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今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

砂の美術館・エジプト編 その3(鳥取県鳥取市福部町湯山2083番17号)

2023年04月18日 | 博物館・美術館・記念館
砂の美術館・エジプト編 その3

15 ハトシェプスト女王葬祭殿






16 古代エジプトの神々






17 クレオパトラ













18 イスラムの時代












19 ナポレオンのエジプト遠征とロゼッタストーン












20 バステト












<屋外>
21 ミイラと来世信仰












22 ツタンカーメン









次回に続く
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砂の美術館 エジプト編 その2(鳥取県鳥取市福部町湯山2083番17号)

2023年04月17日 | 博物館・美術館・記念館
砂の美術館 エジプト編 その2
砂像は「砂と水」だけで圧縮した砂のかたまりを彫刻して造形している
展示室内に展示してある作品は、のり等の凝固剤は使用されていない

7 カディシュの戦い





















8 ギザのピラミッドと大スフィンクス


















9 アブ・シンベル大神殿


















10 アブ・シンベル小神殿









11 ツタンカーメン王の発掘












12 アレクサンドリアの風景












13 聖なる動物













14 古代エジプトの宗教 死者の書









次回に続く
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砂の美術館 エジプト編 その1(鳥取県鳥取市福部町湯山2083番17号)

2023年04月16日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和4年10月6日

砂の美術館 エジプト編 その1
毎年訪れている「砂の美術館」 一期一会のアート「砂像」 
発信している現在は既に崩されていると思っていたが、2年連続開催と今知った



来月出発する旅で訪問しようと考えていただけに計画が狂った(落胆)



砂で世界旅行・エジプト編を担当する「砂像彫刻家」<世界11カ国20名>



1 ルクソール神殿















2 カイロのバザールの風景


















3 ナイル川





















4 古代エジプトの生活












5 古代エジプトの宗教 死者の書















6 アクエンアテン王とその家族


















次回に続く

撮影令和4年10月6日
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杉原千畝記念館(岐阜県加茂郡八百津町八百津1071)

2023年04月07日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和4年10月2日

杉原千畝記念館
1940年、ナチス・ドイツの迫害から逃れるために集まったユダヤ人避難民にビザを発給
6千人以上の尊い命を救った元外交官・杉原千畝の人道的行為を顕彰する記念館



初めて訪れた2014年10月、イスラエル人職員の説明を聞き感動したことを思い出し再訪した
その時は館内の撮影は一部を除きできたが、今回は全館撮影禁止になっていた
SNSにより多くの人に知ってもらえる機会を失っていると思うと残念である



以前発信した写真を添付 「杉原千畝記念館」👈をクリック

人道の丘公園



「杉原千畝之像」
日本通過ビザを受け取った避難民は、シベリア鉄道を使いシベリアを横断し、ウラジオストクより敦賀に上陸
その後日本国内を通過し、神戸や横浜を経て世界各国に避難していった



杉原が日本政府(外務省)の命令に反してビザを発行したとあるが、日本に入国できたということは時の日本政府が黙認していたことになる
同時期に軍人 樋口季一郞も上海のアメリカ租界へ移動できるよう便宜を図って4,370人以上(一説には2万人)の命を救った
樋口は後にソ連軍と戦い北海道侵攻を食い止めた(石狩市に記念館がある)



リトアニア共和国大統領来町記念 令和元年(2019年)



シンボルモニュメント






「命のビザ」モニュメント
杉原千畝が書き続けた幾枚もの『命のビザ』を重ね、希望の光りを反射させながら空へとのびていくモニュメント



下からロープを引いて、3つのカリオン(愛、心、勇気)を自由に奏でることができる



平和への願いを込めた鐘が取り付けられている



モニュメントの傍の展望所から八百津町の市街地が見渡せる






撮影 令和4年10月2日
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多治見市モザイクタイルミュージアム(岐阜県多治見市笠原町2082-5)

2023年04月05日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和4年10月1日

多治見市モザイクタイルミュージアム
建築家 藤森照信氏の設計による不思議で魅力的な建物である。今回が3度目の訪問になる
タイルの原料を掘り出す採土場をモチーフにしているという
初めて訪れたとき「どうですか」と声をかけられたのが設計者の藤森氏であったことをHPの写真を見て今知った



