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今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

2020 砂の美術館 その2(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2021年01月13日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和2年9月30日

砂の美術館「砂で世界旅行・チェコ&スロバキア編」その2
*紹介文は配付資料から引用

作品05 「天文時計とセドレツ納骨堂」
制作者:トーマス・クォート/アメリカ

作品01 「チェスキー・クルムロフ」の裏面にある作品



15世紀に完成したプラハ旧市街にある時計塔
上部には太陽や月の位置、時刻を示す天文図文字盤、下部には星座と農村における四季の作業分かる暦盤が作られている



時計盤の左右や上部にキリスト教の聖人や人間の大罪を擬人化した彫像が置かれたこの天文時計はプラハの名物となっている









チェコには人骨を装飾に使用している協会がいくつかある






大きな砂の塊の表面と裏面に2つの作品が制作されている



作品06 「ヤン・フスと火刑」
制作者:マリエレ・ヒーセルス/オランダ

チェコの宗教改革者ヤン・フス



彼は教会が政治においても絶対的な権力を誇っていた14世紀初頭に教会のあり方を批判



その主張を庶民にも分かるよう説教を行い民衆に歓迎されていた



教会のあり方を揺るがしかねないフスの主張とその人気を恐れ、教会上層部は異端として火刑に処してしまう



死を迫られても自らの主張を撤回しなかったフスの姿は……



その後、彼を慕う民衆がフス派と名乗り抗議活動を展開していく



作品07 「リブシェの予言」
制作者:イリヤ・フィリモンツェフ/ロシア

この作品の美しさにすっかり魅了されてしまった



かつてチェコは予言能力をもつ賢く美しい女性リブシェが治めていたと伝えられている



ある日、リブシェがヴァルタヴァ(モルダウ)川のほとりに出かけると……



丘に立派な城がそびえ立っている未来の様子が見えた



彼女はその場所を示して城を築くよう周りの者に伝え、城の名をプラハと名付けた



これがプラハの城と街の始まりの伝説であり、古くからチェコの人々に愛されている物語である



遠く離れた場所から望遠レンズで撮ってみた



作品08 「ルドルフ2世とルネサンスの影響」
制作者:ドミトリー・クリメンコ/ロシア




プラハの文化発展に貢献した神聖ローマ帝国皇帝ルドロフ2世



強大な権力を使いプラハに芸術家や科学者、錬金術師を集め活動を援助した
*背景にも注目



ルドロフ2世は彼らに作らせた物や世界各地から集めた珍品をプラハ城内の専用の展示部屋にコレクションしていく






こうした活動により、プラハにルネサンスが定着し芸術科学文化の都として名を馳せていった






次回に続く

撮影 令和2年9月30日
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2020 砂の美術館 その1(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2021年01月12日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和2年9月30日

砂の美術館「砂で世界旅行・チェコ&スロバキア編」その1
*紹介文は配付資料から引用



総合プロデューサー:茶圓勝彦 世界10カ国17名の砂像彫刻家



この美術館を訪れるのが旅の目的の一つになっている
現在は今回紹介する砂像は既に壊されていて、新しい砂像つくりの準備に入っている



作品01 「チェスキー・クルムロフ」
制作者:ケビン・クロフォード/オーストラリア

展示室に入ると最初に目に入ってきたのがこの砂像だ



チェスキー・クルムロフ は、チェコ・南ボヘミア州の小さな都市



モルダウ川(ヴルタヴァ川)に囲まれた世界遺産の街



「世界で一番美しい街」と評されている






作品02「ボヘミアン・パラダイス」
制作者:セザンヌ・ルセラ/オランダ

風化や浸食により独特の地形に削られた奇岩の景勝地 ボヘミアン・パラダイス



広大な自然の中に人々の営みがあったことを伝えている



気になるのはこの三人の女性



「鳥取砂丘の砂」を水だけで固めて制作されている



表情や衣装まで見事に表現されている






砂岩の上に鎮座する14世紀建造のコスト城が立体的に造られている



上から見るとこのようになっている



光と影と遠近法を巧みに操り作品を完成させている



作品03 「スピシュ城とモンゴルの襲来」
制作者:ジョヘン・タン/シンガポール

スロベキア東部に位置する世界遺産の廃城スピシュ城
モンゴル帝国軍から国を守るための長城として建てられた



当時のモンゴルは持久力のある馬と小型で強力な弓を使用



圧倒的な戦力と巧みな戦術で世界最強と恐れられていた






作品04 「ヤーノシークの伝説」
制作者:エイブラム・ウォーターマン/カナダ

スロバキアの国民的英雄 ユライ・ヤーノシーク
18世紀初頭に実在した義賊



義賊とは裕福な家から金品を奪い、貧しい人に分け与える活動をしていた
ヤーノシークはその盗賊団の頭領だった



彼の活動は「世の中を平等にする」と評され、庶民を中心に歓迎されていた



彼は最期、殺人の冤罪を被り処刑されてしまうが、その人気は今なお健在だという






砂像を眺め調べても私には「チェコ&スロバキア」について全く知識が無いことが分かった



次回に続く

撮影 令和2年9月30日
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武石英孝展(北海道岩見沢市7条西1丁目7番地)

