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今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

2017年春 車中泊による放浪の旅 その5

2017年05月14日 | 車中泊
道の駅「宇津ノ谷峠」
幹線道路である国道1号線横にある道の駅
結論から言えば車中泊という観点からすると選択を誤ってしまった
これまで経験した中で一番騒々しい道の駅である



駐車場も狭く建物も新しいとはいえない
快適な朝どころか夜中に何度も嫌な夢で目が覚めてしまう。いい経験になった



登呂遺跡
歴史教科書で名前は知っていたが、現地を訪れたのは初めてである
復元したものであるが、写真を撮っていると夢中になってしまう



週末の体験学習で親子連れが火起こしに挑戦していた。見ていても楽しい



この住居、キャンプをするテントの形とよく似ていると思った



久能山東照宮
雨が降ったら県立美術館、晴れたら東照宮と二通り考えていたが、晴れていたので東照宮に行くことにした
東照宮に行くには1000段超の階段で行く方法と、ロープウエイで行く二つの方法がある



拝殿・本殿は国宝に指定されている



「神廟」 家康の遺言通り「遺骸は久能山に埋葬」された

 

清見寺
家康ゆかりの寺で葵の紋が各場所に使われている



「玉座」 堂内の写真撮影はすべて許されている



狭い空間に描かれている狩野派の八方にらみの龍



五百羅漢の一つ。お腹に注目



寺から駐車場への帰り道「撮り鉄」の三人が構えていた



駐車場で地元の女性に遠くからお参りに来てくれてありがとうございますと感謝された
まだ富士山を見ていないというと、この時期は水蒸気が発生するのであまり見えない。秋から冬が一番きれいだと話してくれた
富士山をみるなら山梨ではなく静岡からとも
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2017年春 車中泊による放浪の旅 その4

2017年05月13日 | 車中泊
道の駅「天竜相津 花桃の里」
昨夜からの強い雨が止む気配もなく、降り続いている
今朝はカメラが濡れるので道の駅の撮影を止めた

天気予報通りだと一日雨だ。雨の日は博物館や美術館で過ごすことが最近普通になっている
ネットで調べ「浜松市楽器博物館」の存在とその評判を知った
駐車場のことが気になり電話で確認すると、2mという高さがあり無理ということがわかったので「浜松市博物館」に行き先を変更した

浜松市博物館
入館料が300円、JAF会員の私は240円で入ることができた
雨でずぶ濡れになってでも来たかいがあったと思った



いきなりナウマン象が迎えてくれたが、全体的に展示物の内容は充実しているとはいえない






墓地から出てきた男性の人骨



時間は早いが今晩車中泊する道の駅に向かい、午後3時に到着する
隣の熊本ナンバーの男性にご挨拶。途中事故に遭い、右フェンダーミラーが割れ、車体にも大きな痕跡が残っていた
これから北海道最先端の稚内市を目指し走ると話してくれた。別れ際にデコポンをいただいた

道の駅周辺の観光案内板を見ながらメモしていると「登呂遺跡」に行くんですかと急に話しかけられた
天気の関係で富士山を見ることができないことも考えてメモしたいただけに少し驚いた
登呂遺跡から道の駅に来て、私のメモを見て話しかけてくれたようだ。ついでに近くの観光地の案内をしてもらった
長野県から富士山に魅せられて通っているらしい、どうも写真を撮っているようで秘密の場所に明日の朝早い時間に出発すると言っていた

明日どこに行くのか朝の天気次第。登呂遺跡はもちろん候補の一つ
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2017年春 車中泊による放浪の旅 その3

2017年05月12日 | 車中泊
道の駅「塩見坂」
交通量のある幹線道路の側にある道の駅だけに、車の出入りが激しく騒々しい
うるさいと思うまもなく眠りにつき、快適な朝を迎えた



道の駅の情報で最初に向かった寺が道路幅が狭く断念することになった

本興寺
大きな駐車場があり山門を見て、期待できると思った



茅葺きの本堂は国の重要文化財に指定されている
雨漏りがあり葺き替えを国に申請しているそうだ
この姿を見ることができるのは今のうちなので、いいときに訪れた



摩訶耶寺
道の駅の情報で訪れた。重文の仏像があるということで気持ちが動いたが、この山門もよい



天井画が美しく撮影も認められているのが嬉しい



庭園も美しいらしいが私にはその良さがわからない



龍譚寺
「女城主直虎」の影響なのか、参拝者が京都や奈良の人気寺院のように絶え間なく押し寄せてくる



落ち着くまで堂内には入らず、周辺を見て回った



井伊家歴代の墓所。右から2番目が「直虎」三番目が「直親」



初山 宝林禅寺
入浴施設に向かう途中、候補にあげていた寺が道路沿いにあったので立ち寄ることにした
重文に指定されている本堂を持つ



方丈も重文に指定されている



大好きな石仏もある



充実した一日を過ごした。入浴施設を探し、たっぷり2時間湯につかり夕食を済まし、午後7時、山の中にある道の駅にたどり着いた
隣にはダム巡りをしているという九州の夫婦がいて挨拶を交わした
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2017年春 車中泊による放浪の旅 その2