いつの間にか、岐阜県のおすすめデートスポットの一つになっていた
確かにアベック(古い)の姿が多い
大きなカメラを持った孤独な爺は私一人だ



建物の壁には陶器の欠片がバランスよく貼られていて遠くから観るととても美しい



観覧料は310円(3・4階展示室)
階段を4階展示室まで上がり、そこから下りてくるという流れになる



階段途中にある展示物



階段は4階へと続く



4階
壁面にはモザイクタイル画が展示されている






「桜井の別れ」
楠木正成・正行父子の今生の別れで「太平記」の名場面のひとつ



「小野道風」
花札の11月札に「小野道風と蛙」「柳に小野道風」などの名称で採用されている



日本三景「陸前松島」



日本三景「安芸の松島」



タイル画といえば昔の銭湯の壁面が頭に浮かぶ
その頃は何も感じていなかったが、よく見ると立派な芸術作品である












4階は半屋外構造の吹き抜けになっている
風雨に曝されて変化していく様子も見て欲しいと設計者から説明を受けたことを思い出す



この場所で数組のカップルに思い出の写真を撮ってあげた



壁面のタイル画












3階
ギャラリーでは、タイル産業や歴史、アートなどに関する独自のテーマを設けて、企画展示を行っている

「武庫画像塼(ぶこがぞうせん)」<中国 紀元前2・3世紀>
塼(せん)は西周時代に見られる
墓室の壁面に図像を描写する塼(せん)が登場した



「建保弐冬造」銘 印花紋敷瓦<日本 建保2年(1214年)>



「柿右衛門色応龍文陶板」<日本 延宝年間(1673~81)>



「多彩草花文レリーフタイル」<日本 明治41年頃(1908)>



多治見のモザイクタイルの製造工程や歴史がたどれるコレクションを展示



「山内逸三氏」
笠原のモザイクタイル製造の先駆者
1枚の表面積が50cm2以下のタイルをモザイクタイルと呼ぶ
最盛期の土岐郡笠原町には100以上のタイル工場が存在
多治見市に編入後の2018年(平成30年)時点でも生産量・シェアともに日本一



2階
現在流通しているタイルを、実際の生活の中でどのように活用したらよいか、16のシーンに分けてご紹介している



インテリアデザイナーが提案するデザインに基づいて作りこんであり、タイルの多様性を感じることができる












展示されているタイルを注文することもできるという



日常生活でタイルを目にすることがなくなったが、タイルもいいなと思うようになった






1階
ミュージアムショップや体験工房

タイルで覆われた車



魅力的な建物を違った角度から撮している写真を見つけた
次回はその場所を探して取ってみたい



若者が大事そうに抱いていたので撮らせてもらった
正直、あまり気持ちのいいものではない(笑)



撮影日 令和4年10月1日
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太宰治記念館「斜陽館」(青森県五所川原市金木町朝日山)

2021年09月22日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和3年6月11日

太宰治記念館「斜陽館」(重要文化財)
明治40年(1907年)に太宰の父で衆議院議員であった津島源右衛門によって建てられたもの
和洋折衷・入母屋造りの建物は、米蔵にいたるまで青森ひばが使用されている



階下11室278坪、2階8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約680坪の規模を有する大地主の豪邸である



太宰が中学進学に伴い大正12年(1923年)に青森市へ転居するまでこの家で暮らした






太宰はこの家を「苦悩の年間」の中で
「この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである」と書いている









欄間の透彫






襖絵









津島家仏壇






絵皿には興味はないが、金銭的にどの程度の価値あるものなのかには興味がある



柱時計
これもただの大きなのっぽの古時計ではないはず



「SEIKOSHA」の文字
文字盤の周りの装飾も普通ではない






「太宰治像(中村晋也 作)
芦野公園にある太宰治像の原型



文庫蔵展示室
この先は撮影禁止となる
展示室では多くの作品の中に「トカトントン」という懐かしい本を見つけた
若い頃に読み、印象に残っている本だった



数年前に「走れメロスの裏話」をTVで知った
走れメロスは太宰治の実体験が元になっている
<以下引用>
ある時、熱海の村上旅館で遊んでいた太宰の元に、彼の妻の依頼で檀一雄は金を持ち駆け付ける。
しかし太宰はあろうことか、檀一雄をひき止め遊び倒して、金を使い切ってしまう。
呑み代や宿代が払えないので、太宰は檀一雄を人質にし、師匠の井伏鱒二に金を借りに東京に駆ける。

「逃がした小鳥が帰って来るというのか」
「そうです。帰って来るのです」



しかし何日待っても帰って来ない太宰に、檀一雄は痺れを切らし、支払いを待ってもらい井伏鱒二を訪ねる。
すると太宰は呑気に井伏鱒二と将棋を指していたという。何でも迷惑をかけ続けた師匠に、金を借りるとは言いにくかったそうである。
激怒した檀一雄に太宰は「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」といきり立って反駁したという。

このような実体験が、あの感動小説になるのだから、太宰はある意味天才だ



庭園



金融執務室



2階に上がる



洋間






書斎・母の居室
子供達の勉強部屋・遊部屋でもあった
襖には4枚の漢詩(左から2枚目に注目)



太宰はこの漢詩の前に机を置き勉強していた
漢詩の最後の文字に「斜陽」と書かれていてる
太宰には見慣れた文字で小説「斜陽」との関連性をうかがえる貴重な部屋



主人室
全室で一番質素な部屋
貴族院議員になってから東京の別宅で過ごす事が多くなった



金襖の日本間
貴賓室として使われていた



西側和室
一般の来客や議員のお付きの人が通された部屋












昭和23年(1948年)農地改革によって津島家が手放すことになった
昭和25年(1950年)から平成8年(1996年)まで46年間は、旅館として太宰ファンに親しまれた