2020年09月04日 | 博物館・美術館・記念館
武石英孝展
岩見沢市絵画ホール・松島正幸記念館 2階展示室
(岩見沢市7条西1丁目7番地 電話0126-23-8700)
開催期間/2020年7月24日-9月26日
開館時間/10:00-18:00
入館料/一般210円 高校・大学150円 中学生以下無料

*経歴・展示作品リスト・説明文はパンフレットの内容から記載

武石英孝は小樽桜陽高校在学中に、学生美術全道展で文部大臣賞を受賞したことから、美術の道を進む決意をする



*すべての作品(技法・材質)は油彩・キャンバス

作品 1「休息」2002年 162×162 第77回道展・会友賞
モデルは武石の妻の祖父である



作品 2「刻」2003年 130×162 第78回道展・会員推挙
人物画の中に人生の一端を表現することができないだろうかとテーマを練りシリーズ化した



作品 3「ひととき」2006年 130×162 第81回道展
穏やかな日々を送る老人の人間としての気高さを感じさせる作品だ



作品 4「馴鹿」2000年 182×227 第75回道展・北海道美術協会賞
モデルは自身の娘である



作品 5「仮面」1999年 227×182 第74回道展・佳作賞



作品 6「冬の午後」2007年 130×162 第82回道展



作品 7「雪の日」2009年 130×162 第95回光風会展・奨励賞
光風会では2003年の初入選以降出品を続け09年奨励賞、13年会友賞の実績を重ね、14年光風会会員となる



1981年北海道教育大学札幌分校特別教科教員養成課程美術工芸科卒業後、高等学校の美術教師として活躍する



作品 8「舞台裏」2018年 193×306



作品 9「バレエ」2017年 65×53



(躍動感があり個人的にはとても好きな作品だ。一部を拡大してみた)



(武石氏とは7年間同じ職場に勤務し楽しい時間を過ごした。日展で入選したと聞くまで絵を描いていた事さえ知らなかった)



作品 10「理科室」2013年 130×162 第99回光風会展・会友賞



作品 11「陽射し」2012年 162×130 第43回日展・第6回北海道現代具象展
2006年に「具象の新世紀展」に招待されたことをきっかけに、「北海道現代具象展」の実行委員として名を連ね、活動に参加してきた

(モデルの娘 早代さんも芸術の道を歩み、9月13日-9月26日 同会場にて「武石早代写真展」を開催する)






作品 12「予感」2016年 130×162 第91回道展
人物は静けさの中に、いつもたった独りで、悩みに耐えていたり、物思いにふけったりしながらその空間に佇んでいる



作品 13「きこえる」2017年 162×130 第103回光風会展、第92回道展



作品 14「窓」2018年 130×162 第93回道展



人物そのものが放つ存在感とそこに着目した作者の優しさが作品の魅力になっている



作品 15「標本」2017年 130×162 改組第4回日展



作品 16「標本Ⅱ」2018年 130×162 第104回光風会展・会員賞、第94回道展



作品 17「NORTH43°」2019年 130×162 改組第6回日展



作品 18「草原」2015年 65×162



作品 19「夕暮れ」2015年 65×162



作品 20「遡上」2017年 65×162



作品 21「タコ公園」2018年 65×162



作品 22「ゾウ公園」2018年 65×162



作品 23「鰐」2016年 146×112



作品 24「三段滝」2005年 117×73




武石英孝展小作品展(同館1階展示室)

「蟹」



「冬の日」



「余市港」



「鮭(燻製)」



「林檎」



「skull」



「object」



「DIVE」



「如雨露」



「Crimson sea bream」



「Humpback whale」



「Podothcus sachi」



「唐辛子」



撮影 令和2年7月28日
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智恵子の生家・智恵子記念館(福島県二本松市油井字漆原町)

2020年03月26日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和元年11月6日
走行中「智恵子の生家」の案内板が突然目に入ってきた
「高村光太郎」との関係に興味をもっていたので立ち寄ることにした

智恵子の生家・智恵子記念館
明治19年(1886年) 福島県安達郡油井村字漆原の酒造業・斎藤今朝吉(後に長沼家に養子入り)とせんの二男六女の長女として生まれた
戸籍名は「チヱ」