2017年05月11日 | 車中泊
道の駅「デンパーク安城」
昨夜は時折強い雨も降っていたが、気がつけば深い眠りから覚め朝の7時を過ぎていた
快晴で気温も20度を越え、半袖に着替えた。車内の整理をしているとキャンピングカーが今すぐ欲しいという男性から声を掛けられた
購入前の熱意が感じられ、つい長話になってしまったが楽しい一時を過ごした


 
金蓮寺
愛知県では唯一の国宝の建造物「阿弥陀堂」が有名である
2年前に訪れた時は大型台風接近の数時間前で途中から大雨になり断念
今回、駐車場に着いて驚いたのは重機が入り阿弥陀堂前参道の工事をしている



西福寺鐘楼
「西福寺の鐘楼」と紹介されていた寺が側にあるということなので訪ねてみた



何か足りない。有名寺院に行かなければと「豊川稲荷」を目指した

豊川稲荷
正式には「豊川閣妙厳寺」という。一度訪れてみたいと思っていた寺である



大きな鳥居の奥に本殿が見えるが、ここでも階段の工事が行われていた



初めて訪れたこともあり、ボランティアガイドさんに説明を依頼した
説明の途中で郵便局の車が入ってきた方向を指して、日本で一番古いポストが境内にあるということを話してくれた



「瓢箪から駒」(瓢箪の中から馬が飛びだすことで、思いもよらないことが起こるたとえ)を表現した彫刻



本堂の賽銭箱。正月三が日で140万人の参拝者があることでも有名だが、この賽銭箱の大きさにも驚く



霊狐塚
境内の奥深い所にある霊狐塚。印象に残る場所である



御利益があった人がここに置いていくそうである



道の駅で生しらす丼を味わえると聞いたので食券で注文、出てきたのは干したものであった
口に合わずほとんどを残食、申し訳ないことをした
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2017年春 車中泊による放浪の旅 その1

2017年05月10日 | 車中泊
2017年春 放浪の旅が始まった
5月8日に苫小牧港を出港、名古屋港への2泊3日の船中泊からいつもの旅が始まる

18人部屋の2等和室でどのような人に出逢えるかが旅の最初の楽しみでもある
お隣は釧路町でラーメン店を経営している仲むつまじいご夫婦
波瀾万丈の人生が店名になっているのか、「火の車」「ばかあたり」「のるかそるか」ネーミングが実に面白い
道東に訪れる機会があったら是非寄ってみたいと強く思った

東京在住の女性がこれまで全国を車で走って印象に残った場所のひとつに私と共通する「角島」があった
富士山周辺を毎週走っているが「とてもいい」の一言で私も富士山を目指すことにした

最後はとあることをきっかけで話に加わった男性。派遣で熱海に向かう途中とのこと
会話の中で旭川出身で私の高校の後輩ということもわかった
名前に聞き覚えがあったが定かではなかったので、本人には話さなかったが…
教育実習の時や教師になって母校に勤務していた時、彼は生徒だったはずだ

恋の水神社
「野間大坊」に向かう途中、周辺に人気スポット(若い女性に)があるということで立ち寄った
神社仏閣を多く巡ると鳥居や山門を見るだけで大体の想像ができるようになってきた



願いを書いた紙コップに手前にある水を入れ、奉納するようだ



私には検尿のコップにしかどうしても見えないが、縁を求める人が多いのにはいつも驚く



野間大坊
歴史は古く天武天皇の時代に始まり聖武天皇のとき行基菩薩が中興する



鐘楼内の梵鐘は重要文化財に指定されている



源義朝公御廟



岩屋寺
尾張高野山宗の総本山



一際目についた経蔵、200年前の建物とのこと



大同3年(808年)に弘法大師空海がこの寺の「奥之院」を開いたともされる



道の駅に到着したのが午後5時過ぎ。店も閉店していた
隣の大宮ナンバーのハイエースの男性に挨拶後、30分程度の立ち話。各地の地名を調べる旅をしているそうだ
今日もいろいろな人に出逢い一日が終わった
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2016 東北を旅する(19日目)

2016年05月30日 | 車中泊
東北を旅する(19日目)
宮古港に隣接している、道の駅「みやこ」にて車中泊
ここは震災の津波により、大きな被害を受けた地域である
地域の人の話によると、「全国で一番先にTV中継された場所だと、後で聞かされた
すぐ停電になったため、まったく何がおこっているのかわからなかった」と語ってくれた



浄土ヶ浜
第1駐車場の展望台から眺める。震災復興の助けになればと、観光船に乗ることにした。



この会社の船も損害を受け、この船一艘だけが残った
大きな地震が起こり津波が来るのではないかと、船長の機転で船を沖に出し難を逃れた
このことは、船内放送での説明により知った。船上からも大きな拍手がおきた