平成10年(1998年)から旧金木町が買い取り、現在の太宰治記念館となっている



平成16年(2004年)国の重要文化財に指定
平成17年(2005年)の市町村合併に伴い、五所川原市の所有となる



太宰治の代表作「斜陽」は、没落していく上流階級の人々を指す「斜陽族」という意味の言葉を生みだした
太宰治の生家である記念館は、本書の名をとって「斜陽館」と名付けられた



米蔵
小作人が納めた米俵を収納していた
2250俵の米を納めることのできる米蔵が全部で3棟あった



駐車場近くにある津軽三味線会館



撮影 令和3年6月11日
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土門拳記念館(山形県酒田市飯森山)

2021年09月08日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和3年6月8日

土門拳記念館
写真家・土門拳の写真作品を所蔵・研究・展示するための酒田市立の美術館



日本初の写真専門の美術館として、7万点におよぶ土門作品のすべてを所蔵している



入館料が以前に訪れた時に比べると、倍近く値上がりしていた
コロナの影響かと思い尋ねると、酒田市の条例改正でこのようになったとのこと



この日の最初の入館者だった



亀倉雄策と土門拳~時代を創った二人の仕事~
1964年の東京オリンピックのポスターをこの二人が担当していたということを初めて知った
オリンピックのポスターに写真を用いたのは東京五輪が最初のようだ









1964年東京オリンピックのポスターをはじめ日本万国博覧会のポスターなど数々の傑作が知られている



亀倉雄策と土門拳



古寺巡礼
私の旅で寺社の写真が中心になっているが元々興味があったわけではなかった
この記念館で感動した仏像や建造物を巡り、次第に興味を持つようになった



今回の旅で訪れた「室生寺」の写真が展示されていた












「大野寺弥勒磨崖仏」



「風貌」も大好きなシリーズ



館内の様子






土門拳愛用のカメラとレンズ






土門拳のメモ帖
土門は「メモ魔」だった
「報道カメラマンなら当然」が口癖で、酒席でも他人の話をメモした



すべてが鞄の大きさに見合った特注品で、仏像や器の特色・寸法などのほか
気に入れば図解、彩色までした



今森光彦「自然と暮らす写真のまなざし」



切り紙作品 7点、立体作品 7点、写真作品 29点を展示
(展示室内は撮影禁止)



休憩所だが絵になる空間



売店で「寺と仏像手帳(土門拳著)」を購入
土門拳は写真も凄いが文章も面白い



1時間ほど滞在したが入館者は私一人だった









撮影 令和3年6月8日
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新潟県立歴史博物館(新潟県長岡市関原町1丁目字権現堂)

2021年08月30日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和3年6月4日

新潟県立歴史博物館
旅行中の雨対策として近くの博物館に立ち寄る

震災復興モニュメント「大地の女神(ビーナス)」



新潟県立歴史博物館入口






常設展示室に入る
新潟県の歴史展示を中心に縄文時代の文化や新潟県の歴史・民衆生活に関する資料などを展示している






入室して驚いたのは展示の仕方である



他の博物館でも縄文土器を観てきたがこのような展示は初めてで驚いた









照明の使い方やデザインなど立ち止まって観てしまうほど秀逸だ






「威奈大村骨蔵器」 
















「柿崎古墳」












「源頼朝による地頭補任状」 建久3年(1192年)



「奥山荘波月条絵図」 鎌倉時代
地頭の遺産相続争いの際に、証拠資料として作成されたもの



「長尾景虎書状」(上) 「上杉輝虎署判覚」(下)



 「上杉景虎感状」(左)「上杉政虎感状」(右)



「上杉謙信画像」 江戸後期






「川中島合戦図屏風」





















「北征将軍仁和寺宮御凱陣越後御通過図」 明治初期















「西巻開邪の男女同権演説」



「女株券師」



「大漢和辞典」を編纂した諸橋轍次の仕事場



「大日本地名辞書」を執筆中の吉田東伍



新潟県出身の「文学者」



「スポーツ・芸能」



「政治家・実業家」



「高田の雁木通り」の雑貨屋



下駄屋









縄文人の世界



異次元の世界に足を踏み入れたと錯覚するほどの展示物









想像の世界が目の前にある






動き出すのではないかと注視してしまう









立体的に見える仕組み






撮影 令和3年6月4日
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良寛記念館 その2(新潟県三島郡出雲崎町米田)

