神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

叔母の今際の言葉

2017年11月29日 06時15分46秒 | 親戚
「団塊シニアのひとりごと」さんが、「悲しい葬儀でこぼれた笑みのエピソード」と題して、親の今わの際にこぼれた笑いのエピソードを書かれているので、私も叔母のことを思い出した。

この叔母は、いつも書いている、従弟の母親で、母の妹である。

叔母の亡くなる前日のことだ。

叔父さんから、叔母のおしっこが出なくなったので、もう長くないと連絡が入って、私は病院に駆け付けた。

するとすでに連絡を受けた親戚、叔母の友人たちなど、病院の個室に入りきれないほどの人数の人が集まっていた。

そのとき互いに初めて対面する人たちもいたから、病室の中では「かねがねお噂を聞いておりましたが、どうのこうの」と叔母そっちのけで挨拶を交わす人たちもいた。

すると死にかけているはずの叔母がおもむろに口を開いて、「皆さん、今日はお集りありがとうございます。が、うるさくてたまらないので部屋から出て行っていただけますか」と言ったのだ。

瞼も閉じたまま死にかけているのに堂々と述べたので、私達見舞客はすごすごと部屋から出た。

叔母はその翌日に死んだ。

娘のように可愛がられていた姪の私も死に目には行けなかった。

その前日の言葉もさることながら、当時、次男がまだ園児だったので、預かってくれる人もいないので、行けなかったということもあった。

が、私は泣くより、その前日の叔母の挨拶?が堂々としていたことに妙に感心したことだった。

やはり、いくら可愛がってくれていたと言っても、親ではなかったから泣かなかったのだろうか?

葬儀のときに、叔母の友人たちに「〇さんは、しょっちゅう姪のあなたのことを話していましたよ」と言われたから、叔母は本当に私のことを思ってくれていただろうに。

叔母のことは今でもよく思い出すが、不思議に涙は出てこない。

*


  親でなき叔母の葬儀に泣かざりしわれは冷たき姪でありしか

  今もなほ思ひだすこと多かりし叔母なりされど涙は出でず

  父親のことは今でも思ひ出すたびに涙のわれであるのに

  わたくしの子を孫と呼びおむつまで準備して待つ叔母でありにき

  わたくしの子に「大阪のおばあちやん」と自称してゐし叔母おもひだす

  わたくしの母に私を譲つてと頼みし叔母に娘をらざり

  大阪の叔母は帰省のたびわれに服を土産に来てゐたりけり

  「デパートであなたに合ふと買つたの」と女児服買ふを楽しみゐたり

  大阪の短大生でありし吾(あ)にいつもご馳走食べさせくれき

  下宿へと戻る私にご馳走を折り詰めにしてもたせくれにき

  母よりも母親らしくしてくれし母の妹の叔母なつかしき

最新の画像もっと見る

コメントを投稿