船上では、ガイドの案内に従ってカメラを向けた









カモメではなく、海猫のジョナサンも観光船で餌付けをしているため、後を追いかけ飛んでいる









下船した後は、徒歩で周囲の景色を楽しみながら「浄土ヶ浜」を目指す






次の目的地まで車を走らせていたら突然目の前にこのような光景が…
調べてみると、三陸鉄道と同じ塗装をした、「平井賀川の水門」だった
まったく違う想像をしていた



北山崎
標高差200mの大断崖が8km続く景勝地









撮影 平成28年5月29日
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2016 東北を旅する(18日目)

2016年05月29日 | 車中泊
東北を旅する(18日目)
温泉が併設されている、道の駅「とうわ」に車中泊
前夜から翌日の計画ができているのはこの旅行では初めて
そのためか、夜中に何度も目が覚める



盛岡競馬場
退職後は長年の趣味である全国の競馬場巡りをしてみたいと考えていた
2~3日前から岩手競馬開催日情報を調べ、自分なりに日程の調整をしていた



目の前に立派な馬の彫刻が迎えてくれる
これまで神馬も含め見た馬の彫刻とは次元が違う、まさに芸術作品



ネットで調べてみると「エミール=アントワーヌ・ブールデル(仏国人有名彫刻家)」の作品 



1Rのパドック。地方競馬なのでこれはすごいという馬はいない
今日は予想紙を購入せず自分の目だけで馬券を購入することにした
当然、オッズなどもまったく見ないでパドックと返し馬の様子から判断



的中したが、配当金が投資金額より少ない「トリガミ(通称:ガミる)」
山に囲まれ、とても雰囲気の良い競馬場。家族連れ、恋人同士、孤独ではない老人なども多い



地方競馬でこれだけの規模をもつ競馬場はここだけ。噂以上だ



「芝コース」を持つ唯一の地方競馬場でもある



観客数も多く近くにいた人の話では、明日の日曜日は満員になるとの予想をしていた
目の前を馬が走り、騎手の叩く鞭の音や馬の激しい息づかいを体験できることも人気の要因になっていると感じた



もう一つ楽しみにしていたことは屋台村のジャンボ焼き鳥。2店あるが「元祖」とついている店で注文
待つこと30分、出てきた鶏肉の大きさにびっくり。しかも旨くて申し分ない。楽しい一日であった



この「毘」の漢字の帽子、上杉神社の土産店で購入
戦いの神様だが、残念ながら競馬予想には役立たなかった

撮影 平成28年5月28日
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思い出の情景 その5

2015年10月08日 | 車中泊
昨年秋の車中泊の旅の記録。人との出逢いや思いがけない発見などがテーマになっている。

16 女子大生のカメラ
高台に位置する普明閣(広島県竹原市)。観光で来た人の多くは、ここにのぼり竹原の風景を眺める人気の場所
舞台作りとなっており、京都の清水寺を模して建立された場所に私も座ってみた。妙に落ち着くから不思議だ



私の隣に女の子が座った。そして持っている年代物のカメラを見て驚き、年甲斐もなく話しかけてしまった
中学生だと思っていたが「高校生」と声をかけると、笑って「大学生です」と応えた



おっさんがデジカメを持ち、若い女性がフィルルムカメラ、しかも二眼である。これも時代の流れなのか

17 西國寺って
尾道の浄土寺を探して、たどり着いたのがこの寺。参道や境内で絵を描いている人に挨拶をする
北海道から来たというと何故か会話が弾み、周囲にいた人も集まり、絵も描かず写真も撮らず30分ほどこの場で世間話
西國寺の歴史を学び尾道では千光寺と浄土寺とともに3つの指に入ることも知った
 


そして、重要文化財の三重塔があることもわかった



境内では老若ではなく、老老男女の集団が絵を描いていた。その対象物を近くで確認し夢中でシャッターを切った



方向音痴もたまにはいいこともある。感謝の挨拶をして別れる(浄土寺への道も教えてもらった……)

18 念願の浄土寺に着く
前年、目の前に山門があるのに駐車場を探すことができず、参拝を断念し悔いを残した寺である



西國寺で道順を聞き、「古寺めぐり」の道標もあるのだが、人生と同じで真っ直ぐたどり着けないのが私である  



浄土寺には三大多宝塔の一つがあり、どうしてもこの目で見たかったのだ



高野山金剛三昧院や石山寺の多宝塔と並ぶ塔といわれている



建物のほとんどが重要文化財に指定されている
拝観料は内陣と宝物館のみで詳細に説明をしていただける

19 美しすぎる岡山城
烏城(うじょう)、金烏城とも呼ばれているらしい



このような城は初めて見る。美しすぎて模型を見ているような違和感がある



夕暮れ迫る岡山城

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思い出の情景 その4

2015年10月07日 | 車中泊
昨年秋の車中泊の旅の記録。人との出逢いや思いがけない発見などがテーマになっている

13 一乗院 鰐淵寺の浮浪の滝
出雲には何度か足を運んでいるが、鰐淵寺の存在は知らなかった。雑誌を見てその写真に驚き、今回の旅の目的地にした
開山智春上人が滝壺に仏像を落として困っていると、鰐がそれをくわえて浮上したので鰐淵(がくえん)の名が生じたという