2021年08月29日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和3年6月4日

良寛記念館 その2

「風竹粛疎月一痕」 山岡鉄舟 書






「伝 老中土井利勝 宛」 伊達政宗 書









「村主蒼生有功大人」 上杉篤興 画・賛






「貞操嫁家鏡夫子」 上杉篤興 画・賛






「永保蒼創家」 朴 泳孝 書






「正蔵大権現」扁額






「山以鎭静容」 朴 泳孝 書






「双鯉如夢撫枕吟」 都知多 眞彦 書






「男兒至比是豪雄」 渡邊 國武 書







「良寛立像」



「桜花敬鳥」






「心如花酔」 長 三州 書






「大丈夫象意」 勝 海舟 書






「大賢緯變不倒崩」 勝 海舟 書






「雪中山水図」 洞雲(狩野益信)画






「中華仙人図」 長谷川 等益 画






「冷倣瀑布の図」 皆川 和堂 画






⑫ 沙門 良寛 書「あさづくし」






⑬ 良寛 書「十字街頭乞」










「普賢菩薩警世偈」 黄檗 悦山 書






⑭ 良寛 書「今日乞食逢驟雨」






「竹の図」 天民(大窪詩仏)画






⑮ 良寛 書「袖裏毬子直千金」






「小堀遠州政一図画詞書」 小堀遠州政一 画






展示されていた作品を観て、撮った



良寛に関する書籍



良寛座像



旅立ちの丘



佐渡からの金銀の陸揚げ港の出雲崎が見える
天気が良ければ佐渡が遠くに見えるという



撮影 令和3年6月4日
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良寛記念館 その1(新潟県三島郡出雲崎町米田)

2021年08月28日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和3年6月4日

良寛記念館 その1
朝から断続的に強い雨が降り、予報も終日雨
道の駅で美術館や博物館などを検索してみると近くに良寛記念館があった



出雲崎は、元和2年(1616年)佐渡からの金銀の陸揚げ港として、代官所が置かれた直轄地「天領」となった



良寛記念館は、良寛の遺墨と芸術を顕彰するため、生誕200年の記念事業として昭和40年(1965年)に開館



筆塚の詩碑






耐雪庵
耐雪とは、記念館生みの親・佐藤吉太郎氏の号




庵は良寛が仏道修行につとめ、独自の芸術を大成させた「五合庵」を模したもの



世界一の巨大硅化木
二千万年前に青森地方に生育していたオランダスギに近い樹種が硅化したもの



亀田鵬斎書 釧雲泉の碑






一部を拡大してみる



釧雲泉の墓



開館時間 午前9時から午後5時まで
受付にて写真撮影の手続きをする(住所・氏名の確認)



長い回廊の奥に展示館がある



展示館に入る
春の特別展「良寛ゆかりの土田家寄贈作品展」の開催中



撮影許可の連絡を受け、さっそく撮り始める



① 良寛 遺墨「欄風亭」<初公開作品>






作品を正面から撮ると照明の関係で変な人物が入る場合がある(笑)



「七月七日の夕月を見て」 山本由之 書






「鍾馗図」 有願 画






② 良寛 臨書「王義の詩」






③ 良寛 書「天上大風」<複製>






④ 良寛 遺墨長歌「あしひきの」






⑤ 良寛 書「そめいろの」






「雪月花」 川端康成 書






⑥ 良寛 書






⑦ 良寛 遺墨 九字名号「南無不可思議光如来」






⑧ 良寛「自然」



⑨ 釈良寛 書「雲白道」






⑩ 良寛 書「きてみれば」






⑪ 良寛 遺墨「このみやの」






土田家関係












「素蘤多蒙別艶欺」 巻 菱湖 書






次回に続く

撮影 令和3年6月4日
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伊賀流忍者博物館 その2( 三重県伊賀市上野丸之内)

2021年06月23日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和3年5月21日

伊賀流忍者博物館<忍者資料館・忍者伝承館>
からくり忍者屋敷から地下に抜ける場所に「忍者資料館」がある
忍術書に描かれた「忍具」を製作して展示している

「七方出(しちほうで)」
忍者は敵地に潜入するとき正体と目的を隠すために変装した
変装は「虚無僧・出家・山伏・商人・放下師(曲芸師)・猿楽師・常の者(農民や武士)」の七つとされた
忍術伝書では「七方出で立ちの事」または「七化(ななばけ)」と呼ばれた