長沼家は清酒「花霞」を醸造する酒造家で、使用人を多数抱えた資産家であった



明治の初期に建てられた生家、造り酒屋として新酒の醸成を伝える杉玉が下がっている



屋号は「米屋」、酒銘「花霞」



生家内に入る






「しろしき」 杜氏・酒男など男衆のたまり場



女衆の寝室



「帳場兼接客室」



「 酒林(さかばやし)」
酒屋の看板として、杉の葉を球形に束ねて軒先につるしたもの
「搾りを始めました」と新酒が出来たことを知らせる役割を果たしている。



「蓄音機」 智恵子は光太郎の影響を受けてか、ベートーヴェンの「田園」を好んで聞いていたという



「茶の間」



「奥座敷」






庭から生家を見る






二本松市智恵子記念館
生家の裏庭にある。当時の酒蔵をイメージしている



明治36年(1903年)福島高等女学校を総代として卒業して日本女子大学校へ進学
在学中に油絵に興味を持つようになった
卒業後は、女性洋画家の道を選び、太平洋画会研究所で絵画を学んだ



明治44年(1911年)、創刊された雑誌『青鞜』の表紙絵を描くなど、若き女性芸術家として人々に次第に注目されるようになっていった
柳八重の紹介で光太郎のアトリエで光太郎と出会った
光太郎との出会いは智恵子の心を揺り動かして絵画の創作を増進することとなった
その後結婚



長沼家の破産・一家離散、自身の絵画制作への閉塞感など心労が多く、昭和6年(1931年)8月に光太郎が取材旅行で留守中に統合失調症の最初の兆しが表れた
東京南品川のゼームス坂病院に入院。精神病には易しい手作業が有効だと聞いた光太郎は病室へ千代紙を持っていき、病室で紙絵の創作をするようになり、病床から千数百点の紙絵を生み出した



昭和13年(1938年)夏ごろから具合が悪化して10月5日、長らく冒されていた粟粒性肺結核のため死去
光太郎は智恵子が亡くなってから3年後の昭和16年(1941年)に、生前の智恵子を偲んで詩集「智恵子抄」を発表した
十和田湖にある 「乙女の像」は高村光太郎の最後の作品。モデルは愛妻「智恵子」



生家隣にあるお土産屋「戸田屋」に入店
笑顔で迎えられ、温かいお茶と甘い柿をご馳走になった
清酒「花霞」2本と詩集「智恵子抄」を購入。若女将が離れた駐車場まで送ってくれた
会津の人の親切は学生の時に初めて経験したが、今も変わっていないことに感動した

撮影 令和元年11月6日
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東京国立博物館(東京都台東区上野公園)

2020年03月07日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和元年11月2日
湯島天神から靖国神社も考えたが、東京国立博物館に足が向いた
週末ということもあり上野公園内は想像以上に賑わっていた

東京国立博物館
東京では私の観光の定番となっている博物館
常設展示の多くは写真撮影が許可されている
今回は一眼レフではなく、不慣れなポケットカメラでの撮影になる




黄釉銹絵海樹図大瓶(重要文化財)



「執金剛神立像」



矢の根五郎図額(重要美術品)



大好きな浮世絵が展示されていた。





















太刀 福岡一文字助真(国宝)



伝源頼朝坐像(重要文化財)



「聖徳太子立像」



「菩薩立像」



飛鳥時代前期の木彫。頭体幹部をクスノキの一材から彫り出している



「聖観音菩薩立像(模造)」



埴輪 猿(重要文化財)



「火焔型土器」



「貴賓室」



「四天王立像」






不動明王立像(重要文化財)



十二神将立像(重要文化財)



「阿弥陀如来立像」



企画展会場にて拝観後、休憩していると、すぐ横に室生寺の「十一面観音立像(国宝)」が展示されていた
個人的には全仏像の中で最も美しいと思っている仏像で、時々顔が見たくなり室生寺へ行くことがある

東洋館に移動する

クメールの彫刻



偶然だが、水野敬也著「夢をかなえるゾウ3」を読んでいる最中だ












仏頭



独特の表情






日本の仏像とはかなり違うが魅力的だ



























国立西洋美術館周辺の彫刻





















撮影 令和元年11月3日
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札幌芸術の森<有島武郎旧邸・美術館・野外美術館>(北海道札幌市南区芸術の森2丁目)

2020年02月27日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和元年10月16日
例年、春と秋に出かけている「車中泊による放浪の旅」だが、長引く台風の影響で出発できないでいる
知人から、札幌芸術の森美術館での『奇蹟の芸術都市バルセロナ展』がよかったという話を聞いた

札幌芸術の森<有島武郎旧邸・美術館・野外美術館>
ここへは2年か3年ぶりになる。年齢とともにフットワークが悪くなっている
駐車場から歩いているとカメラを構えている人がいたので近くに行ってみた