この場所に進む参道には案内板が一つもないというのも緊張感があっていい
川に置かれた石の上も歩くことになる



受付所から少し歩くがここに来るまで耳に入る音は水の音だけ。勿論世間の雑音もない
受付所に戻ると、住職からお茶をすすめられ、20~30分程話しを聞くことができた
参拝者との会話を大切にしていることがよくわかる



途中宿泊した道の駅のパンフで「鰐淵寺」に伝わる寺宝を島根県立古代出雲歴史博物館で展示していることを知り、運の良さを感じた



「八百屋お七と寺小姓吉三」の墓
天和2年(1682)江戸本郷の火災の時、お七は若衆小野川吉三郎に出会い、激しい恋情を抱いた
お七は吉三郎が忘れられず、逢いたい一心で天和3年放火して、火刑となった
吉三郎はこれを憐れみ、出家して、お七の遺骨と供に全国の寺院を行脚、鰐淵寺で行き倒れになったと伝えられる



14 道の駅で写真家に声をかけられる
前夜から、私の車の10m程離れていたところにキャンピングカーが駐まっており気にはなっていた
その方が車に乗り私の前を通過したときに軽く会釈すると、突然車を止め私の所にやってきた
私の車が気になっていたようである



話の途中で彼がプロのカメラマンということを知り、しつこく質問し、参考になる話をたくさん聞かせてもらうことに
道の駅を紹介する仕事もしているそうで、ここでは俯瞰して撮影することを薦められた



山と渓谷社から出版されている「日本の歳時記」の写真家
そのカレンダーの写真を撮らせてもらったが、愛機G1Xも興奮したのか、とんだピンボケ写真になってしまった



彼は本橋昴明という写真家
HP「写真家 本橋昴明 自然からのメッセージ」には作品もアップされている
1時間半以上も話を聞かせていただき、感激し刺激も受けたが、その後写真技術が向上したかは定かではない

15 初めての津和野
道の駅「津和野温泉 なごみの里」では電車の通過する音が山に響き目が覚めた

「太皷谷稲成神社」  今年度最初のブログで使った写真






「史跡 森鴎外旧宅」 鴎外がこの旧宅に住んだのは、わずか11年であり、その後再び津和野も、この家も訪れることはなかった



鴎外の勉強部屋



津和野の地名の由来となった「ツワブキ」の花



死に及んで「石見人森 林太郎トシテ死セント欲ス」という遺言を残して、大正11年7月9日に永眠した。 享年60歳



「森鴎外の墓」 永明寺は森家の菩提寺であり、親族の墓石の中央に鴎外の墓がある



「森林太郎として死せんと欲す」の遺言通り墓石には「森林太郎墓」と刻まれている



鴎外の遺言により、中村不折の筆による「森林太郎墓」としかない質素なもの
中村不折は洋画家・書家として活躍。漱石の「我が輩は猫である」の挿絵を描いた



「乙女峠マリア聖堂」 津和野カトリック教会神父、岡崎祐次郎が殉教者の霊を慰めるために乙女山の中腹、光淋寺跡に建立された聖堂



明治政府がキリスト教を改宗させるために、長崎県浦上の切支丹信徒総員163名を津和野に
乙女山の光淋寺境内の納谷に預けられ、日夜残酷苛烈な拷問にかけられて改宗を迫った
 
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思い出の情景 その3

2015年10月06日 | 車中泊
昨年秋の車中泊の旅の記録。人との出逢いや思いがけない発見などがテーマになっている

9 大学時代の朋友の心遣い
津和野にいた私は、防府市に住む仲間に「近くまで来ている」と電話した
その彼は家族で石垣島に出かけているという
翌日に帰る予定というので再会を約束
旅の疲れもあったと思うが夜遅くに再会を果たすことができた

翌日は彼の案内による地元観光
「名勝・天然記念物 青海島」 観光船が洞窟内に入るなど迫力満点



「角島大橋」 車を運転していて鳥肌がでるほど感動。きっとまた訪れることになると思う



  


「角島灯台」 飲料水1本分の値段で螺旋階段を上がり、絶景を眺望することができる






広島を通って帰路につくと話すと、広島を黙って通過すると大変なことになると呉市に住む仲間に連絡してくれた
菅原 文太主演「仁義なき戦い」の義理と人情の世界である
彼の勤務地である竹原市で会うことになった