「水蜘蛛」「水掻き」
足にかかる重さを分散して、(水上ではなく)泥の上を渡れるようにしたもの



「登器」
忍者は状況に応じて「巻梯子・竹梯子・縄梯子」を使い分けた
携帯に便利な金属製のくさび「六膳(りくぜん)」や五寸釘などを用いて石垣や岩を登った



「苦無(くない)」「坪錐(つぼぎり)」
土を掘ったり、土壁・土蔵などに丸い穴を開けるための道具



「くろろ鍵」「枢(からくり)鍵・万能鍵」「たたみのみ」
錠前を開けるための鍵



「忍び装束」
忍者が着ていたのは、伊賀・甲賀地方の農民が着る「クレ染め」という濃紺色の野良着
毒蛇よけ、虫除けにもなり、水をこして飲むのにも利用した



「仕込み杖」
杖や錫杖に剣を仕込んだ



「忍び甲冑」「鎖帷子(くさりかたびら)」
戦時中は一種の鎖帷子である「忍び甲冑」を衣裳の下に着ることもある
折りたためるため携帯に便利



「忍び刀」
角鍔のついた直刀。さやの先端を地面に突き立て、鍔に足をかけて塀をよじ登る



「手裏剣」
暗殺用の武器で、刃にトリカブトの毒汁を塗るのが定法
手裏剣に火縄を巻き付け中心に火薬を盛る
照明用や放火用に使用した






「まきびし」
ひしには「木びし・天然びし・鉄びし」の3種類がある



「鉄砲」「火矢」「百雷銃」
鉄砲は戦国大名に重宝された
火矢の先端に火薬を詰めた筒を付け、敵のかく乱を狙った
百雷銃は爆竹に類似した花火で連続的に轟音を発する



資料館を出ると目の前に米倉を改築した「忍者伝承館」がある
忍者の歴史や生活を紹介した施設になる(撮影禁止場所が多い)



「忍者の一日」「火術・火縄」



「忍者屋敷・武家屋敷のからくり」



忍者の生活が続くが参考になる事柄も多い





















「賀の道」というのは初めて知った






「忍者曼荼羅」
伊賀・甲賀の忍者が信仰した神仏を描いている
魅力的な歴史上の人物が並んでいる
忍者の奥深さを感じた曼荼羅(満足した)



実に充実した忍者博物館(忍者屋敷・資料館・伝承館)であった
雨が降っていなければ立ち寄ることはなかっただけに「恵みの雨」となった
足元を見ると歩道に「手裏剣」が刻まれている



芭蕉翁記念館
伊賀出身の松尾芭蕉に関する記念館



松尾芭蕉の正体は忍者で、奥の細道は幕府の密命を受けた隠密の旅だったという説がある
忍者の里で知られる伊賀国に生まれ、伊賀流忍術の祖とされる百地丹波の子孫ということも影響している



「芭蕉翁紀行足跡図」
芭蕉の足跡を辿る旅も面白いと思って本なども購入しているが決断できないでいる



撮影 令和3年5月21日
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伊賀流忍者博物館 その1( 三重県伊賀市上野丸之内)

2021年06月22日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和3年5月21日

伊賀流忍者博物館<からくり忍者屋敷>
幼い頃から忍者に興味を持っていた
漫画では横山光輝の「伊賀の影丸」や「仮面の忍者 赤影」
映画では市川雷蔵の「忍びの者」などに熱中していた



農家を移築・復元し忍者屋敷として開館した



忍者屋敷というより、茶室のような佇まいだ



忍者屋敷のような雰囲気がでてきた
入り口はかなり狭く、大勢の敵の侵入を制限しているようにみえる



「どんでん返し」
屋敷内に入ると桜色の衣装を纏った「くノ一」が説明をしてくれる
入館者は私一人で、仕方なく太った爺の下忍の役を担うことになった(笑)
右側の壁板だがある場所を押すと壁板が180度回転し、身を隠すことができる



「隠し階段」
見かけは普通の棚だが、紐を操作することにより



棚が床に下がるとあっという間に階段になり、2階に逃げることができる
これは、現代の建築技術にも活かされている



「地下道への隠し扉」
この扉も、ある場所を押すと開くようになっているとヒントを与えられた……
悔しいが、数カ所押しても全く反応しなかった



業を煮やした「くノ一」に扉の左端の上を押すように言われた
何とびっくり、簡単に扉が開き写真のようになった
敵が戸惑っている間に逃げ出すというからくりだ



「見張り」
これは、あっと驚くというより地味なしかけになっている



押し入れの3本の横木に隙間があり外の様子を見張るというものだ
閉所恐怖症で頻尿の私には絶対無理だと瞬間思った



「刀隠し」
忍者屋敷で一番驚いたのがこれだ。通常は床板で刀が隠れて見えないのだが……
「くノ一」が足でトンと床を押すと床板が外れ、居合い抜きのような速さで切られてしまった
太った爺の下忍の役と思っていたのだが、いつの間にか敵になっていた(笑)



縁側の床下には、今でいうこと隠し金庫があり、金品が甕に入れられている
紹介が遅れたが案内役の「くノ一」
刀隠しの実演でカメラも驚き動かなくなってしまったが、十数分の間、世間話をしながら待ってくれた
下忍の爺にも優しく親切に対応してくれたことが嬉しい



からくり忍者屋敷だがこのように眺めもいい
お茶でも飲みながらゆっくりしたい気分にさせてくれる



気配がしたので上を見ると、もう一人の「くノ一」に見張られていた
忍者屋敷にはあまり期待してはいなかったが、そうではなかった
案内役のお蔭で楽しい時間になった



撮影 令和3年5月21日
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2020 砂の美術館(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2021年01月16日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和2年9月30日

