女の子も今は高校生か大学生になっているはずだ。
 


大間港に着き大間崎を見たあと国道338号線を南下していると、美しい景色と駐車場があったので立ち寄った。
「鍵掛け岩」と呼ばれ縁結びの神として信仰を集めている。



佐井村「新・観光三景」と自分たちで決めているところが面白い。



動物の顔に似た岩など美しい風景だ。






名勝・天然記念物 「仏宇陀(仏ヶ浦)」
さらに南下すると道路沿いに展望台があり数台車が駐まっている。私も展望台からの景色を眺めてみると「あっと」驚く光景が眼下に。



100メートル以上の高低差がある急峻な地形で車道を通せず、近年整備の歩道のみが海岸に通じる。
階段が続き所要約15分だが結構疲れる。



断崖により陸上から近付くのが困難な土地で、長らく地元民のみに知られる奇勝であった。



陸奥湾口の平舘海峡に面した峻険な海岸沿いに2キロメートル以上に亘り、奇異な形態の断崖・巨岩が連なる。
緑色凝灰岩を主とした岩石が非常に長い間の海蝕を受けた結果形成されたものである。



海上からでなければその全体像は把握できない。
佐井村佐井港およびむつ市脇野沢港からの観光船が一般的な交通手段。






宗教家の青木慈雲は霊界の入口であるとした。



文人で、登山家・紀行家の大町桂月は、1922年9月に下北半島を訪れた際、仏ヶ浦を見て強い感興を覚えた。



「神のわざ 鬼の手つくり仏宇陀 人の世ならぬ処なりけり」の和歌をもってその奇観を賞した。 
 

 

撮影 平成17年7月25日
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