「マッサンの生家」  竹鶴政孝(ニッカウヰスキー創始者)の生家
この旅に出る前、北海道の余市工場を訪ねているだけに何かしらの縁を感じた



昼は「お好み焼き」、夜は温泉に浸かった後「焼き肉」と大変ご馳走になり迷惑をかけてしまった
彼の特技は、表計算ソフト・エクセルで絵を描くことだ。「普明閣」に挑戦すると話してくれた


 
翌日は岡山県を通過することになる
この地には大学時代寮生活を同室(8人部屋)で過ごした仲間がいる
人情の塊のような男で迷惑をかけると思ったので、夜遅くになって連絡してみた
その数時間後、深夜になっていたが彼が道の駅に会いにきてくれたのだ

「道の駅 一本松展望園」 昨夜、大学時代の朋友が訪ねてきてくれた道の駅である



この道の駅は展望台に立つと、眼下に瀬戸内海を眺望することができる



この10月中旬、大学時代の同期会が開催され、この三名とも再会する

10 渡願寺観音堂(向源寺)
日本一美しいといわれる十一面観音像(国宝)が観音堂に安置されている寺
所有は向源寺、維持管理は高月町国宝維持保存協賛会
親切に対応してくれるのもこの観音堂の魅力でもある

十一面観音像とともに見飽きない場所が、山門前のこの大木
この角度と高さ、自然とはいえ驚く



姉川の戦いの時、住僧巧圓は門信徒とともに観音像をはじめ、多くの仏像をこの地に埋めて災禍を逃れた



最初に訪れた人の多くはこの山門前の大木と観音像の美しさに驚きの声をあげるであろう

11 諦應寺の仏像
鳥取県の砂の美術館へ向かう途中、休憩した道の駅に掲示されていたポスターに衝撃を受け、現地に向かった
諦應寺(福井県三方上中郡若狭町安賀里)の境内を歩いてみても目的の仏像がどこにあるのか見つけることができない
あきらめて帰ろうとしたときに、偶然視界に



山門前の銀杏の木の中に






12 砂の美術館
作品の完成度には驚く。アメリカ人女性の作品「トルストイの戦争と平和」




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思い出の情景 その2

2015年10月05日 | 車中泊
昨年秋の車中泊の旅の記録
人との出逢いや思いがけない発見などがテーマになっている

5 宮本武蔵座禅石
「杉原千畝記念館」の帰路、車中から「宮本武蔵」の案内板を見つけ、車をUターンさせた

剣聖「武蔵」の伝説を伝える「大仙寺」(岐阜県加茂郡八百津町)、寛正元年(1461年)に建立されたという古刹
臨済宗の寺で、正眼寺、永保寺と共に美濃三道場の一つに数えられる。「生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人」



今から400年前、京の都で武蔵は禅の修行をすることにより真の剣術への道を開こうと沢庵和尚について修行をしていた



晩年を迎えた沢庵は「禅の修行は愚堂に習え」との言葉を残し、この世を去った。武蔵は美濃の国の大仙寺にやってきた
愚堂とは大仙寺八世住職で、京にいたころ沢庵と禅問答をするほどの名僧であった



武蔵は愚堂国師に参禅問法の為に入門を請い、三日三晩座禅をしたと伝えられている
知識がなければただの石の塊であるが、知識を得たことにより価値あるものとなる
 


6 円空仏
寛永9年(1632年)美濃国(岐阜県)で生まれた円空は、「円空仏」と呼ばれる木彫りの仏像を残している
これまで円空作の仏像を目にする機会がなかったが「円空館」で30体を拝観することができた



「円空の墓」
晩年は関市池尻弥勒寺の地に自坊をかまえ、ここを本拠地として活躍し、長良川河畔で入定し(1695年)その64年にわたる生涯を終えた
 


史跡 弥勒寺官衙遺跡の森の中に静かに眠っている



弥勒寺周辺に現代彫刻家による、円空仏が置かれている



7 華厳寺の謎の仏像
西国三十三所第三十三番札所、満願結願の寺院で有名。二度目の参拝になるが、一度目は体調不良で途中で断念
その分、今回は夕方に入り駆け足で、翌日はゆっくり隅々まで時間をかけて廻った
境内に点在している石仏を見るだけでも十分楽しむことができる。






満願堂前には立派なお腹の人間が酒に酔って寝ている



「謎の仏像」
この仏像は全身にお経が書かれていて興味を持っていた。しかし、ここ華厳寺にくるとそのことを忘れてしまう
家に帰り写真を整理しているときにいつも失敗したと後悔するのだ



しかも、他の写真はすべて記憶に残っているが、この仏像だけはどこで撮ったのか思い出すことができない
目立たない仏像なのか写真もこの1枚だけ。私にとっては「謎の仏像」なのだ
大きくして加工してみた。全身にお経が書かれているのが分かるだろうか



8 横蔵寺の三重塔
ミイラがある寺として有名だが、三重塔と瑠璃殿の仏像拝観を目的で訪れた
三重塔(岐阜県指定重要文化財)
階段を上がると眼前に三重塔が現れる。また、木々に囲まれているため見る角度によって表情が変化する。そこに魅力を感じている
 