砂の美術館「砂で世界旅行・チェコ&スロバキア編」
*紹介文は配付資料から引用



総合プロデューサー:茶圓勝彦 世界10カ国17名の砂像彫刻家



この美術館を訪れるのが旅の目的の一つになっている
現在は今回紹介する砂像は既に壊されていて、新しい砂像つくりの準備に入っている



作品01 「チェスキー・クルムロフ」
制作者:ケビン・クロフォード/オーストラリア

展示室に入ると最初に目に入ってきたのがこの砂像だ



チェスキー・クルムロフ は、チェコ・南ボヘミア州の小さな都市



モルダウ川(ヴルタヴァ川)に囲まれた世界遺産の街



「世界で一番美しい街」と評されている






作品02「ボヘミアン・パラダイス」
制作者:セザンヌ・ルセラ/オランダ

風化や浸食により独特の地形に削られた奇岩の景勝地 ボヘミアン・パラダイス



広大な自然の中に人々の営みがあったことを伝えている



気になるのはこの三人の女性



「鳥取砂丘の砂」を水だけで固めて制作されている



表情や衣装まで見事に表現されている






砂岩の上に鎮座する14世紀建造のコスト城が立体的に造られている



上から見るとこのようになっている



光と影と遠近法を巧みに操り作品を完成させている



作品03 「スピシュ城とモンゴルの襲来」
制作者:ジョヘン・タン/シンガポール

スロベキア東部に位置する世界遺産の廃城スピシュ城
モンゴル帝国軍から国を守るための長城として建てられた



当時のモンゴルは持久力のある馬と小型で強力な弓を使用



圧倒的な戦力と巧みな戦術で世界最強と恐れられていた






作品04 「ヤーノシークの伝説」
制作者:エイブラム・ウォーターマン/カナダ

スロバキアの国民的英雄 ユライ・ヤーノシーク
18世紀初頭に実在した義賊



義賊とは裕福な家から金品を奪い、貧しい人に分け与える活動をしていた
ヤーノシークはその盗賊団の頭領だった



彼の活動は「世の中を平等にする」と評され、庶民を中心に歓迎されていた



彼は最期、殺人の冤罪を被り処刑されてしまうが、その人気は今なお健在だという






砂像を眺め調べても私には「チェコ&スロバキア」について全く知識が無いことが分かった



作品05 「天文時計とセドレツ納骨堂」
制作者:トーマス・クォート/アメリカ

作品01 「チェスキー・クルムロフ」の裏面にある作品



15世紀に完成したプラハ旧市街にある時計塔
上部には太陽や月の位置、時刻を示す天文図文字盤、下部には星座と農村における四季の作業分かる暦盤が作られている



時計盤の左右や上部にキリスト教の聖人や人間の大罪を擬人化した彫像が置かれたこの天文時計はプラハの名物となっている









チェコには人骨を装飾に使用している協会がいくつかある






大きな砂の塊の表面と裏面に2つの作品が制作されている



作品06 「ヤン・フスと火刑」
制作者:マリエレ・ヒーセルス/オランダ

チェコの宗教改革者ヤン・フス



彼は教会が政治においても絶対的な権力を誇っていた14世紀初頭に教会のあり方を批判



その主張を庶民にも分かるよう説教を行い民衆に歓迎されていた



教会のあり方を揺るがしかねないフスの主張とその人気を恐れ、教会上層部は異端として火刑に処してしまう



死を迫られても自らの主張を撤回しなかったフスの姿は……



その後、彼を慕う民衆がフス派と名乗り抗議活動を展開していく



作品07 「リブシェの予言」
制作者:イリヤ・フィリモンツェフ/ロシア

この作品の美しさにすっかり魅了されてしまった



かつてチェコは予言能力をもつ賢く美しい女性リブシェが治めていたと伝えられている



ある日、リブシェがヴァルタヴァ(モルダウ)川のほとりに出かけると……



丘に立派な城がそびえ立っている未来の様子が見えた



彼女はその場所を示して城を築くよう周りの者に伝え、城の名をプラハと名付けた



これがプラハの城と街の始まりの伝説であり、古くからチェコの人々に愛されている物語である



遠く離れた場所から望遠レンズで撮ってみた



作品08 「ルドルフ2世とルネサンスの影響」
制作者:ドミトリー・クリメンコ/ロシア




プラハの文化発展に貢献した神聖ローマ帝国皇帝ルドロフ2世



強大な権力を使いプラハに芸術家や科学者、錬金術師を集め活動を援助した
*背景にも注目



ルドロフ2世は彼らに作らせた物や世界各地から集めた珍品をプラハ城内の専用の展示部屋にコレクションしていく






こうした活動により、プラハにルネサンスが定着し芸術科学文化の都として名を馳せていった






コロナの影響で入館者が少ない時にしか撮れない写真



正面奥にはいつも大規模な砂像2つが配置されている



作品09 「カレル橋とヴァルタヴァ川の風景」
制作者:ディビット・ドウシャーム/カナダ
制作者:スー・マクグリュー/アメリカ

プラハ城と旧市街地を結ぶ世界遺産のカレル橋
現在のプラハの基礎を創ったカレル1世の命令で14世紀に建造された



左右の欄干には聖ヤン・ネポムツキーやフランシスコ・ザビエルなど30体のキリスト教の聖人像が並んでいる






橋が架けられているヴルタヴァ川はチェコ人にとって馴染みの深い川
チェコ出身の音楽家スメタナも交響詩「我が祖国(モルダウ)」の中にテーマとして取り上げた






作品10 「プラハ城」
制作者:レオナルド・ウゴリニ/イタリア
制作者:アンゲフォン・ディビット/ベルギー

世界で最も大きく古い城といわれているプラハ城



伝説によると870年頃、リブシェの予言に基づきヴルタヴァ川沿いの現在の場所に建てられた



度重なる戦争でも大きな被害を受けず、ゴシック様式やロココ様式といった
中世以降の多彩な建築様式を今に伝えている






かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であった
現在はチェコ共和国の大統領府のある場所である
ボヘミア国王の宝冠はここで保管されている