池の周辺の景色を撮っていたようだ



写真は好きなのだが、風景写真は撮ったことがない



有島武郎旧邸



大正2年に建てられた邸宅を当時の姿そのままに芸術の森に移築復元した



札幌にゆかりの深い文豪の有島武郎、絵を描いていたとは思ってもいなかった





















有島旧邸を後にして目的地の美術館へ向かう



『奇蹟の芸術都市バルセロナ展』 ガウディからピカソ、ミロ、ダリまで、スペインの至宝が札幌へ上陸!とある



札幌芸術の森美術館



館内は撮影禁止。印象に残った2作品のうちの一つがこのポスターの絵だ
フランセスク・マスリエラ《1882年の冬》1882年 油彩 カンヴァス カタルーニャ美術館蔵



札幌芸術の森 野外美術館
何度も来ているが、この秋の季節は初めてかも知れない






全作品の中で、一番好きな作品だ



特にこの女性に魅力を感じている












冬期間にも訪れたことがあるが、この作品は雪の中で首だけが見えるようになっている






宗教的で神々しい作品だ



散策路に敷き詰められた落ち葉が印象的だ





















人気の作品






ノルウェーの彫刻家グスタフ・ヴィーゲランの作品


















予報通り、雨が落ちてきた









撮影 令和元年10月16日
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大和ミュージアム( 広島県呉市宝町5)

2020年02月26日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和元年6月12日
「令和元年 春の旅」最後の訪問地となる。海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」の向かいにある

大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)
正式名称は「呉市海事歴史科学館」だが、愛称の「大和ミュージアム」の方が広く定着している



戦艦「陸奥」のスクリュープロペラ



戦艦「陸奥」の41インチ主砲身



「陸奥」建造当時は世界最大の艦載砲






第27回企画展 海底に眠る軍艦 「大和」と「武蔵」
太平洋戦争の経過を概観し、潜水調査により撮影された動画や静止画によって、海底に遺された日本海軍艦艇の現状を紹介している

「太平洋戦争のはじまり」






「戦局の展開 ミッドウェー海戦」






「戦局の展開 マリアナ沖海戦」



「戦局の展開 レイテ沖海戦」






「レイテ沖海戦の武蔵」






「坊ノ岬沖海戦の大和」






戦艦「大和」引揚げ品
平成28年(2016)年には呉市が戦艦「大和」潜水調査を実施、その前年には民間調査によって大和型戦艦「武蔵」を発見
同28(2016)年には「大和」とともに沖縄戦に向かった第二艦隊駆逐艦「磯風」が発見された






「ハンドル」と「バルブ」



「空中線付き碍子(がいし)」



「計器盤」



「測距儀」









「46cm 主砲火薬缶と蓋」






常設展

戦艦「大和」
全長26.3mある10分の1戦艦「大和」は、設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに、可能な限り詳細に再現している






映画『男たちの大和/YAMATO』の撮影の際、尾道市にあった戦艦大和実寸大オープンロケセットの不足部分を補うため、CGの合成用素材として使用された






人物と比較すると、その大きさが把握できると思う



スクリュープロペラ






「宇宙戦艦ヤマト」を意識したアングル






戦艦「金剛」搭載のヤーロー式ボイラー






「探照灯と太陽炉」



戦艦「金剛」



「二式魚雷」



「九三式魚雷」
射程距離の不足、航跡発生の問題を解決するため、燃料酸化剤に純粋な酸素を用いた



「零式艦上戦闘機六二型」



開発には、広海軍工廠で研究・開発された技術が活かされた



運動性重視から主翼を片方だけで支える強度維持の技術、桁と外板で主翼の強度を保持する技術などは、日本国内では広海軍工廠から始まった






「特殊潜航艇「海龍」(後期量産型)」



飛行機のように翼を使って自由に潜航・浮上する事を目指して呉海軍工廠などで潜航実験や研究・開発が行われた小型潜水艦



全長:17.28メートル、水中速力9.8ノット、乗員2名



大和は、戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備えた日本の最高の技術が駆使された軍艦であった
太平洋戦争開戦直後の1941年(昭和16年)12月16日に就役
1942年(昭和17年)2月12日に連合艦隊旗艦となった(司令長官山本五十六大将)



ミッドウェー作戦が初出撃。1944年(昭和19年)6月、マリアナ沖海戦に参加。同年10月中旬、アメリカ軍の護衛空母部隊に対し46cm主砲砲撃を実施した(レイテ沖海戦)
1945年(昭和20年)4月7日、第二艦隊(第一航空戦隊)旗艦として麾下の第二水雷戦隊と共に沖縄方面へ出撃したがアメリカ軍の機動部隊の猛攻撃を受け、坊ノ岬沖で撃沈された