大袈裟な防護柵もないところも気に入っている
  





瑠璃殿
この寺を訪れた大きなもう一つ要因は瑠璃殿の仏像の拝観にある
多数の重要文化財を有し、「美濃の正倉院」とも呼ばれている
西遊記の沙悟浄といわれる「深沙大将」、重要文化財の彫像としては明通寺、金剛院とともに全国で3体。仏像が好きな人には価値がある

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思い出の情景 その1

2015年10月04日 | 車中泊
平成26年度、秋の車中泊による車旅の思い出の情景である

1 金蓮寺弥陀堂(国宝)
金蓮寺(こんれんじ)は愛知県西尾市吉良町にある。台風の影響を受ける前になんとかたどり着くことができた

 

愛知県内最古の木造建造物
文治2年(1186)に源頼朝が三河国守護の安達藤九郎盛長に命じて建立した三河七御堂の一つと伝えられている
途中から風雨が強まりほとんどが雨宿りに費やされた。連休であったが観光客は私一人



2 新撰組 近藤 勇 首塚
台風19号上陸の避難場所として、道の駅「藤川宿」を選択
そこで手に入れたパンフにより法蔵寺(愛知県岡崎市本宿町)を知った
寺伝によれば大宝(701年)行基によって創建されたという古刹
家康が幼少時代にこの寺で読み書きを習った。その境内で偶然発見した

近藤勇は35歳で処刑され、首は三条大橋にさらされたが同志が持ち出した
生前近藤が敬慕していた孫空義天和尚に埋葬を依頼することにした
その半年前に法蔵寺の住職として転任していたので、この地に運ばれた



当時は世間をはばかり石碑も土で覆い無縁仏のようになっていた
昭和33年の調査結果により埋葬の由来が明らかになり現在のような形で供養されている



3 永保寺での老人との出逢い
土門拳の写真「無際橋」に影響され永保寺(岐阜県多治見市虎渓山町)を訪れたのがこれで3回目
そこで不思議な魅力をもつ老人と出逢う
国宝の観音堂を撮っていると、すっと老人が近寄ってきて、この建物を詳細に説明してくれた



その後、国宝の開山堂に行くとその老人が絵を描いていた
私が何枚も写真を撮っていると「こんな白い空を撮ってどうする」
「土門先生はじっくり考えて撮っていた」と。
「土門先生って、土門拳のことですか」と私。 ここから二人の長い話しが続く…



この老人は若いときに陶芸家の道を歩んでいた
荒川豊蔵の下で数十年間働いていたと話してくれた
その師匠が彫った石碑が永保寺にあると、そこまで案内してくれた



石碑の後ろに「斗出庵」と彫られていた
この時は斗出庵(荒川豊蔵)という人物が、人間国宝だということを理解していなかった
荒川豊蔵(志野焼)の作品を土門拳が撮影していた現場を見ていたと話してくれた



4 杉原千畝記念館
道の駅「可児ッテ」から遠くない場所に記念館(岐阜県加茂郡八百津町)があった
シンドラーよりもっと凄い「杉原千畝」という人物が日本にいたことに興味をもっていた



第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に杉原は赴任していた
ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情
外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる



館内では教育関係の団体に館長が説明していたのを側で聞くことができた
その団体に加わり研修室でイスラエル人職員から説明を受けることも許されたが、その内容の多くは胸に迫るものがあり感動した

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道の駅で出逢った人から旅を学ぶ

2015年09月10日 | 車中泊
目的地であった会場の駐車場が使用できなく、会場前にあった道の駅に車を駐めることにした
満車状態ではあったが通行人のほとんどが立ち止まって見る怪しげな横浜ナンバーの車
この車の周辺だけが空いており、色々な意味で圧迫感があったがここに駐めることにした



午前中にスポーツ大会観戦を楽しみ、応援していたチームも敗退したため昼に道の駅に戻ってきた
レストランでは長い行列ができるほど混雑していたため、車でしばらく休憩することにした

車を降りると気になっていた筑豊ナンバーのキャンピングカーの運転手が外に出ていたので挨拶を交わす
車にすばらしい全国地図が貼られていたので、入手先を聞くとなんと北海道の業者で数年前旅行中に貼ったと話してくれた

怪しげな横浜ナンバーにも色違いではあるが同じデザインの全国地図が貼られていた



話しを聞くとこの筑豊の人が横浜の人に教えてあげ貼ったとのこと
二人はこの道の駅の常連で顔見知り、今年は鹿児島の道の駅でも一緒したようだ
ということで、横浜ナンバーの運転手を紹介してもらうことに



色紙の絵や字は65歳から始められたとのこと
「ようこそ ようこそ 雨の日も 風の日も」
「酒の一滴は 血の一滴 残しちゃならん」
他に「酒と女は二合まで」などがあった。