2階の見学通路を歩いているうちに背景が夜景になっていた



作品11 「プラハの錬金術」
制作者:アンドリウス・ペトクス/リトアニア

錬金術とは金属を変化させ黄金を作り出す試み
神聖ローマ帝国皇帝ルドロフ2世はこれに傾倒



首都プラハにヨーロッパ中から錬金術師を集め研究を行わせた






そこでは金の錬成にとどまらず、不老不死の薬や惚れ薬なども研究されていた






作品12 「ゴーレム伝説」
制作者:ヨーリス・キヴィッツ/オランダ

ユダヤ教の古い伝承に登場しヘブライ語で「胎児」を意味するゴーレム



主人の命だけを聞くこの土人形は宗教指導者ラビ・レーヴにより作られた






しかし彼が使役する上での約束を破ったことで暴走し、止む無く土に戻した



この土塊は今でもプラハのシナゴークの屋根裏部屋に眠っているといわれている



作品13 「中欧の野生動物」
制作者:ダン・ベルチャー/アメリカ




中央ヨーロッパには広大な自然が広がり、国立公園に指定され沢山の動物が生息している






作品14 「プラハ窓外投擲事件」
制作者:メイネイジ・ビュリガード/カナダ

プラハでは窓から人を投げ落とすという奇異な事件が度々起きている



この窓外投擲事件はカトリックによる弾圧に対するプロテスタントの抗議活動として行われた



1618年の2回目の事件はヨーロッパ全土を巻き込んだ30年戦争のきっかけとして有名



作品15 「文学 フランツ・カフカ」
制作者:ヤコブ・ジマチェク/チェコ

チェコ出身の小説家フランツ・カフカ
ユダヤ人の家庭に生まれ、会社に勤めながら小説を執筆した



代表作の「変身」「審判」「城」などの作品で人間の孤独や不安、不条理をシュールな世界観で表現している



この作品は、朝起きると主人公が虫になっていたという「変身」の中で最も有名な場面を表現している






作品16 「民族復興運動の音楽家たち」
制作者:セザンヌ・ルセラ/オランダ
制作者:マリエレ・ヒーセルス/オランダ

1918年のチェコスロバキア独立の背景には18世紀後半から始まったチェコ人としての誇りを戻そうとする動きがあった
音楽家たちもチェコの情景や伝統音楽を取り入れた楽曲を発表し、この運動を鼓舞していった



ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」



スメタナ:「わが祖国」



ヤナーチェク:オペラ「イエヌーファ」






作品17 「ビロード革命と現代化」
制作者:ヨーリス・キヴィッツ/オランダ
制作者:ダン・ベルチャー/アメリカ




第二次世界大戦後ソ連の影響で社会主義国となったチェコスロバキア
1989年のベルリンの壁崩壊を受けチェコスロバキアでも政権交代を訴えるデモが活発化した



この改革は血を流さず穏やかに遂げられたことから「ビロード革命」と呼ばれている



ビロード革命の指導者ハヴェルを大統領とする民主主義国に生まれ変わった



作品18 「ドラゴン伝説」
制作者:ヤコブ・ジマチェク/チェコ




ヨーロッパ各地の童話に登場するドラゴンはチェコのおとぎ話の中にも欠かせない存在



暴れていた3つの首を持つドラゴンが騎士に倒され、その栄誉により騎士は助けた娘と結ばれるという物語が有名



作品19 「人形劇とマリオネット」
制作者:ヤコブ・ジマチェク/チェコ




2016年に世界無形文化遺産に登録されたチェコの人形劇



砂の美術館を出た後、先に進むか、戻るかいつも迷う
昨年は宮崎県まで走ったが、今回は車のサブバッテリーの調子も悪く戻ることにした



撮影 令和2年9月30日
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2020 砂の美術館 最終回(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2021年01月15日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和2年9月30日