撮影 令和元年6月12日
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海上自衛隊呉史料館(広島県呉市宝町5)

2020年02月23日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和元年6月12日
江田島の旧海軍兵学校から呉市に向かう
以前、大和ミュージアムを訪れた際に巨大な潜水艦が目の前にあったが、隣接している商業施設の置物だと軽視していた
ところが、呉に住む学生時代の友人から本物の潜水艦だという事を聞き艦内を見てみたいと思っていた

海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」
海上自衛隊の広報を目的とした施設で、愛称は「てつのくじら館」
海上自衛隊佐世保史料館の「水上艦」、鹿屋航空基地史料館の「航空機」と並んで、「潜水艦と掃海」を展示する史料館だ



確かに「海上自衛隊呉史料館」と書いている
この潜水艦は実際に海上自衛隊で就役していた潜水艦「あきしお」である



史料館に入る。もちろん無料である

1階:「海上自衛隊の歴史」(省略)
ショップやカフェなどもある

2階:「掃海艇の活躍」
戦後日本の復興を陰から支えた航路啓開活動から、湾岸の夜明け作戦における国際貢献まで、掃海部隊の活動を紹介

機雷の種類と技術
<機雷という兵器の恐ろしさを、その特徴や種類、用いられている技術などを説明>









掃海艇甲板再現
<クレーンや巻揚げ機などを用いて、掃海艇の甲板の様子を再現>









3階:「潜水艦の活躍」
常に隠密に行動し、深い海の中から日本を守っている潜水艦の活躍を、その歴史と技術、乗員たちの生活など、さまざまな角度から紹介

艦内生活
<潜水艦という限られた空間の中での生活術などを紹介>
















潜水艦「あきしお」艦内体験
全長76m、重さ約2200t、1986年から2004年まで、実際に海上自衛隊で使用されていた

艦内に入る



思っていた以上に狭い通路だ。見学は一方通行で後ろから来る人の迷惑になるので写真も歩きながら撮らなければならない






一般乗組員の寝室(三段ベッド)
私の車のベッドよりも狭い空間だが、勤務以外はここがプライベートな空間となる



調理室



作戦室なのか、見学場所では一番広い空間であった



士官の寝室(二段ベッド)
学生時代生活していた学生寮の8人部屋の二段ベッドより狭い
「起きて半畳寝て一畳」人間が必要な最低限の広さを実践している



さらに先に進む



操舵室
ここが艦内で一番重要な場所であり、計器類で埋め尽くされている



機械音痴の私にはさっぱり理解できないが、好きな人にはこの空間は垂涎もの






車でいうと、真っ暗闇を無灯で走るようなもの。素人からみると「神業」ともいえる技術だ



昔の話になるが「原子力潜水艦シービュー号」というアメリカのテレビドラマに熱中していたことがある
この年齢になっても、潜水艦に関する戦争映画が大好きで良く視聴する



「潜望鏡」
憧れの潜望鏡を艦長の気分で覗いてみる。呉港の自衛隊船に照準が合っている。



艦内では元潜水艦乗組員から説明を受ける。カメラを持っている私を見て赤色灯の艦内を撮りますかと点灯してくれた



艦内では音が敵に所在を知らすことになるため、緊急時には赤色灯が用いられる



この赤色だけでも緊張感が増幅する。貴重な体験をした



日本の潜水艦技術は現在でも世界最高水準で、海底奥深くから国民を守ってくれている
心から敬意を表したい



次は数十メートル先にある「大和ミュージアム」に向かう



撮影 令和元年6月12日
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西郷隆盛宿陣跡資料館(宮崎県延岡市北川町長井)

2020年01月31日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和元年6月7日
予報通り、朝から雨が降り続いている。この日の予定を立てていたとき、屋内の施設で興味深いところを見つけた
大河ドラマ「西郷どん」でも重要な場所となった宿陣跡である

西郷隆盛宿陣跡資料館
司馬遼太郎の小説「翔ぶが如く」や「竜馬がゆく」で登場する西郷が私の知る西郷隆盛である
「西郷どん」は最終話まで欠かさず視聴し、魅力ある西郷を知った



「和田越の決戦」に大敗北を喫した西郷隆盛軍が、北川に逃れた際に立ち寄ったゆかりの家
現在は、資料館として整備され、隆盛愛用の遺品や戦争資料が展示されている









西郷隆盛の肖像
西郷隆盛は写真が残っていない
写真嫌いだったとも周囲が暗殺を恐れたためともいわれている



「イタリアの画家 エドアルド・キヨッソーネ」の肖像画が有名だが、一度も会ったことがないという
西郷の遺族、親族列席の上にて「此こそ翁の真像」との決定を与えられ、イト子未亡人に贈呈されたのがキヨッソーネの西郷隆盛の肖像である