車の飾り付けから想像すると、近寄りがたい人物かと思っていたが、70代前半の老人で実に話しが面白く、人生をそして車旅を楽しんでいるのが伝わってきた

更に岐阜ナンバーの運転手が加わり、それぞれの旅の仕方について語ってくれた

この3人に共通するところは男の一人旅、6月に北海道に入り9月末まで滞在する予定とのこと
居住地が暑くなってくると、避暑のため毎年北海道を旅しているようだ

私自身、宿泊場所を違うところに確保していたが、話しが面白かったこともあり、今夜はここに車中泊することにした
この日は東京から北海道に来ている大学時代の朋友と夕食を食べることになっており道の駅から待ち合わせ場所に向かった

翌日、快適な朝を迎えることができた。
周囲のキャンピングカーの運転手とも挨拶を交わし、また旅の話しの続きを始めた
 
ここに地元の人が加わり話しに花が咲く
私自身、高校時代にこの土地で過ごしたことを話すと、何とその地元の人が私の高校の先輩にあたり、担任の先生も同じであることが分かり、若かりし昔をしばし懐かしんだ
毎朝、道の駅に訪れた旅人を迎え送り出していると話してくれた

午前中に本来の目的であるスポーツ観戦を道の駅向かいの会場で楽しみ昼に駐車場に戻った
 
朝挨拶ができなかった横浜と筑豊ナンバーの運転手であったが、昨夜は共に地元の人に紹介された三店のスナックをはしご、朝帰りしたようである
 
私も道の駅に車を置いて出かけたのは昨夜が初めての経験であったが、このような楽しみ方を新鮮に感じた



ドアには道の駅のシールが貼られている。指名手配写真にはご自身の写真が…
 
横浜・筑豊・岐阜ナンバーの運転手から長期滞在費用の話しを聞いた
1日の予算は2000円から5000円程度、工夫をして切り詰め滞在しているようである

少ない予算の人の車には地元商店のちらし類が置かれてあり安価な店から日用品を購入、昼は滞在地の役所の食堂を利用
夕食はスーパーの時間帯により50~70%offになるまで待つこともあるようだ



ブログへの写真掲載の許可もいただいた。奥にあるのが私の車

私が神社仏閣を廻っていると話すと四国八十八ケ所巡礼をしたかと聞かれた
四国に渡るのには金がかかるのと狭い道が不安だと話すと、安くいい方法がある
少し離れた所に駐車している姫路ナンバーの運転手を訪ねなさいと紹介してくれた

早速、車に近寄り声を掛けると、その方は既に車で3回も巡礼を経験されたことがあるとのこと
私の車でも大丈夫だと太鼓判を押してくれた
四国に渡る安価な方法も教えてもらい大変参考になった
道の駅での出逢いで得られる情報はとても貴重なもので、今後の旅の参考になる

地元の銘菓をお世話になった方々に配り、挨拶をして道の駅を離れた

撮影 平成27年8月24日
コメント (2)
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車中泊旅行 東北編 その8(遠野、奥入瀬渓流)

2013年10月18日 | 車中泊
新車を購入して初めての車中泊による7泊8日の東北地方への旅の報告もこの回で終わる。
寝具も持たずに家をとびだしていった行った旅だけに反省点も多くあったが、旅の楽しさを体験し、その後、形を変えながらも8年後の今日につながっている。 

遠野昔話資料館
遠野と全国の昔話の歴史を紹介。



大正時代の遠野が再現されている。

 




2階では語り部による昔話を聞くことができる。



阿部屋敷(別名 屯館)



カッパ淵
かつてカッパが多く住み、人々を驚かしたという伝説がのこる場所。



全国唯一のカッパ狛犬で知られる常堅寺の裏手を流れる小川の淵をいう。



ただの小川だが昔話を思い出しながら佇んでいると、それなりの雰囲気をもっている。



常堅寺 仁王像 



慈覚大師作の仁王像(総丈3.5m)安置。



伝承園 
遠野地方のかつての農家の生活様式を再現し、伝承行事、昔話、民芸品の製作・実現などが体験できる。









撮影 平成17年7月29日

奥入瀬渓流

奥入瀬渓流は十和田湖から流れ出し、途中様々な景観を見せてくれる。



途中、多くの滝があり、渓流沿いの道は「瀑布街道」と呼ばれている。



車を道路脇に駐め散策路を歩きはじめたが、新車だけに何かあったら困ると勝手に判断し車で移動することにした。



駐車スペースがある路肩に駐め、近くの散策路に移動する。






風景写真など意識して撮したことなどなく、きれいだなと思ったところだけシャッターを押した。









これが、当時、所有していた車で、このように路肩に駐めながら移動していた。
朝陽に反射し、光り輝いている車であったが、悲しいことに、6ヶ月後には事故で廃車になる運命になっていた。



 


 


 