砂の美術館「砂で世界旅行・チェコ&スロバキア編」最終回
*紹介文は配付資料から引用

作品13 「中欧の野生動物」
制作者:ダン・ベルチャー/アメリカ




中央ヨーロッパには広大な自然が広がり、国立公園に指定され沢山の動物が生息している






作品14 「プラハ窓外投擲事件」
制作者:メイネイジ・ビュリガード/カナダ

プラハでは窓から人を投げ落とすという奇異な事件が度々起きている



この窓外投擲事件はカトリックによる弾圧に対するプロテスタントの抗議活動として行われた



1618年の2回目の事件はヨーロッパ全土を巻き込んだ30年戦争のきっかけとして有名



作品15 「文学 フランツ・カフカ」
制作者:ヤコブ・ジマチェク/チェコ

チェコ出身の小説家フランツ・カフカ
ユダヤ人の家庭に生まれ、会社に勤めながら小説を執筆した



代表作の「変身」「審判」「城」などの作品で人間の孤独や不安、不条理をシュールな世界観で表現している



この作品は、朝起きると主人公が虫になっていたという「変身」の中で最も有名な場面を表現している






作品16 「民族復興運動の音楽家たち」
制作者:セザンヌ・ルセラ/オランダ
制作者:マリエレ・ヒーセルス/オランダ

1918年のチェコスロバキア独立の背景には18世紀後半から始まったチェコ人としての誇りを戻そうとする動きがあった
音楽家たちもチェコの情景や伝統音楽を取り入れた楽曲を発表し、この運動を鼓舞していった



ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」



スメタナ:「わが祖国」



ヤナーチェク:オペラ「イエヌーファ」






作品17 「ビロード革命と現代化」
制作者:ヨーリス・キヴィッツ/オランダ
制作者:ダン・ベルチャー/アメリカ




第二次世界大戦後ソ連の影響で社会主義国となったチェコスロバキア
1989年のベルリンの壁崩壊を受けチェコスロバキアでも政権交代を訴えるデモが活発化した



この改革は血を流さず穏やかに遂げられたことから「ビロード革命」と呼ばれている



ビロード革命の指導者ハヴェルを大統領とする民主主義国に生まれ変わった



作品18 「ドラゴン伝説」
制作者:ヤコブ・ジマチェク/チェコ




ヨーロッパ各地の童話に登場するドラゴンはチェコのおとぎ話の中にも欠かせない存在



暴れていた3つの首を持つドラゴンが騎士に倒され、その栄誉により騎士は助けた娘と結ばれるという物語が有名



作品19 「人形劇とマリオネット」
制作者:ヤコブ・ジマチェク/チェコ




2016年に世界無形文化遺産に登録されたチェコの人形劇



砂の美術館を出た後、先に進むか、戻るかいつも迷う
昨年は宮崎県まで走ったが、今回は車のサブバッテリーの調子も悪く戻ることにした



撮影 令和2年9月30日
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2020 砂の美術館 その3(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2021年01月14日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和2年9月30日

砂の美術館「砂で世界旅行・チェコ&スロバキア編」その3
*紹介文は配付資料から引用
コロナの影響で入館者が少ない時にしか撮れない写真



正面奥にはいつも大規模な砂像2つが配置されている



作品09 「カレル橋とヴァルタヴァ川の風景」
制作者:ディビット・ドウシャーム/カナダ
制作者:スー・マクグリュー/アメリカ

プラハ城と旧市街地を結ぶ世界遺産のカレル橋
現在のプラハの基礎を創ったカレル1世の命令で14世紀に建造された



左右の欄干には聖ヤン・ネポムツキーやフランシスコ・ザビエルなど30体のキリスト教の聖人像が並んでいる






橋が架けられているヴルタヴァ川はチェコ人にとって馴染みの深い川
チェコ出身の音楽家スメタナも交響詩「我が祖国(モルダウ)」の中にテーマとして取り上げた






作品10 「プラハ城」
制作者:レオナルド・ウゴリニ/イタリア
制作者:アンゲフォン・ディビット/ベルギー

世界で最も大きく古い城といわれているプラハ城



伝説によると870年頃、リブシェの予言に基づきヴルタヴァ川沿いの現在の場所に建てられた



度重なる戦争でも大きな被害を受けず、ゴシック様式やロココ様式といった
中世以降の多彩な建築様式を今に伝えている






かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であった
現在はチェコ共和国の大統領府のある場所である
ボヘミア国王の宝冠はここで保管されている






2階の見学通路を歩いているうちに背景が夜景になっていた



作品11 「プラハの錬金術」
制作者:アンドリウス・ペトクス/リトアニア

錬金術とは金属を変化させ黄金を作り出す試み
神聖ローマ帝国皇帝ルドロフ2世はこれに傾倒



首都プラハにヨーロッパ中から錬金術師を集め研究を行わせた






そこでは金の錬成にとどまらず、不老不死の薬や惚れ薬なども研究されていた






作品12 「ゴーレム伝説」
制作者:ヨーリス・キヴィッツ/オランダ

ユダヤ教の古い伝承に登場しヘブライ語で「胎児」を意味するゴーレム



主人の命だけを聞くこの土人形は宗教指導者ラビ・レーヴにより作られた






しかし彼が使役する上での約束を破ったことで暴走し、止む無く土に戻した



この土塊は今でもプラハのシナゴークの屋根裏部屋に眠っているといわれている



次回に続く

撮影 令和2年9月30日
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