<展示室の資料の一部を掲載>
「西郷隆盛と山縣有朋」  外は雨、次の予定もないので、時間をかけてゆっくり回る



「西南戦争」






「和田越決戦」



「西郷札」 



「西郷札(さいごうさつ)」は、松本清張の短編小説にもなった。清張の処女作でもある。



「延岡隊」



「西南戦争と延岡」



「西南の役陣中日記」






「薩軍に投降を促す木札」 
木札には「官軍に降参する者ハころさず」



「敬天愛人の教え」
天を敬い人を愛し 天を知り 己を尽くし 人を咎めず 我が誠の足らざるを尋ねるべし
天は人も我も 同一に愛し給うゆえ我を愛する心を以って 人を愛するなり



「伝 桐野利秋(中村半次郎 )の刀」
天誅行動で鳴らし、「人斬り半次郎」の異名をとった
1867年9月、兵学者で自らの師でもある赤松小三郎を暗殺した。明治維新後、桐野利秋と名を改める
政府軍が城山を総攻撃したとき、西郷隆盛・桐野ら40余名は洞前に整列し、岩崎口に進撃した。途中で西郷が被弾し、島津応吉久能邸門前にて別府の介錯で自決
跪いて西郷の自決を見届けた桐野らはさらに進撃し塁に籠もって勇戦したが、額を打ち抜かれて戦死した。享年40



軍服焼却の地
西郷は解散布告令を出した後、軍の重要書類と陸軍大将の軍服を焼いた



和田越決戦で薩軍を圧倒する政府軍の戦力と立派な戦いぶりを目の当たりにしたとき、傍にいた桐野利秋に「これで日本の将来も大丈夫じゃ」と語った



西郷隆盛宿陣跡



「西郷隆盛と薩軍幹部最後の軍議」






「薩軍解散布告令≪訳≫」
我が軍は戦いに負け追いつめられた
今日より後はただ命をかけて最後の戦いをするだけです
この際、諸隊においては、降参する者は降参してもよいし、戦って死ぬ者は死んでもよい
幹部も部下も身分の差もなく自らの判断で好きなようにしなさい



撮影 令和元年6月7日
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金子みすゞ記念館(山口県長門市仙崎)

2019年12月18日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和元年5月30日
道の駅「センザキッチン」で「今日で3回目ですね」と旅人に声を掛けられた
鳥取県・島根県の道の駅でも一緒だったらしい
30分ほど旅について話をした。その後温泉施設でも一緒になった(笑)

金子みすゞ記念館
以前この地を訪れた時、山口県に住む友人から「金子みすゞ記念館」を勧められた



その時は興味がないと断ったが、頭の片隅に申し訳ないという気持ちがあったので、この日は自分の意思で訪ねることにした



金子みすゞについては、全く知識が無かった



受付の女性に北海道から来たというと、行ってみたい土地だということで話が弾み楽しい時間となった



この建物は金子みすゞの実家で書籍や文具の販売をしていた






2階に上がる。裕福な家庭に育ったようだ



所々に作品の一部が展示されている



金子みすゞの部屋
金子みすゞは、明治36年現在の長門市仙崎に生まれた
成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったという



童謡を書き始めたのは、20歳の頃
『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていった



23歳で結婚したが、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、離婚と苦しみが続いた



ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去った。(HPから掲載)



1階に下りる


















「金子みすゞ記念館」に入る
普段はあまり説明文など読まないのだが、今回は時間をかけて2度も読んでしまった
才能はあるが薄倖な女性に弱い自分を発見した



売店で童話集一冊を購入
道の駅では日本酒「みすゞ」を飲み仲間である国語教師のお土産に購入した



撮影 令和元年5月30日
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島根県立古代出雲歴史博物館(島根県出雲市大社町杵築東)

2019年12月09日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和元年5月27日
島根県立古代出雲歴史博物館
旅に出て雨天の際は地元の博物館や美術館を訪れるようにしている
大分前になるが、出雲大社参拝予定が雨に降られ、たまたま立ち寄ったのがこの博物館である



それ以後、展示物や受付や学芸員の親切な対応に魅了され、たびたび訪れている



「古事記・日本書紀・出雲国風土記」









「出土銅戈・勾玉のレプリカ(真名井遺跡)」



「神像(青木遺跡出土)」



「巨大本殿の頃を描いた絵図」 鎌倉時代(13~14世紀)
朱塗りの柱の本殿は、現在の本殿よりも床がとても高く、ほかの建物よりも大きく描かれている






「平安時代の出雲大社本殿(1/10模型)」



「実物大の千木」



「宇豆柱」
八足門前にある大きな3つの円。宇豆柱が発見された場所だという
古代には3本の大木を鉄輪で束ねて1本の柱とし、高さ16丈(48メートル)の御本殿だった



「木造大黒天頭部(室町時代16世紀)」 笑っていないダイコクさん
インド・中国をへて日本に伝来した仏教系の大黒は、本来恐い顔をしていたが、福徳神として信仰を集めるうちに、次第にニコニコした表情になっていった