散策路の中では一番規模の大きい「銚子大滝」






十和田神社






高村光太郎 「乙女の像」
十和田湖の湖畔に、左手を合わせて向かい合う2体の乙女像。
その姿は、はちきれんばかりの生命力に満ちている。



顔は智恵子をかたどり、光太郎が7年間の沈黙の末に作り上げた生涯最後の大作。



この後、八戸港で苫小牧行きフェリーの空席があったので予約し、出港までの時間を利用して「小川原湖」まで足を伸ばすことにした。

さて、この旅は8年前の記録になるが、振り返ると愛用していたキャノンのデジカメも車も手元には無く、廃車寸前の自分だけがかろうじて残っている。
しかし、この東北旅行をきっかけに、旅への思いだけは年々強くなり、今年度は5月に続き2回目の長期の車中泊旅行に間もなく出発することになる。


撮影 平成17年7月30日
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車中泊旅行 東北編 その7(中尊寺、白山神社)

2013年10月17日 | 車中泊
最大級の台風が北海道にも大きな爪痕を残した。
さらに、この台風が寒気まで呼び込み道東では季節外れの積雪をもたらした。
札幌近郊にある手稲山にも初冠雪がみられた。
根雪になるまではまだ時間が必要だが、昨年は初雪が根雪になったこともあり北海道に住む人間にはこれからは嫌な季節になる。

車中泊による東北旅行に戻る。出発前に設定した3つの目的地もすでに訪問した。
あとは家に帰るだけになったが、この時期NHKの大河ドラマで「義経」が放映されていたこともあり中尊寺に立ち寄ることにした。

関山 中尊寺の歴史

中尊寺は天台宗の東北大本山。創建は嘉祥3年(850)に慈覚大師円仁によって開山された。
その後奥州藤原氏初代の清衡が長治2年(1105)から中尊寺の再建に着手し、天治元年(1124)に金色堂が竣工、基本的な伽藍が完成したのは21年後の大治元年(1126)の時。
吾妻鏡によると中尊寺の規模は「寺塔四十余宇、禅坊三百余宇」とされ、平泉では毛越寺に次ぐ大きさだった。 

駐車場から「月見坂」と呼ばれている参道を上がっていく。
しばらく歩くと左側に小さな建物が見える。

八幡堂



明治の神仏分離で八幡宮から八幡堂と称し、阿弥陀如来尊像も合祀。



弁慶堂



義経と弁慶の木像を安置している。文政9年の再建。



地蔵堂






薬師堂 



慈覚大師作と伝えられる薬師如来が安置され、脇仏として日光・月光菩薩、十二神将も併置されている。



本堂
中尊寺というのはこの山全体の総称であり、本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院で構成される一山寺院。 



本堂は一山の中心となる建物で、明治42年(1909)に再建された。古くから伝わる法要儀式の多くはこの本堂で勤められる。



本尊は丈六の釈迦如来。像高約2.7m、台座・光背を含めた総高は5mに及ぶ尊像。
本尊の両脇にある灯籠には、宗祖伝教大師最澄以来灯り続ける「不滅の法灯」が護持されている。






不動堂 
中尊寺の祈祷道場。本尊は不動明王。



大日堂



鐘楼






阿弥陀堂






金色堂
須弥壇内部には中央に初代清衡、左に二代基衡、右に三代秀衡の御遺体(四代の泰衡公首級も共に)が安置されている。

学生時代に訪れたときには「キンピカ」が気になっていたが、年齢を重ね再び訪れたときには、この黄金色に輝くすべてが神聖なものに思われてきたから不思議だ。



内陣内部には中央に御本尊である阿弥陀如来を安置し、観音菩薩、勢至菩薩、地蔵菩薩、持国天、増長天などの仏像が並び当時の文化の高さを感じる事ができる。



釈迦堂






旧金色堂(旧覆堂)(重要文化財)



芭蕉翁像
源義経が平泉に自害し、奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)、松尾芭蕉は門人の曽良と2人、「奥の細道」の旅に出る。芭蕉46才、曽良41才。 
平泉を訪れた芭蕉は、義経の居館があった高館の丘陵にのぼる。
丘の頂きに忽然とあらわれるのは悠然と横たわる北上川と、それに合する衣川。

夏草や 兵どもが 夢の跡 



続いて中尊寺を訪れた芭蕉は金色堂に参詣した。
鎌倉北条氏によって建てられたといわれる覆堂の中で、朽ち果てた金色堂はかろうじて光を投げかけていた。

五月雨の 降残してや 光堂



白山神社(重要文化財)



仁明天皇の御代嘉祥3年(850)中尊寺の開祖である慈覚大師が加賀の白山をこの地に勧請し自らは十一面観音を作って中尊寺の鎮守白山権現と号した。



現行の能舞は天正19年時の関白豊臣秀次と藩主伊達政宗が当社参拝の節、観覧に供し今日に至っている。



神楽殿は茅葺の寄棟屋根で欄干で囲まれた本舞台や鏡の間を繋ぐ橋掛かり、鏡板に描かれた「老松」など見所の多い建物。






撮影 平成17年7月29日 
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