「団塊シニアのひとりごと」さんが、「悲しい葬儀でこぼれた笑みのエピソード」と題して、親の今わの際にこぼれた笑いのエピソードを書かれているので、私も叔母のことを思い出した。
この叔母は、いつも書いている、従弟の母親で、母の妹である。
叔母の亡くなる前日のことだ。
叔父さんから、叔母のおしっこが出なくなったので、もう長くないと連絡が入って、私は病院に駆け付けた。
するとすでに連絡を受けた親戚、叔母の友人たちなど、病院の個室に入りきれないほどの人数の人が集まっていた。
そのとき互いに初めて対面する人たちもいたから、病室の中では「かねがねお噂を聞いておりましたが、どうのこうの」と叔母そっちのけで挨拶を交わす人たちもいた。
すると死にかけているはずの叔母がおもむろに口を開いて、「皆さん、今日はお集りありがとうございます。が、うるさくてたまらないので部屋から出て行っていただけますか」と言ったのだ。
瞼も閉じたまま死にかけているのに堂々と述べたので、私達見舞客はすごすごと部屋から出た。
叔母はその翌日に死んだ。
娘のように可愛がられていた姪の私も死に目には行けなかった。
その前日の言葉もさることながら、当時、次男がまだ園児だったので、預かってくれる人もいないので、行けなかったということもあった。
が、私は泣くより、その前日の叔母の挨拶?が堂々としていたことに妙に感心したことだった。
やはり、いくら可愛がってくれていたと言っても、親ではなかったから泣かなかったのだろうか?
葬儀のときに、叔母の友人たちに「〇さんは、しょっちゅう姪のあなたのことを話していましたよ」と言われたから、叔母は本当に私のことを思ってくれていただろうに。
叔母のことは今でもよく思い出すが、不思議に涙は出てこない。
*
この叔母は、いつも書いている、従弟の母親で、母の妹である。
叔母の亡くなる前日のことだ。
叔父さんから、叔母のおしっこが出なくなったので、もう長くないと連絡が入って、私は病院に駆け付けた。
するとすでに連絡を受けた親戚、叔母の友人たちなど、病院の個室に入りきれないほどの人数の人が集まっていた。
そのとき互いに初めて対面する人たちもいたから、病室の中では「かねがねお噂を聞いておりましたが、どうのこうの」と叔母そっちのけで挨拶を交わす人たちもいた。
すると死にかけているはずの叔母がおもむろに口を開いて、「皆さん、今日はお集りありがとうございます。が、うるさくてたまらないので部屋から出て行っていただけますか」と言ったのだ。
瞼も閉じたまま死にかけているのに堂々と述べたので、私達見舞客はすごすごと部屋から出た。
叔母はその翌日に死んだ。
娘のように可愛がられていた姪の私も死に目には行けなかった。
その前日の言葉もさることながら、当時、次男がまだ園児だったので、預かってくれる人もいないので、行けなかったということもあった。
が、私は泣くより、その前日の叔母の挨拶?が堂々としていたことに妙に感心したことだった。
やはり、いくら可愛がってくれていたと言っても、親ではなかったから泣かなかったのだろうか?
葬儀のときに、叔母の友人たちに「〇さんは、しょっちゅう姪のあなたのことを話していましたよ」と言われたから、叔母は本当に私のことを思ってくれていただろうに。
叔母のことは今でもよく思い出すが、不思議に涙は出てこない。
*
親でなき叔母の葬儀に泣かざりしわれは冷たき姪でありしか
今もなほ思ひだすこと多かりし叔母なりされど涙は出でず
父親のことは今でも思ひ出すたびに涙のわれであるのに
わたくしの子を孫と呼びおむつまで準備して待つ叔母でありにき
わたくしの子に「大阪のおばあちやん」と自称してゐし叔母おもひだす
わたくしの母に私を譲つてと頼みし叔母に娘をらざり
大阪の叔母は帰省のたびわれに服を土産に来てゐたりけり
「デパートであなたに合ふと買つたの」と女児服買ふを楽しみゐたり
大阪の短大生でありし吾(あ)にいつもご馳走食べさせくれき
下宿へと戻る私にご馳走を折り詰めにしてもたせくれにき
母よりも母親らしくしてくれし母の妹の叔母なつかしき
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