展示品の多くが国宝に指定されている

加茂岩倉遺跡出土銅鐸(国宝)
この銅鐸には、シカや四足獣、四頭過文などの文様が描かれている






「荒神谷遺跡出土銅剣摸鋳品」












ウミカメが描かれた銅鐸(国宝)









シカが描かれた銅鐸(国宝)






描かれた弥生絵画(国宝)
イノシシと考えられる四つ足の動物やシカ、トンボなどが描かれている



「卑弥呼の鏡か(複製)」
「景初三年」銘三角縁神獣鏡(神原神社古墳)(重要文化財)は違う展示会場に展示されていた



「人面付十器(西川津遺跡)」



撮影 令和元年5月27日
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青山剛昌ふるさと館(鳥取県東伯郡北栄町由良宿)

2019年11月22日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和元年5月24日

青山剛昌ふるさと館
山陰の幹線道路である国道9号線を走っていると「青山剛昌ふるさと館」の案内板が数か所出てくる
気になっていたのだが、いつもは通り過ぎていた



トイレ休憩で、道の駅「大栄」に立ち寄ると、その隣に「青山剛昌ふるさと館」があった
『名探偵コナン』の原作者の資料館で、正式には「北栄町大栄歴史文化学習館」という



私の子供が小さいころ、何度かTVで視たことがある
『名探偵コナン』は各キャラクターのネーミングが面白い作品だと記憶している



正直言ってアニメにはあまり興味がないので、駐車場に展示していた車を撮っていた



アニメといったら子供たちが多いと思っていたが、どうも様子が違う
若い女性が多いのだ。数人が入館したので引き込まれるように入ってしまった



入って左側に資料館を訪れた著名人の色紙が展示されていた



漫画家が多いようだ



主題曲を歌っている歌手の色紙もあった



私の知っているのは…
落語家で長寿番組「笑点」の司会者「春風亭昇太」(絵は上手い) 



漫画家「倉田よしみ」(「味いちもんめ」は全巻購入済)



漫画家「ビック錠」(「包丁人味平」も全巻購入)



お笑いタレント「横澤夏子」(表情が豊かで面白い)



戦場カメラマン「渡部陽一」(ゆっくりとは書けない字)



アニメツーリズム協会の「訪れてみたい日本のアニメ聖地88(2018年版)」の一つに選定されている



撮影 令和元年5月24日
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鳥取県立博物館(鳥取県鳥取市東町2丁目)

2019年11月18日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和元年5月23日

鳥取県立博物館
先に投稿した「仁風閣」と同じ鳥取城跡内にある



県民の教育及び文化の発展に寄与するための施設として、昭和47年に開館した
文化に対する鳥取県の姿勢なのか、入館料も150円(JAF割引利用)と驚く



「ナウマンゾウ切歯(鳥取県指定天然記念物)」






旅行中、博物館には雨対策として訪れることが多いが、この日は暑さ対策として立ち寄った



興味のある展示物のみ撮っていく









三角縁二神二獣鏡(重要文化財)



「大山寺縁起絵巻(複製)」



「梵鐘(鳥取県保護文化財)」
左は「廃阿代寺梵鐘」正平15年(1360)鋳造
右は「国英神社梵鐘」正安3年(1301)長谷寺(倉吉市)の鐘として造られた



子持勾玉(重要文化財)
大型の勾玉の周囲に、小さな勾玉形の「子」がつけられたもの。
子孫繁栄や豊穣を祈るための器物と考えられる。



三仏寺参拝時に拝観したような気がする



好きな仏像の説明文を撮っていないのが気になる……



























撮影 令和元年5月23日
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仁風閣(鳥取県鳥取市東町2丁目)

2019年11月17日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和元年5月23日

仁風閣(重要文化財)
旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸という名目だったが、最初から皇族の宿泊を意図して設計・建築されたといわれる






仁風閣がこの位置に建てられたのは、明治40年(1907)5月
フレンチ・ルネッサンス様式を基調とした白亜の木造瓦葺2階建て



当時、鳥取市の年間予算が5万円だったとき、この建物の建築費が4万4千円だったという



仁風閣の周辺は久松公園として整備されている。鳥取城の石垣が見える



観覧料は無料だった。爺にもメリットがあって嬉しい



室内の一部の資料は撮影禁止になっている



完成同年に行われた皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓時の御宿所として利用された



随行したのは元帥海軍大将東郷平八郎
「天気晴朗なれども波高し」バルチック艦隊との日本海海戦に際し、大本営に打電した一文である



家系図を見ると由緒ある血筋ということがわかる



さて、各室の様子を撮っていく



「螺旋階段」 一番驚いたのはこの螺旋階段だ



この階段には支柱がない



日本の高い建築技術は芸術の域まで達していると思った



この階段を上がって2階に進む。貴族にでもなったような気分にさせてくれる



更に、先に進む



館名は、これに随行した東郷平八郎が命名したもので、同人の筆による額



「御寝室」



「御座所」 この建物の中で最も豪華なこしらえの部屋






「御厠」



「謁見所」



「御食堂」



寝椅子などもある



再び「螺旋階段」を上から見る



使用は禁止されている



廊下の幅もかなり広い。柱も洋風






階段を下りて一階に戻る



やはり気になるのはこの「螺旋階段」 一見の価値あり



撮影 令和元年5月23日
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2019 砂の美術館 その4(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2019年07月27日 | 博物館・美術館・記念館
砂の美術館 「砂で世界旅行・南アジア編」最終回

*紹介文は配付資料から引用
作品 15 「シギリアロックとフレスコ壁画」:ジル・ハリス/アメリカ



スリランカ中部のジャングルにある世界遺産。5世紀末にシンハラ王朝のカッサパ1世により建造された



王宮への入口には石造りのライオンの巨大な前足があり、ライオンが王宮を背負うようであったことから「シンハ・ギリ」(獅子の山)と呼ばれた



高さ195mの頂上には王宮などの遺跡がみられ、中でも中腹の壁に描かれたフレスコ画の美女たちは「シギリア・レディ」と呼ばれ有名



1500年もの間、風化に絶え鮮やかな色彩でやさしい笑みを浮かべている



作品 16 「タケツァン僧院とチベット仏教」:スー・マクグリュー/アメリカ
ブータンの国教であるチベット仏教の聖地タケツァン僧院
標高約3000mの断崖絶壁に張り付くように1692年に建築された



タケツァンは虎の棲み処を意味し-



8世紀末に高僧パドマサンバヴァが虎の背に乗って現れ、近くの洞窟で瞑想したことに由来する



横から見るとこのような空間を設けている



断崖絶壁に張り付いているタケツァン僧院



作品 17 「バーミアンの大仏」:ヤン・リドン/中国
アフガニスタンのバーミアンにある世界遺産



1世紀頃から石窟仏教寺院がつくられ始め、5~6世紀頃には高さ55mと38mの2体の大仏を含む多くの巨大仏像が彫られた



西遊記のモデルになった玄奘三蔵もかつて巡歴する途中、この地を訪れたという



残念なことに2001年、イスラム教における偶像崇拝にあたるとしてタリバンによって破壊された



作品 18 「仏陀の出現と悟り」:ト-マス・クォ-ト/アメリカ
紀元前5世紀頃、ネパールの釈迦族の王子として生を受けたゴウダマ・シッダルダ



ある日、城を囲む四門より外出しようするがそれぞれの門で、「老い・死・病・修行僧」に出会う



これによって生老病死について自問するようになり、その答えを求め王族の地位を捨てて出家する



出家したシッダルダは苦行など様々な修行を繰り返すが-



自分を苦しめるだけのものでは悟りに至らないことに気づく



苦行をやめ菩提樹のもとで瞑想をしていたそのとき、ついに悟りを開くのだった
仏陀の誕生、仏教の始まりとなった



作品 19 「仏陀の入滅」:マリエレ・ヒーセルス/オランダ
悟りを開いた仏陀は、人々に教えを説く決意をする



インド北部を中心に広く説法の旅を続け、立場や身分に関係なく多くの人々が帰依する
雨季になると1か所に留まって説法をし、その拠点として祇園精舎がよく知られている



仏陀は布教活動を45年間続け、80歳の時にインド北部クシナガラにある-



沙羅双樹のもとで横になり、最期の時を迎えた



涅槃図には菩薩や弟子たちだけでなく、様々な動物たちも仏陀の入滅を嘆き悲しむ様子が描かれている



館内の様子。3階から屋外に出る



この建物内に砂像が展示されている



作品 20 「インド洋の宝石モルディブ」:アンゲフォン・ディビット/ベルギー
唯一の屋外展示作品。モルディブという国を形成する約1200の島はサンゴ礁が隆起してできた環礁
作品01 「幸運の神ガネーシャ」制作者でもある









鳥取砂丘。有名な場所はこの右側500mの場所にある



撮影 令和元年5月23日
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